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semスキン用のアイコン01 AREA '09.9.7号 『犬を殺さないドイツの常識』 semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 20日

a0035172_1546030.jpg少し古い記事になるけれど、ちょうど衆院選開票の直後に発売された民主党記事満載のAREAの中に、以下のような記事が(ひっそりと)あった。ここに全文が掲載されているので、興味のある人は参照して欲しい。

AREA '09.9.7号に『犬を殺さないドイツの常識』

正直、この記事の内容には驚いた。
ドイツという国には僕も何回か行っており、環境や福祉への取り組みが進んでいる国だとは思っていたけど、ここまでとはねぇ。翻って、日本をみれば、年間13万匹の犬が自治体に引き取られ、その内の10万匹が処分されているという。

この記事には、わが国にとって示唆的なところが随所にあるように思える。ひとつは、「犬法」という考え方で、リンク記事には本文で参照しているチャートが記載されていないので、以下に雑誌から抜粋してみる。

・犬は戸外において十分な運動と飼育管理している者との十分な接触が保障されなければならない。
・子犬を生後8週齢以下で母犬から引き離してはならない。
・戸外で犬を飼育する者は保護壁及び床断熱材を使用した日陰の休息場所を提供しなければならない。
・犬を室内で飼育する条件として生活リズムのための採光と新鮮な空気が確保できる窓がなければならない。
・犬舎(檻)の大きさは少なくとも犬の体長の2倍の長さに相当し、どの1辺も2メートルより短くてはいけない。
・体高50センチまでの犬の場合、犬舎(檻)の最低面積は1匹あたり6平方メートルなければいけない。
・飼育管理する者は犬の生活環境を清潔に保ち、糞は毎日取り除くこと。
(AREA’09.9.7号より抜粋)

この「犬法」と共に、「犬税」というものもあって、犬1匹で年1-2万円、2匹目からは年2-4万円の課税となるという。これらの負担によって、人々が安易に犬を飼うことへの抑止力になっているらしい。
ペットを飼うということに対する国民の意識の高さには正直言って承服せざるを得ない。これはドイツの人々にとっては、犬といえども命を如何に大事にしているか、或いは犬の命が他の動物とは如何に違うかを物語っている。また、これらはドイツの歴史的な背景(というかトラウマ)とも十分に関係しているようにも思える。

ものごとにはお金がかかる。この記事の最大の驚きはその資金が全て個人や企業の寄付によってまかなわれていることだ。前述の国全体としての意識の高さもあるけれど、よほど業界団体の圧力が強いのだろう。殺さない為には産まないことも重要だから、記事にはないけど、そのあたりの処置にもしっかりと規制があるのだろう。

記事の筆者である太田匡彦氏はこれまでに同様のテーマで以下のようなレポートを書いている。

犬ビジネスの「闇」
隔週木曜日は「捨て犬の日」

上記のAERA-netリンク記事の続きは、以下のサイトでほぼ確認できます。ご参考まで。

殺される犬達: AERA 12/8号 「犬ビジネスの『闇』」 
AERA '09.4.13号より 隔週木曜日は「捨て犬の日」
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by onomichi1969 | 2009-09-20 15:57 | 時事 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 映画のプロが選ぶ21世紀の日本映画ベスト10 semスキン用のアイコン02

  

2009年 07月 05日

AERA MOVIE ニッポンの映画監督 (AERA Mook AERA MOVIE)
(2008/02/19)

2001年から2007年8月までの実写作品が対象。評価しているのは映画評論家やライター、映画祭関係者、上映関係者など、61人とのこと。

1位:ユリイカ
2位:誰も知らない
3位:ゆれる
4位:下妻物語
5位:それでもボクはやってない
6位:ハッシュ!
7位:いつか読書する日
8位:パッチギ!
9位:血と骨
10位:フラガール
11位:たそがれ清兵衛
12位:ジョゼとトラと魚たち
13位:アカルイミライ
14位:ヴァイブレータ
15位:UNloved
16位:回路
17位:美しい夏キリシマ
18位:殺し屋1
19位:天然コケッコー
20位:害虫

※12本鑑賞済み。1-3位は納得かな。
2008年の映画を入れると変わってくるでしょうね。
ということで、、下記は2008年のキネマ旬報ベスト10です。こちらも参考まで。

