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Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 のりピーと選挙のこと semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 05日

のりピーが覚せい剤取締法違反で捕まって、一斉にマスコミによるバッシングの対象となっている。彼女は、その罪状を超えて、救いのないくらいに叩かれている。
マスコミから流れる情報は、既に虚実が入り混じっているだろう。それらを過剰に垂れ流すことに全く躊躇がない。その目的は彼女を貶め、さらし首にする以外にはないように思える。彼女を庇って火傷するような愚行を犯す人間はテレビの中に誰もいない。そういう意味でみんな賢い。

でも、僕は思う。この世の中の為に、本当に救われるべきなのは、彼女のような人間ではないだろうか? その生い立ちや言動を見るにつけ、僕は心からそう思う。
この世の中は、総体として「悪人」的である。村上春樹風に言えばそれは「リトルピープル」的ということになるだろうか。その中で僕らは知らず知らずのうちに偏在化した悪や狂気と云ったものに囚われる。そこに全体としての救いはない。救われなさの集合として、それは存在すると言ってもいいから。だからこそ、本当に救われるべきなのは、本来的な悪の要素を象徴的にも実際的にも一身に背負った彼女のような人間なのだ。そういう彼女が救われなかったら、僕らは永久に救われないとさえ思えてしまう。悪というマイナスからスタートする、そういう物語があってもいい。
誰か、そう思いませんか?

さて、選挙である。民主党が大躍進、というよりは自民党の凋落、壊滅と言った方がいいのだろう。
55年前に鳩山民主党が吉田自由党を破ったのと同じ構図ではある。(当事者の孫同士による再戦というのも運命なのだろうか) 当時は民主党が保守、自由党がリベラルというのが対立軸であったが、吉田自由党には造船疑獄の発覚や対米追従の政治手法に国民からの批判もあって、政権交代の機運が高まり、そういった「世直し気分」の流れの中で民主党が大躍進した。その点は今回の選挙結果と同様かもしれない。
但し、今回との大きな違いは、当時、革新政党であった社会党が民主党と共に躍進したことである。その危機感よって、政治的ポリシーを超えた保守合同が実現し、55年体制が確立するわけである。

今回、僕らは選挙によって民主党を選択した。
さて、同じ鳩山民主党ながら、戦後10年の時代から55年を経て、今そこにある民主党とは一体何モノなのだろう? 民主党を日本的リベラルと言うのであれば、その正体は一体何だろう?
ある人は、自民党を旧福田派、民主党を旧田中派のスピンオフと言った。それもなるほどと思う。(詳しくは内田樹のブログへ) 民主党の執行部の顔だけ見れば、同じ保守、いわゆる保守本流の顔が見える。しかし、それだけではない。民主党には旧社会党の残党や旧態たる連合、日教組等の労働組合がくっ付いているのがその正体をあいまいにしている最大の原因なのだと僕は思う。確かに党として期待すべき清新さはあるけど、あまりにもポリシーが幅広く、何でもありで焦点を欠き、あいまいなのだ。

今回の選挙の争点は何だったのだろう?
年金? 子供手当? 高速道路無料化? どれも政権交代の目玉となるような論点だとは思えない。以前のエントリーでも書いたけど、消えた年金などは社会保険庁の失態、自治労の怠慢以外の何物でもないわけで、それこそ民主党の支持母体である労組が問題の大本なのである。民主党は年金制度を国民年金含めて一元化し、新たな制度を創設することをうたっているが、制度の一元化については自民党も提唱しており、その具体的な統合の内容について実際のところ何が最適なのかは判断に難しい問題である。税制を含めた新制度と言っても公平感を維持する為には段階的な改善とならざるを得ず、マニフェストの内容を今回すぐに実現できるとは考えにくい。ある種のスローガンとして聞こえはいいけど、そもそもこの問題が党の政策として政争の具になること自体がおかしいと思える。(公約として規定すべき問題とは思えない)

本来、政党の争点は、国のビジョンであるべきだろう。それはマニフェストの名のもとにばらまかれる鼻の先の人参よりは優先されるべきもののはず。それこそが本来比較されるべきポリシーそのものではないだろうか。
保守とリベラル、旧福田派と旧田中派、保守傍流と保守本流、市場原理主義と資源分配(ばらまき)主義、、、言い方は何でもいいけど、そこに映し出されるビジョンが明確でなければならない。

日本は、高福祉高負担の北欧型の大きな政府を目指すべきなのか? 低福祉低負担のアメリカ型の小さな政府を目指すべきなのか? その対立軸の中庸として、どの位置に焦点を定めるのか? それは横軸のある1点にビジョンを定めて政治的にフォーカスすべきものであり、それでこそ国のビジョンとしてあるべきものなのだと僕は思う。

同様に国の基本方針たる国防、外交にどのようなビジョンを定めるのか?

民主党は自民党に代わる保守政権政党となり、今後は自民党が右派イデオロギーの野党勢力に成り下がるという意見もある。それは有り得るかもしれない。なぜなら、今の民主党に社民党や国民新党がくっ付けば、そこには既に保守とリベラルが合同したような挙党一致、大同団結という旧来の自民党的なまとまりのない集合政権の姿が見えるからである。それは日本という国の中で最も安定な「和」の姿なのだ。
民主党単独にしても、旧態たる連合のような組織が引っ付いている限り、日本経済に対して明確なビジョンを党として定めることができるのだろうか、と思う。

55年前、共産主義、革新政党という共通の敵のもとで大同団結した自民党。革新イデオロギーが衰退した今、政党は大同団結ではなく、二大政党でもなく、ポリシーを細分化して、それぞれの政策の横軸における立ち位置を明確にして競い合うべきなのではないだろうか? それは多様であっていいと僕は思う。その中で選ばれたグループを中心として、連立政権が組まれる。多様さの中で選び直してこそ、国民は真に参政の意識を持てるのではないだろうか。

今回の選挙で国民が選択したのは「非自民」であるにすぎない。そういう空気を切実なものとして選択したのだ。しかし、本来であれば、自民党も民主党も一度全て解散し、本当に目指すビジョンのもとでポリシー毎に再編するのが最も適当なのではないだろうか。

ちなみに僕は今回も投票しなかった。過去レビューでも書いたけど、投票しないという選択も多様さの一つとしてあるべきだと僕は思う。その権利を結果的には遂行したということ。(吉本ばななのお父さんがその昔主張していたことだ) 投票は義務ではない。投票しないことがいつの間に悪になったのか。投票しないものに政治を語る資格がないという、その論拠は精神的すぎるし、単なるマスコミのキャンペーンにすぎないと僕は思っている。それはそれで政治に関心が持たれるのなら悪いことでもないけど、それを義務というなら税金を払う根本的な意味はない。

by onomichi1969 | 2009-09-05 00:54 | 時事 | Trackback | Comments(0)

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