ゼロ・グラビティ "Gravity"
2013年 12月 26日
やはり字幕版で見るべき。僕らは主人公と同じようにジョージ・クルーニーの声に励まされ、生かされていると感じる。
彼は主人公が掴んだ命の綱を自ら手放す。確かに均衡した力学的作用からすれば、彼はカラビナを外す必要はなかったのかもしれない。しかし、彼は外した。彼女をひとり生かす為に。この映画は「生きる」ということが継承であり、究極的に個闘だということを主張しているように思える。
自らを犠牲にして彼女を生かす。時に彼女を優しく叱責し、力強く励ます彼の声は、可能性という名の希望。天の声であり、心の声である。外部からの声である。
生きる意味とは何?
彼は主人公に問いかける。そこまでして生きる意味、生に執着する価値とは?
その問いこそがシンプル故に心に響いた。
人は、というか、生命とは、そもそも犠牲により成り立ち、綿々と受け継がれてきた。限りがあることにより伝承され、死に生まれる。壮大な宇宙空間だからこそ、そういった生命の成り立ちがくっきりと見えてくる。宇宙で生まれ、地球に受け継がれたものとして、生命は在る。
ちなみに地球での生活が破綻していたからこそ、彼は宇宙を漂う生の充実と終焉を選んだとも言える。海の底のグラン・ブルーと同じ。それって男のロマンだよね。そんなものが2010年代に生き続けていたとは。。。それも「宇宙」だからこそ? とても胸が痛くなった。2013年アメリカ映画
by onomichi1969 | 2013-12-26 08:17 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)