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Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 尾崎豊について 2000年3月5日13時24分onomichi semスキン用のアイコン02

  

2004年 09月 20日

尾崎豊について 2000年3月5日13時24分onomichi_a0035172_2223773.jpg尾崎豊が死ぬ少し前のことだったと思う。CDショップに偶然に流れていた尾崎豊の新曲に胸を揺さぶられたことがあった。僕は足を止め、その曲に聞き入る。それは「誕生」という曲だった。そして、それは紛れもなく尾崎豊の現在形であり、高校時代以来、まともに尾崎豊の曲など聴いていなかった僕にとって、微かな衝撃でもあった。

尾崎豊といえば、「17歳の地図」や「回帰線」が有名であり、若者のもつ鬱屈した感情をストレートに歌い上げることで、多くの共感を得た。その当時、洋楽一筋の高校生だった僕にとっても、それは今までの歌謡ロックとは違った新しさとして受け止められるものだった。そしてその歌詞。「大人との戦い」「支配からの卒業」…。僕らは自由を奪われているけど飢えた狼なんだ、夢をあきらめちゃいけない、でもいつになったら辿りつけるのだろう…。多分にナイーブな感性をもちつつ、現状からの飛躍を願うという尾崎豊の歌は、僕らのある思いを代弁していたことは間違いない。でも、それは一種の熱病のようなものでもある。僕らはうなされ、そして醒める。社会というものの中で生きている以上、いつしかそこから抜け出れないことを自覚し、なんとか居場所を探そうとすることだけに懸命になる。それが生きていく術(すべ)に違いないのだから。
僕らにとって尾崎豊とは、若者のもつある種のイメージを広く共有させ、共感させてくれる一種の装置として機能したのだろう。それは、時代的な要請でもあった。80年代のあの時代だったからこそ、僕らの自覚的な「生き難さ」に触れえたのだろうと思う。
僕は「壊れた扉から」を境に尾崎豊の曲から遠ざかることになる。もちろん、彼自身の活動休止時期もあり、気が付くと尾崎豊の曲を自らの青春の1ページを飾るBGMとしてしか捉えられなくなっていた。「街の風景」や「卒業」も、今の僕らにとって甘いセンチメンタリズムとともに思い起こされる。「そういう時期もあったなぁ」って。

では、尾崎豊はどういう風に年を重ねたのだろう。
尾崎豊を一個の人間として捉えた時、そういう疑問が湧いてくる。彼もいつまでも子供ではいられなかったはずだ。いつまでも同じ歌を歌ってはいられない。辿りつけないことを歌い続けるわけにはいかないのだ。
尾崎豊の「誕生」は、彼のこれまでの道程を赤裸々に歌い上げた告白の歌である。彼は歌う。
「生きる速さに追いたてられ、愛求め、裏切られ、でも自分の弱さに負けないように立ち向かうんだ、さぁ走りつづけよう、叫びつづけよう、求めつづけよう、この果てしない生きる輝きを…。生まれてくるものよ、お前は間違ってはいない、誰も一人にはなりたくないんだ、それが人生だ、分かるか…。」
まともにいったら彼は、挫折によって袋小路に追い詰められ、孤独とともにすべての可能性は閉ざされていたはずだろう。彼は確かに愛の消えた街を飛び出し、自由と夢を追い求め、そして戦いに敗れ、挫折したのだ。でも、彼はまだ「走りつづけよう」としていた。彼が走りつづけようとしたその視線の先に何を見ていたのか?それは分からない。
しかし、問いを失いながら生きつづけている僕らの視線とは明らかに違う、それは、ある可能性を根拠として見すえられている視線ではないか。そう思えないこともない。
「誕生」を聴いて、僕にはそう感じられた。

村上春樹に「ダンスダンスダンス」という小説がある。この小説のモチーフをこう捉えることができる。「すべてを失った主人公が、根拠のないこの世界で、どのような生きる正しい道筋を辿ることができるのか?」
この小説において、主人公は最後に生そのものの狂気を理解しつつも現実的な生活を選ぶ。その着地点が現代に生きる僕たちにとって、今では凡庸に思えてしまうのは仕方のないことだ。でも、村上春樹が志向しようとしたそのモチーフは今でも生きているだろう。僕らはいまでも根拠を失っているのだ。

僕は、「誕生」から彼の使う「愛」というタームがこれまでとは違うニュアンスで捉えられており、そこにある種の可能性を見出していたのではないか、というように思える。
世界は閉ざされ、僕らは昔のように自由や夢という言葉が作り出す「世界を跳躍する」というイメージを信じられなくなっている。それでも、僕らの可能性が全く失われてしまったわけじゃない。「愛」という可能性を求めつづけることができる。「愛」とは、逆に自らの思いの可能性そのものだと。それは相手に届かない思いとしてでさえも、その可能性は失われない。思いの可能性が失われるなんて永遠にあり得ないじゃないか。
「だって、だれも一人にはなりたくないから」
「ただ、これからは別々にさがすだろうか、ロザーナ」
彼は、共闘をやめた。「ロザーナ」「汚れた絆」は、ある意味で僕らに向けた別離のメッセージだったのだろう。僕らはもう一緒にはなれないだろう、だけど生きていく可能性はあるんだ。そういうことを僕らに信じさせる、そういう歌を歌いつづけたかったのだ。

尾崎豊が死んで何年経つか?
彼が生きていたら、この時代にどんな歌を唄っていただろうか。僕らは心を振るわせつづけることができただろうか。でも、今、それは時代遅れな感覚になりつつある。哀しいことだけど。

彼のラブバラード「ふたつの心」や「For-get-me-not」の詩は、シンプルに素晴らしい。悲しみも彼自身の思いの現れを想起させるから。
「分け合うものなど始めからないけど、心さえあれば、いつでも、ふたりはあるがまま…」

by onomichi1969 | 2004-09-20 22:21 | 日本のロック | Trackback(2) | Comments(0)

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