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Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 愛を読む人 "The Reader" (シュリンク 『朗読者』 "Der Vorleser" ) semスキン用のアイコン02

  

2009年 07月 01日

愛を読む人 \"The Reader\" (シュリンク 『朗読者』 \"Der Vorleser\" )_a0035172_1191114.jpgケイト・ウィンスレットの演技に脱帽。原作のハンナのイメージそのままに、物語る身体を忠実に再現してみせる。出来れば、原語であるドイツ語の台詞だったらどんなにか良かっただろう。(あと、タイトルは何故『朗読者』でなかったのだろう?)
この物語は、そして彼女の演技は、語られないハンナの生き様を否応なく想像させる。少年と同じように、僕らは強く惹きつけられる。
ハンナの立ち姿とその因果を見るにつけ、悪とは?善とは何だろう?ということを深く思う。『1Q84』ではないけれど、この世の中に絶対的な悪がないように、絶対的な善もない。善悪とは静止し固定されたものではなく、常に場所や立場を入れ替え続けるものだ。
ハンナは親衛隊であり、ユダヤ人収容所の看守だったことが大罪であった。戦後20年が過ぎ、彼女はナチ狩りの裁判によって断罪される。戦後20年の視点により、同じドイツ国民の名において、戦時の彼女が断罪されるのである。しかし、彼女が罪を認めたのは、「文盲」であり、そのことを自らに恥じていたからだった。彼女には物事の「ほんとう」を知るすべがなかった。そういう意味でこそ、彼女は真の悪人だったのだろう。

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。 – 『歎異抄』第3章

悪人
衆生は、末法に生きる凡夫であり、仏の視点によれば「善悪」の判断すらできない、根源的な「悪人」であると捉える。
阿弥陀仏の大悲に照らされた時、すなわち真実に目覚させられた時に、自らが何ものにも救われようがない「悪人」であると気付かされる。その時に初めて気付かされる「悪人」である。

善人
「善人」を、自らを「善人」であると思う者と定義する。「善人」は、善行を完遂できない身である事に気付くことのできていない「悪人」であるとする。
また善行を積もうとする行為(自力作善)は、「すべての衆生を無条件に救済する」とされる「阿弥陀仏の本願力」を疑う心であると捉える。

因果
凡夫は、「因」がもたらされ、「縁」によっては、思わぬ「果」を生む。つまり、善と思い行った事(因)が、縁によっては、善をもたらす事(善果)もあれば、悪をもたらす事(悪果)もある。どのような「果」を生むか、解らないのも「悪人」である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

僕らも本来的に救われようがない悪人なのだろう。それは共同性を超えて、私というものの避けがたい在り方を直視させる。しかし、下記のような言葉もある。実は、ここにこそ僕らにとっての生きる「救い」があるのではないだろうか。

「君は悪から善をつくるべきだ。それ以外に方法はないのだから」
(ロバート・P・ウォーレン 『ストーカー』 題辞)

by onomichi1969 | 2009-07-01 01:32 | 海外の映画 | Trackback | Comments(2)

Commented by bigblue909 at 2009-07-02 22:33
原作の「朗読者」は発刊当時読んだけど、もうほとんど内容を覚えてないので、私にはさほど面白い本ではなかったんだと思います。だけど映画はすごく良かったな。分盲を頑なに隠そうとするケイト・ウィンスレットが、それによってどれだけ孤独な人生を送ってきたかがスクリーンで語られないだけ、余計に涙がボロボロ出ました。
だけどこの人、明らかに欠点がありますよね。それが容認できないぶん、この映画に深みを与えてたと思います。onomichiさんが抜粋した善人と悪人の記述に納得。私最近本当に思うのが、一番怖いのは「善人は、善行を完遂できない身である事に気付くことのできていない悪人であるとする」のを理解さえできない人だなと。こういう人は自分のことを「善人だ」と平気で言うので驚いてしまいます。
あ、あとコメント承認制にしたんですね。正解だと思います。blogは自分が楽しむためにありますから。私はイヤな書き込みは相手が返事を読んだなという頃合を見計らって削除するようにしてます。
Commented by onomichi1969 at 2009-07-03 00:42
BBさん、こんばんは。
この映画はケイト・ウィンスレットに尽きますね。(オスカーも取っていたんですねぇ) 彼女の目、表情、声、姿勢、出で立ち、体つき。それが物語るんですよね。確かに、その辺りは原作では伝わりにくいところで、映画は逆に主人公の饒舌さがない分、そんな彼女の演技が秀でています。とても響きますね。
ちょっと前に吉田修一の『悪人』という小説を読んで、悪人て本当に悪人なんだろうか?本当の悪人て何だろう?って思ったのです。その流れで『1Q84』と『愛を読むひと』が繋がって、悪人正機で纏めたりして。ウィキペディアの抜粋ですけど、なかなかうまいこと書いてあるなぁと。

コメントはいろいろあって承認制にしましたが、まぁ普通は普通に承認です。
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