第82回(2008年度)キネマ旬報ベストテン<日本映画>

1位 おくりびと
2位 ぐるりのこと。
3位 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
4位 トウキョウソナタ
5位 歩いても 歩いても
6位 闇の子供たち
7位 母べえ
8位 クライマーズ・ハイ
9位 接吻
10位 アフタースクール
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by onomichi1969 | 2009-07-05 13:05 | ランキング | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 「沖縄集団自決を現場検証する」 AERA '08.2.25記事 semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 19日

a0035172_2358417.jpgAERA(朝日新聞社発行のニュース週刊誌)が朝日新聞を批判。。。
僕は月曜日が新幹線通勤なのでその曜日に発売日となるAERAをよく買う。殆ど惰性で読むことが多いAERAであるが、最新号の特集記事は少し違った。
タイトルは「沖縄集団自決を現場検証する」である。まぁ元朝日新聞の記者が書く記事なので、内容はいつものように集団自決をめぐる教科書検定問題に関しての政府や文科省批判だろうと思って読んでみたが、実際は全然違って、客観中立的、至極真っ当な論考で正直驚いた。

a0035172_23582865.jpgこの問題に関しては、僕も過去に本ブログで記事を書いたことがある。それは、沖縄戦の渡嘉敷島で起きたとされる軍命による集団自決を検証し、実際にはそのような命令がなかったことを住民や島に駐屯した旧隊員らの証言によって明らかにした曽根綾子のルポタージュ『ある神話の背景』を評価したものだ。今回のAERAの記事は僕のエントリーと概ね同じ視点によって書かれており、共感が持てた。その骨子はこうだ。

・記者は沖縄戦での集団自決の舞台となった座間味島と渡嘉敷島を訪ね事件の当事者達にインタビューする。
・そこで沖縄戦時の米軍上陸前後の狂乱の中で斧、鉈、鎌、鍬、、、手榴弾などにより、夫婦、親子、兄弟たちがお互いに殺しあった状況を知る。
・いまも2島には殺害の加害者と被害者(及び家族)が共存する。63年間、狭い島内で過去に触れずに暮らしてきた現状があった。
・大江健三郎は『沖縄ノート』の中で自決を住民に命令したとして、当時、2島に駐在していた軍司令官をナチスのアイヒマンになぞらえて批判した。その著書の中で自決命令者として特定された梅沢少佐や赤松大尉の親族が大江健三郎に名誉毀損の訴訟を起こしている。この問題が係争中であること、それが文科省によって教科書の記述に検定意見がつけられた根拠のひとつとなっている。
・渡嘉敷島の事件については曽根綾子が『ある神話の背景』(1973)において、赤松大尉の集団自決命令にはいかなる根拠もないと結論付けている。(逆に島民に自決せずに生きることを説いていたという)
・その他、軍命令の存在を否定し、戦後に集団自決の遺族に援護法による給金を適用するためにやむをえず隊長命令としたという趣旨の証言書が多く発見されている。同様の趣旨のものがすでに『沖縄県史』や『沖縄県警察史』に渡嘉敷島の集団自決の経緯として具体的に記載されている。
・集団自決を軍の強制とする論者の有力証言となっているのは、最近になってしきりに報道されているある女性の証言である。それは村助役が自決の軍命令をその女性の家族に告げたというものあった。
・「戒厳令下では村助役の指示も軍命令と同じである」という軍制学教程があり、当時、発令はされなかったが事実上「戒厳令下」であったと見做せる。「村助役が軍命だといえばそれは否応なく軍命なのである」 それが集団自決を軍の強制とする論者の論法となっている。
・また、集団自決は当時の日本、特に沖縄の皇民化主義体制が引き起こしたものであり、集団自決というそこだけを見ていると問題を矮小化してしまう、という当時の軍国化、皇民化された日本の全体主義そのものへの批判に展開される。
・集団自決の背景には新聞などの媒体による鬼畜米英宣伝の影響が強くあった。新聞は例えばサイパンでの集団自決を「非戦闘員たる婦女子も亦生きて鬼畜の如き米軍に捕はれ恥辱を受くるよりは」(44年8月19日付朝日新聞)などと称賛していた。

そして、最後に記者はこう結んでいる。
「この際、取材者は文科省に提案する。日本史教科書なら日本史教科書でいい。いかなる憶測も排し、あの時の、確認し得る限りの日本人の集団自決の事実そのものをすべて、避けることなく直視し、淡々と記述してほしい。論評はいらない」

僕も全くそのとおりだと思う。とても真っ当な意見である。しかし、こういった意見をメディアで目にすることは久しくなかった。この記者は元朝日新聞の記者らしいが、AERAという媒体で堂々と朝日新聞批判もしてみせるのだから、なかなか勇気のある人物なのだろう。批判はたくさんあろうが、そういう人たちにこそ今回の朝日新聞社AERAの記事は発信されているのだと思う。
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by onomichi1969 | 2008-02-19 09:14 | 時事 | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 「塾行ってないエリート探せ」 AERA'07.1.15記事 semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 07日

