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Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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2011年 06月 06日

a0035172_122525.jpg『マイ・バック・ページ』を観た。原作を読んだのが20年以上前なので、殆ど内容を覚えていなかったけど、なんとなく原作よりも映画の方がよかったような気がする。結構ぐっときた。センチメンタルにすぎる嫌いはあるけど。(それが監督の味であり、原作の特徴でもあるか)

学生の頃、川本三郎の評論が結構流行っていてよく読んだ。『都市の感受性』とか『朝日のようにさわやかに』とか。川本は、村上春樹や村上龍の小説をこれまでの日本の小説とは違う新しい(まさに「朝日のようにさわやかな」)感受性として捉え、そのポップな都市感覚を最大限に評価していた。そういう意味ではかなり先駆的な評論家だったと思う。僕は、どちらかと言えば彼の映画評論が好きで、その評価を通して、サム・ペキンパーの映画やアメリカンニューシネマの良さなどを理解した。しかし、評論としての思想的なバックボーンとか、現代思想的な位置づけという意味では、それほど奥行があったわけではなかったこともあり、92,3年以降は殆ど彼の本は読まなかった。

『マイ・バック・ページ』も90年代初めに読んだと思う。この本は他の評論とは少し毛色が違う小説風の自伝で、川本三郎にとっては後にも先にもない彼自身の60年代を総括した青春の書だったのだと思う。『マイ・バック・ページ』って、過去を振り返るという意味だと思うけど、ディランの歌詞にもあるように、それは「苦さ」や「挫折」と共にあるもので、映画の中でそれは『真夜中のカウボーイ』のダスティン・ホフマンの最後の惨めな姿を引き合いに語られており、主人公自身の最後の慟哭にも繋がっている。『ファイブ・イージー・ピーセズ』を観た少女が「きちんと泣ける男の人が好き」と主人公を諭したことを伏線にして。

この映画の良さは、マツケンの語り口とその佇まいにあると思う。
C.C.R.を弾き語る無邪気さや、彼女にささやく甘い言葉、上滑りする論理、仲間が自衛隊駐屯地に潜入している時にしゃーしゃーと漫画を読んで笑っている姿(それを同志の女性に見られても平気な体面)、警察に対する飄々とした虚偽の受け答え。実に多面的かつ、それぞれに表層的すぎるキャラクターを見事に演じていた。何事をもカッコにいれて、ただ運動で名を残すことだけを目的としていた男。その打ち捨てられた構造だけを模倣して、本物になろうとした(なれると錯覚した)男。それはそれで魅力的にも見え、且つ示唆的だとも思った。

とは言え、当時の全共闘の学生達が目指していたことを軽くみてはいけないと僕は思う。ただ訳も分からず彼らは戦っていたわけではない。彼らは何を打倒しようとしていたのか。それは、「世間」と呼ばれていたもの。今でもそれは日本社会に蔓延り、日本人の倫理を決定づけている。というよりも、日本人が本当の意味の倫理感を抱くことを強力に阻害している頽落そのものが「世間」なのである。それは「空気」とも呼ばれる。空気との戦い。(そりゃ勝てんわな)

気が付けば、闘争の論理は空虚なものとなり、敵となるべき対象を射程できずに、全ては内ゲバとなった。それが連合赤軍事件である。

それでも、当時、学生達が大学という特権的な空間にいたが故に「世間」に対峙できたこと、それはとても自覚的なものだったのである。しかし、いまや世間と大学の間には何の境界もなく、それは無自覚であるが故に問題意識の端にもかからない。「思想やジャーナリズムなんて分かりませーん」と臆面もなくつぶやく若者達を作ったのは「あの頃の僕らより、今の方がずっと若いさ」として過去の挫折を総括してしまった団塊の世代の大人達なのは確かだろう。彼らが「世間」を軽く見做すものとして、そこから逃走するものとして、80年代のポップカルチャーを設定したのは60年代から地続きの現象であったが、70年代以降に生まれた者たちにその意味や経緯がまともに伝わることはなかったのである。

ディランが"but I was so much older then , I'm younger than that now."と言ったのは、まだ彼が23歳の頃、1964年である。本来、柔軟で多義的な世の中を、プロテストソングの名のもとに、善悪や白黒という二項対立的なものに分ける凝り固まった自らの言説自体を「老成していたもの」と見做したのだ。

Girls' faces formed the forward path
From phony jealousy
To memorizing politics
Of ancient history
Flung down by corpse evangelists
Unthought of , though , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.

少女の瞳はいんちきな嫉妬から
前向きの小道をつくり
古い歴史ある政治の記憶へと向かう
死体の福音主義者によって
思いもかけず叩きつけられたようだ 
とはいえ、
ああ、あの時、私は今よりも老けていて
今はあの時よりもずっと若い

Yes , my guard stood hard when abstract threats
Too noble to neglect
Deceived me into thinking
I had something to protect
Good and bad , I define these terms
Quite clear , no doubt , somehow.
Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.

そう、私の護衛者は守りを固くした
無視するにはあまりに高貴な
抽象的な脅威が私を騙して、
私には守らなければならないものがあると
考えさせた時に、
善と悪、これらの言葉を
私はとても明確に定義したのだ
疑いもなく、
ああ、あの時、私は今よりも老けていて
今はあの時よりもずっと若い

Bob Dylan "My Back Pages"(日本語訳:ネットより)
主人公の部屋の壁にはディランのレコード"Another Side of Bob Dylan"がちゃんと飾ってあった。エンディングの真心ブラザーズの『マイ・バック・ページ』も心に響いた。映画を観た帰りの道、ディランの『アナザーサイド』と真心ブラザーズの『KING OF ROCK』をipodで繰り返し聴いた。"My Back Pages"のメロディにまたぐっときた。

by onomichi1969 | 2011-06-06 00:39 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(3)

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Tracked from soramove at 2011-06-12 23:42
タイトル : 映画「マイ・バック・ページ」そんな時代もあったねと
「マイ・バック・ページ」★★★☆ 妻夫木聡 、松山ケンイチ、 忽那汐里、石橋杏奈、中村蒼、韓英恵出演 山下敦弘監督、 141分 、2011年5月28日日公開2010,日本,アスミック・エース (原作:原題:マイ・バック・ページ - ある60年代の物語)                     →  ★映画のブログ★                      どんなブログが人気なのか知りたい← 「映画の内容は詳しくは知らなかったが 妻夫木 聡と松山ケンイチの共演がどんなか 興味があっ...... more
Commented by トアニー at 2011-12-02 23:55 x
…「思想やジャーナリズムなんて分かりませーん」と臆面もなくつぶやく若者達…とありますが、onomichi1969
さんは今の日本でどのような思想が有効性をもつと考えてますか?
またジャーナリズムを端的にどのようなものと考えてますか?

もしよければ、教えてください。
Commented by onomichi1969 at 2011-12-03 01:04
こんばんは。
難しいことを聞きますね。
ちなみに「思想やジャーナリズムなんて分かりませーん」と臆面もなくつぶやく若者達をつくったのは団塊の世代の大人達と書きましたが、その若者達というのは80年代に青春を過ごした僕らの世代以降を想定しています。
僕らの世代に思想なんてありません。思想(イデオロギー及び共同観念)の有効性などというものが信じられない世代と言っていいでしょう。僕もそう思ってます。
ジャーナリズムに関してはあまり関心がないので僕自身の意見としては特にありません。
それでは。
Commented by トアニー at 2011-12-03 17:05 x
僕の読み違いでしたね。

今の若者批判と勘違いして、つい向きになってしまいました(汗)

すみませんm(__)m
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