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semスキン用のアイコン01 三田誠広 『星の王子さまの恋愛論』 semスキン用のアイコン02

  

2006年 12月 09日

a0035172_20332653.jpg三田誠広の『アインシュタインの謎を解く』が意外と面白く、続けて彼の『天才科学者たちの奇跡』と彼の謎解きシリーズ『聖書の謎を解く』と『般若心経の謎を解く』を読んだ。この人は小説よりもこういった解説書の方が向いているのではないか、と思ってしまう。科学や宗教の解説に文学的なエッセンスが感じられ、独特の味わいがある。もちろん、どれも内容が分かりやすく、読みやすい。

そんな彼の解説書として、『星の王子さまの恋愛論』という文庫本を発見したので読んでみた。『星の王子さま』と言えば、サン=テグジュペリ自ら描いた挿絵が印象的な絵本であり、誰もが一度は手にとってみたことがあるであろう童話的な物語であるが、その内容はメタフォリックであり、決して易しくない。

『大切なものは、目に見えない』
『砂漠が美しく見えるのは、そのどこかに井戸を隠しているから』

『星の王子さま』を初めて読んだのは、いつのころだったろうか?
僕の場合は大学生になってからだと思う。一種の寓話として愉しく読んだ記憶があり、特に上記のセリフ(有名なセリフ)はとても記憶に残っていた。
『星の王子さま』は2005年に日本での翻訳版権が切れたらしく、最近になってたくさんの新訳が出版されている。有名どころでは、池澤夏樹や倉橋由美子の新訳本があり、辛酸なめ子や三田誠広も子供向けに出版している。どうやら20近くの新訳があるようで、こりゃ選ぶ方も大変だ、、、ということでサイトを調べると翻訳本のランキングまで出ていた!これからは翻訳も選ぶ時代なのだろう。たぶん。

さて、三田誠広の解説書である。彼は『星の王子さま』を一種の恋愛論として捉える。もちろんそれは王子さまとバラの花との関係であり、そのことの原理みたいなものを王子さまときつねの関係を通して僕らは知るのである。プラトンのイデア論を引き合いに出しながら、その「目に見えない大切なもの」とは何なのかが解説される。古くからの『星の王子さま』ファンにはなかなか納得しがたいのかもしれないけど、恋愛という現象を哲学的に捉えようとする三田誠広の考え方に僕自身はわりと馴染みがあるので素直に納得できた。哲学的とは言いながら、その言説はとても分かりやすく、リリシズムは感じられない。まぁそのあたりの実践的というか、汎用的というか、奥深さよりも平易性を求める言説と文体は独特のもので、彼の解説書の特徴でもあるのだ。

今や文学も実践的な役割を担わなければならない時代なのかもしれない。文学という優しさを手放さないこと、それこそが、三田誠広が小説ではなく、こういった解説書で行おうとしている(ある種の確信に基づいた)試みなのだと感じられないこともない。彼の解説シリーズは小説家としての彼の文学的エッセンスに支えられながらも、そういった文学とか哲学といったものに対してあまりにも説明的である(ある意味で正面から取り組んでいる)が故にもはや文学的とは言いがたいけれど、彼の文学を守ろうという保護者(父親)的な意思は切々と感じるのである。(これも彼特有の父親学なのかもしれないw)
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by onomichi1969 | 2006-12-09 16:12 | | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 三田誠広 『アインシュタインの謎を解く』 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 03日

a0035172_12143580.jpg三田誠広の小説は、学生の頃によく読んだ。
『僕って、何』とか『高校時代』、『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終る』、『エロイカ変奏曲』、『赤ん坊の生まれない日』などである。出発点となった『僕って、何』や『高校時代』から、主題はまさしく「僕って、何」ということだが、作中の主人公が大人になるに従い、その主題自体が世界との関係の中でバランスをとるように空疎化していき、結局は旧態たる成長小説の枠組みに絡めとられてしまったような印象を僕は持っている。
初期後半の小説群にはわりと失望を感じることことが多くて、彼の作品を読むことの価値をいつからか見出せなくなっていた。僕の中ではすっかり忘れ去られた小説家で、その名前を見ることも、彼の小説を改めて手にとることも最近は全くなかったのである。
ちなみに彼の作品の中の『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終る』の文庫解説を笠井潔が書いており、その強烈な文章に感銘を受け、その後、彼の『テロルの現象学』を手にとることになる。僕にとっては、そういうつながりとして僕の読書歴の中のひとつの流れを形づくってくれたという功績がある。

さて、そんな三田誠広の本が店頭に並んでおり、題名をみると、「アインシュタインの謎を解く」である。これは一種の歴史ミステリーなのか、彼もついにこんな分野の小説を書くようになったのか、と驚きつつも、宇宙論や量子論はわりと嫌いではないので文庫本の気安さもあり、何の気なしに買ってみた。
そして、家に帰ってページをめくると思いかけずに面白くて、一気に読み終えた。

この本は現近代の物理学解説書であるとともに、アインシュタインやパスカル、ボーア、キャベンディッシュなどの物理学の巨人たちを生き生きと描く人物書でもある。
僕は一応、大学の工学部応用化学科の出身なので、いちおう教養としての量子論は勉強しているつもりである。その為、量子論の基礎であるパウリの排他律や電子スピン、波動方程式などは実際に演習もしていたので今でもその解説には違和感なく入り込める、、と思っている。(まぁ、他にもそういう解説書をたまに読んだりするので、、、)
それを差し引いても、三田誠広という文学者が描く量子論、相対論には一切の数式も図もなく、すべて文章での説明となっているわりには、適度に専門的で、にもかかわらずとても理解しやすいと感じた。文章が平易で、身近な比喩をふんだんに使うことによって読者の理解を助ける、イメージを膨らませやすい解説書となっている。
一種の文学的量子論とでも言おうか。おそらくその真骨頂は最終章にあるだろう。
そこでは現近代の物理学を文学的に総括すべく、その技術と理論の変遷を人間の認識論へと還元している。これまで宇宙論でよく耳にした「人間原理」についても科学全般における認識論へと普遍化させて説明しており、その内容にはとても納得させられる。

<ちなみに宇宙論としての「人間原理」とは、この宇宙が人間を生み出す為に作られたものであり、宇宙論の基礎たる定数などもすべて人間を生み出すのに都合のよい数値となっているということを指す。それを敷衍すれば、宇宙とは、人間が認識する限りにおいて存在し得ると言うこともできるのだ、、、まさしく人間の存在或はその認識を中心とした宇宙原理が「人間原理」である。。詳しくは、ブルーバックス「これからの宇宙論」参照!>

思いもかけずとても楽しい読書だった。
三田誠広という文学者がどういう経緯で物理学の解説書を書くことになったのか、その詳しいことはよく分からないけれど、彼が『僕って、何』から30年かけて辿り着いた場所、彼の必然的行き方、その一端が実はこの本から垣間見える。そういう意味で僕はこの本を読んで素直に感動した。
とても文学的に感動したのだ。
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by onomichi1969 | 2005-12-03 14:12 | | Trackback | Comments(2)

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