井上陽水 『招待状のないショー』(1976)
2005年 05月 29日
陽水の音楽、特に歌詞の素晴らしさについては、ここで語るべくもない。
彼のアルバムは、発表年代毎に彼の思想を反映したものとなっており、彼と彼自身の叙情性、彼と社会との距離感のズレが年々捩れたものになっていく(大きくなっていくわけではない)ことを如実に表していると言えよう。今回取り上げる『招待状のないショー』(1976)は、そんな彼の過渡期にあたるアルバムと言われ、音楽的にはロック色が強くなり、歌詞にも明らかな変化(捩れや壊れの片鱗)が見られるようになる。その辺りの詳細(ロマンティシズムの行方)については、やはり竹田青嗣の『陽水の快楽』を読んでいただきたい。哲学者竹田青嗣の陽水論は、ある意味で井上陽水の思惑を超えて、人間の観念批判論として圧倒的な読み応えがあると僕は思う。<竹田に言わせると、それこそが陽水の天才たる所以とのこと。。>
そんなわけで、陽水のアルバムはいくつか聴いたが、僕が一番好きなのが、『招待状のないショー』(1976)である。音楽的にも(ロック的強度としても)僕には一番馴染みやすく、しっくりくるし、特にAサイドの4曲目までの展開が楽曲的にも素晴らしいと感じる。
1.Good,Good-Bye
2.招待状のないショー
3.枕詞
4.青空,ひとりきり
ここで通底する心情とは、はるか彼方の憧れとしての彼女と現実的に別れてしまった彼女、この2人の彼女への想いとそこで立ち止まる自身への戸惑いである。そしてここで彼にはある確信が去来しており、それは揺るぎない確信として、僕らはそこに微妙にズレて壊れたリリシズム、ロマンティシズムの変異を見るのである。
手っ取り早く、彼の詩を並べてみることにした。この流れの中に、彼にとっての変異点がある。その先にこそ、『ジェラシー』があり、『リバーサイド・ホテル』があり、『少年時代』がある。
------------------
Good, good-bye / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
Good, good-bye さよならBaby
そろそろこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
こんなに遅くまでありがとう
終りはいつもさみしくて 悲しくひびくメロディー
別れのテープはからみつくだけの邪魔なもの
Good, good-bye さよならBaby
とにかくこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
ひとりぼっちは使い捨ての言葉
また会えるのはいつだろう?
約束なんかしない
想い出した時、想い出せば、想い出す
Good, good-bye さよならBaby
本当にこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
いとし 悲し 寂し
------------------
招待状のないショー / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
誰一人見てない僕だけのこのショー
好きな歌を思いのままに
招待状のないささやかなこのショー
恋を胸に闇に酔いつつ
声よ夜の空に星に届く様に声よ
変らぬ言葉とこの胸が
はるかな君のもとへ届く様に
カーテンコールさえ僕の気持ち次第
一晩中歌うのもいい
声よ夜の空に星に届く様に声よ
変らぬ言葉とこの胸が
はるかな君のもとへ届く様に
------------------
青空、ひとりきり / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
楽しい事なら何でもやりたい
笑える場所ならどこへでも行く
悲しい人とは会いたくもない
涙の言葉でぬれたくはない
青空 あの日の青空 ひとりきり
何かを大切にしていたいけど
体でもないし心でもない
きらめく様な想い出でもない
ましてや我身の明日でもない
浮雲 ぽっかり浮雲 ひとりきり
仲よしこよしはなんだかあやしい
夕焼けこやけはそれよりさみしい
ひとりで見るのがはかない夢なら
ふたりで見るのはたいくつテレビ
星屑 夜空は星屑 ひとりきり
楽しい事なら何でもやりたい
笑える場所ならどこへでも行く
------------------
結詞 / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水
浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空
今日をかけめぐるも
立ち止まるも
青き青き空の下の出来事
迷い雲 白き夏
ひとり旅 永き冬
春を想い出すも
忘れるも
遠き遠き道の途中での事
浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空
------------------
もう解説は要らないだろう。。。
そうそう、この後、彼はこんな歌を歌うのだ
遠くで誰か泣いている様な気がする
窓辺の風と同じくらい静かに
君にさわらずどんなKissをしようか 今夜
今夜 『スニーカーダンサー』(1979)より
さらに捩れてる。。。いとし、悲し、寂し
(村上春樹の『ダンス ダンス ダンス』のプロローグに少し似ている気もする)
by onomichi1969 | 2005-05-29 08:06 | 日本のロック | Trackback(1) | Comments(14)
一度聞いたら忘れられない曲 「なぜか上海」 が収録されている井上陽水の 8thアルバム。 「あんた上海に行ったこともないのによくそんな詞が書けるねぇ」 とタモリに言われたんだとかw そのまま もそ、もそ、も、もそっとおいで / 友達 さそ、さそ、さ、さそっておいで いいから まそ、まそ、ま、まそっとおいで / ギターを ホロ、ホロ、ホ、ホロっと弾いて これらの歌詞が歌われる箇所は、ヒップホップで言うところの「フロー(節回し)」が良いし、 何よりも緩い語感が耳に残る。曲はというと、上海...... more
(何回も読んでしまいました。)
竹田青嗣の『陽水の快楽』、読まなければ!
正直言って、当初は陽水がこんなにビッグな存在になるとは思っていませんでした。不明を恥じます。
onomichiさん仰せの通り彼の詩は独特な世界を作り上げ、まさに「One and only」という気がしますね。そしてそこに加えて、あのクリスタルのように硬質で美しい声が、また彼の作品を唯一無二のものにしている要因だと思います。
・・・今回は、この程度のコメントしかできない~(´∇`)
ご多分にもれず言語ゲームなどと格闘していた大学時代に「現代思想の冒険」や「現象学入門」「ハイデガー入門」など判り易い本を沢山書いてくださり大変お世話になりました。この『陽水』も随分読ませていただきました。今となってはサブカル分析の古典の一冊に揚げて良いですよね。
『陽水の快楽』は面白い本です。これは陽水を題材としたロマンティシズム解析でしょう。ということで、ぜひ!
あの声の響きこそが陽水の天才性の現われということらしいです。まさに「One and only」ですね。
天才的な声の響き。。。ということで言えば、僕はやっぱり60年代のブライアン・ウィルソン。言葉にならない声の響き。それは生まれ持った天才性なのです。
『少年時代』は映画もいいですねぇ・・・ラストシーンは陽水の歌と共に忘れられないでしょう。
僕は竹田青嗣の初期文芸評論が好きでした。『現代批評の遠近法』とか『世界という背理』とか、もちろん『陽水の快楽』も。学生時代にはまりましたねー。
でも取っ掛かりは、やっぱり『現代思想の冒険』かな。当時、大学生協の本屋に平積みされていたから、結構その頃の学生は読んでたりするんじゃないかなぁ。
そうそう、陽水がつねにサングラスを掛ける理由として、こう書いています。。。
「たとえば、いかがわしい場所で人間の道を極めるため。」
サングラスを掛けつづけている限り、彼のこの想いは続いているのでしょう。
こんばんわ。
敢えて時代を分ければ、僕もフォーライフ設立後の『招待状のないショー』から『LION&PELICAN』までをよく聴きます。70年代から80年代にかけての時代ですね。
ここにはいわゆる事件が挟まっていますが、今ではそれも含めて、これらのアルバムの流れに井上陽水というロマンとエロスの変遷劇を見ることができるのです。。
割と最近、陽水を聞き始めたのですが・・・
>彼と彼自身の叙情性、彼と社会との距離感のズレが
>年々捩れたものになっていく
ここの下り、なるほどと膝を打ちました。
2枚組のベストと「スニーカーダンサー」しか聞いたことありませんが、
80年前後のアルバムが面白そうだなあ、と思っております。
最近あまり聴いてませんが、、、陽水は奥が深し、です。
今回、分節点ということで『招待状のないショー』を紹介しましたが、
おっしゃるように80年前後が一番の買いでしょうね。