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semスキン用のアイコン01 橘いずみ 『こぼれおちるもの』(1994) semスキン用のアイコン02

  

2008年 03月 29日

a0035172_021044.jpg昔から付き合った女性と音楽の趣味が一致したことがなかった。大学生の頃、彼女とドライブに行く時にBGMで泉谷しげるのアルバムを流したことで喧嘩になったこともあった。彼女曰く、「何故、普通にドリカムやサザンがBGMではないのか」と。今考えれば、なんというバカなことと思うけど、当時はそんなことでしょっちゅう意固地になっていた。そして、たぶん、それは今でもあまり変わっていない。。。(と、いきなり自虐的;;)

初めて一緒に住んだ女性とも当然のことながら音楽の趣味が合わず、お互いに持ち寄ったCDに全く共通項がなかった、、、と思ったら、実は1枚だけかぶっているタイトルがあった。それが橘いずみの『こぼれおちるもの』(1994)だった。

1996年頃の話だが、僕は、橘いずみという女性シンガーが気に入っていて、特に『こぼれおちるもの』(1994)はよく聴いた。何といっても、まずアルバムのタイトルがよい。タイトルのセンスだけでもその素晴らしさが垣間見えるけど、今回、彼女のことをレビューしようと思って、デビュー作から5th『十字架とコイン』(1995)までを改めて聴いてみて、『太陽が見てるから』~『こぼれおちるもの』と繋がる時期のアルバムが如何に傑出した作品であるかを再認識した。ちなみに彼女のアルバムはAMAZONでも全て中古1円、ブックオフでも最安値、セールだと3枚買っても300円である。安すぎる。

橘いずみは、1992年『君なら大丈夫』でデビューする。最初は「がんばろう」系の歌をギターで切々と弾き語るスタイルで、後の自虐的とか言われるイメージとは違い、曲そのものも地味だし、特別に魅力を感じるようなところはあまりなかった。そんな彼女も2nd『どんなに打ちのめされても』(1993)でスタイルを一変させる。アルバムに先立ち「失格」がヒットするが、この曲こそが彼女のスタイルの先駆けとなる。アルバム全体のイメージからすると中島みゆきのような情念的な歌を当時の流行サウンドにのせて歌うような感じか。アルバムのプロデュースを須藤晃が担当していたこともあって、彼女は「女・尾崎豊」と呼ばれることもあったが、歌詞の内容からすれば、「現代風・中島みゆき」というのが正しいと思う。尾崎豊が広域な愛をテーマとしていたのに対し、橘いずみの歌う愛は常に限定的で、どちらかと言えば中島みゆきに近い。(シェリーやロザーナは特定された女性のイメージではないでしょう)

3rd『太陽が見てるから』(1994)は彼女のスタイルが確立した傑作であろう。
歌そのものが先鋭化し、愚鈍な空気が切り裂かれるような、自己言及的な心苦しい感覚に溢れているものの、そこには何かしらアカルイ希望も垣間見える。過激な歌詞や演劇じみたセリフは時にどぎつく感じないでもないが、サラリと聞き流せるような乾いた感覚でもある。いずれにしても彼女独特の声と曲調とが見事に融合し、その味わいを十分に聴かせる内容となっている。
「1982年の缶コーラ」、「可愛い女」、「太陽」、「バニラ」、「ハムレット」、「ひとでなし」、「サルの歌」、「空になりたい」、、、印象的な歌を挙げると殆ど全曲になりそう。「サルの歌」のようにシンプルなバラードもいいし、「ハムレット」や「空になりたい」のようにメロディやアレンジにポップセンスを感じさせる曲もあって、彼女の曲作りにも大きな成長がみられる。

そして4th『こぼれおちるもの』(1994)である。
このアルバムが如何に素晴らしいか。まず楽曲がバラエティに富んでいる。これまでの一本調子な構成に比べて、このアルバムにはいろいろな趣向があり飽きさせない。1曲毎のアレンジにも進歩が見られ、歌詞だけでなく、メロディや楽器の音もよく響く。大ヒットした「永遠のパズル」、「上海バンドネオン」、「DARK ZOO」、「アドバイス」、「こぼれおちるもの」など、彼女の代表曲がアルバムに彩りを与える。見方によっては散漫な印象を与えるかもしれない。しかし、それこそがこの時期の彼女の集大成であり、前作で確立したスタイルを固持しつつ、それを拡張して固執しない姿勢は大いに評価できる。

「こぼれおちるもの」とは何か?
人には言葉以前の何らかの思いがあり、それを掬い言語化することによって考えが表明される、、、というのは「現代思想的」に間違いで、言語化したことがすなわち彼の考えであって、言葉の網の目を紡ぐことこそが思想そのものとなる。つまり、人は何かの思いがあってそれを言語化するのではなく、言語化されたことがすなわち人の思いとなるわけだ。言語の制限の中でしか人は思いを表明できない。これは現代思想の分野では基本的な考え方である。
しかし、言葉の網の目から始源より「こぼれおちて」しまったものがあるという決して拭われない幻想があるのも確かなのだ。だから僕等はその余韻に接するよう深遠に耳を澄まし、歌の響きを感じたり、声そのものに心を打たれる。

『こぼれおちるもの』には、これまでのアルバムにはない都会的な幻想が散りばめられている。「上海バンドネオン」はまるで後期の井上陽水の曲を思い起こさせる。いままでのようなストレートなアレンジとは違う、より装飾的で、多面的な味わいがある。そして大ヒット曲「永遠のパズル」は彼女の新しい名曲となった。楽曲そのものの素晴らしさと共に、冒頭のハーモニカの素朴な音色、セルフハーモニーの重なり合う声の響き、そして歌詞。そこには聴く者を宙吊りにするような力、はっとさせる瞬きがある。

迷ってるうちに日が暮れて前がみえない
暗がりの中で誰かの足跡探しているよ
流した涙の数だけ
それだけの喜び本当に君を救っているかい
本当に君を救っているかい

橘いずみ 「永遠のパズル」

次作、5th『十字架とコイン』(1995)もなかなかいい曲があるし、アルバムとしてまとまっているとは思うが、そのスタイルが確立しすぎてしまったが故の自由度の無さを感じる。前作のようなバラエティにも少し乏しい。

改めて言うが、『こぼれおちるもの』は90年代のJ-ポップ&ロックの傑作アルバムである。それは彼女の足跡を考えれば、まさに「こぼれおちるもの」の集積であったが故の必然だった。AMAZON中古1円の内に買って聴くべしである。これホント!

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by onomichi1969 | 2008-03-29 00:26 | 日本のロック | Trackback | Comments(0)

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