Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

onomichi.exblog.jp

ブログトップ

semスキン用のアイコン01 村上春樹 『東京奇譚集~偶然の恋人~』 semスキン用のアイコン02

  

2005年 09月 26日

a0035172_1932652.jpgこの短編では2つのことが確信的に語られている。
ひとつは「偶然の一致」について、もうひとつは「赦し」について。
そしてこれら2つのことが物語として繋がる時、この小説は僕らにささやかなバイブレーションを届ける。

偶然の一致とは、実はとてもありふれた現象で、その大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされる。しかし僕らに強く求める気持ちがあればそれはあるメッセージを浮かび上がらせる、その時、それはまったく不思議なことなのではなく、僕らの為に呼び寄せられた必然的な出来事になりうるのだ、、、ここで著者はこの物語の語り部たるゲイの調律師にそう語らせるのである。

村上春樹の小説では、このような感覚の出来事はわりとありふれているが、ここまでストレートに偶然の一致について述べた(語らせた)ことはなかったように思う。確かにその偶然というものの捉え方には素直に納得するし、至極もっともなことだと思う。しかし、僕らは一体何を強く求めればいいのだろうか?

著者自身もゲイの調律師の言説を少々都合がよく、対象があいまいすぎると感じているようだ。そのため、よりシンプルなものの考え方として、神様(偶然)を引き合いに出す。
僕自身の感触でも、僕らがあるきっかけを捉えるには「偶然を必然に変えるような強い意思」を持つというよりも、常に自分自身に耳を澄まし、自らの視点を安定させることで自身の明澄たる心の有りようが得られる、そのことこそが大事なのではないかと感じる。もっと言えば、きっかけやタイミングのようなものにいかに素直に捉えられるかは、「赦す」という心持ちからこそ得られるものだと思うのだ。

『海辺のカフカ』が赦しの物語であったように、この短編でもゲイの主人公が喧嘩別れした姉を赦す場面が描かれる。赦しという行為は、相手が僕と同じ(弱い)人間であるという確信に由来する生きていく原理そのものである。僕らがまっとうに生きていく為には、いまこそ「赦す」ことからやり直さなければならない。その為のきっかけを掴む為に僕らは常に自分自身に耳を澄ます。そしてそこに見えてくる自分自身の弱さを優しさの感情へと変えていくのだ。
[PR]

by onomichi1969 | 2005-09-26 23:00 | | Trackback | Comments(1)

トラックバックURL : https://onomichi.exblog.jp/tb/2271336
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented at 2005-10-01 20:59 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
アクセスカウンター