家庭の事情により、普段は相模原に一人暮らし。週末の金曜日の夜か土曜日に静岡の実家に帰り、月曜日の朝に横浜の会社へそのまま通勤する。こんな生活をもう8年ほど繰り返している。静岡から横浜の会社までは約1時間40分程度。普段の通勤が1時間15分程度だから、時間的にはあまり変わらないと言えばそうなのかもしれないけれど、新幹線に座ってゆったりと過ごす時間は、普段のせかせかした通勤と違い、とても落ち着いた時間なのである。あったかいコーヒー(夏は冷たいカフェオレ)を飲みながら雑誌をペラペラとめくる、読みかけの小説を読む、少しだけ眠る、これが案外と落ち着く時間なのである。

a0035172_2184284.jpg雑誌と言えば、ここ何年かはちょうど月曜日が発売日ということもあり、AERAを毎週のように買っているのだが、最近この雑誌はあまり読み応えがない。12~3も記事があれば、その中に興味をそそるような内容があってもいいものだが、最近はそれもない。というか、普通は1~2の目玉記事のようなものがあって、それはそれなりに読ませる内容であってしかるべきだろう。そうであれば、他の記事が多少軽くて内容がないものであっても許せる。しかし、それが全くないとなると、、、

a0035172_2193041.jpgそんなAERAの本日発売号の記事
「塾行ってないエリート探せ」(副題:安部首相肝いりの教育再生会議が、オモシロイことになっている。ノーベル賞の野依良治座長(68)が「塾禁止」を提言。「我々は塾に行かずにやってきた」というんですが・・・。)

この記事ははっきり言ってひどい。(記事名もひどいけど) 記事としての主張が全くないどころか、著名人たちのコメントを羅列しているだけで、それを最後に揶揄しているのみの(悪意さえ感じられる)内容である。これじゃあアマチュアの高校生新聞レベルだし、素人のブログだって記者の意見というものがちゃんとあって、もっと読ませる内容のものはたくさんある。こういう内容を主題にするのだからそれなりの問題意識があってしかるべきだと思うが、記事を読む限りはそういった意思が全く伝わってこないし、結局何が言いたいのか、何を問題提起したいのか?さっぱり分からない。それが伝わってこないというよりも、最初からそこに大した問題なんてないんじゃないか、ただのアンケートであって、そこには実は問題意識の欠片もないのではないかと危惧してしまう。ここは誰でもできるような批判をするのではなく(それは時としてニヒリズムを呼び込むだけ)、本来は記者としてのカウンターメジャーを提言するところではないだろうか。

『でもやっぱり、野依センセイの理想を描いたような人たちは50代。逸材は野放し教育で育つ。確かに一理あるんですけどねぇ。(終わり)』 -AERA当該記事の締めの言葉

世の中に対する問題意識が浅い社会、或いは雑誌記者。そういう時代なのかもしれないけど、内容のない記事を3ページも読んでしまったときの徒労感といったら、、、、全く勘弁して欲しいものである。金を払って買っているんですけどねぇ。。。
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by onomichi1969 | 2007-01-07 01:39 | 時事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 子猫殺し semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 28日

環境省動物愛護管理室によると、日本では1年間に24万匹の猫が処分されており、その大部分が飼い主や地域住民からの通報或いは依頼なのだという。もちろんその多くは子猫である。

巷では『山妣』や『死国』の作者坂東眞砂子の「子猫殺し」のエッセーが物議をかもし出している。僕もようやくその記事の全文を読み、AERAに掲載された彼女の最新文章も読んだ。ついでにYouTubeでワイドショーでのひどい扱いやコメンテーターの短絡的なコメントも鑑賞し、ネットでのバッシングの状況も垣間見た。

坂東眞砂子はかなり確信犯的に「子猫殺し」をエッセーで取り上げたと推測するが、この問題がここまで大きくなり、彼女に対する悪意に満ちた誹謗中傷がネット上に氾濫し、尚且つ彼女への賛同が全くといっていいほど現れない現状には、彼女自身も「生」と「殺し」の問題提起を日本人がどう受け止められるかの目測を誤ったと言っていいかもしれない。「死穢」の問題は日本人にとっての恥部であり、ヒステリックになるのも分かるし、落ち着いて思考できるような問題ではないのである。

しかし、以前にも書いたが、僕は世の中とは逆を向く人間なので、彼女の意見には十分に説得されたし、内容についても自分なりに考えさせられた。そして世間がなぜこの問題に嫌悪感を抱き、即座に短絡的に捉えてしまうのか?
世の中の人たちには十分に伝わったようには思えないが、彼女の真意はおそらく下記の文章(「AERA」No.40より)にあるのだと思う。

「都市は殺しを隠蔽する。そんな言葉が頭に浮かんでいます。都市生活は多くの殺しの上に成り立っているのに、人々は、それから目を逸らし、自分の手はきれいだといわんばかりの顔をして暮らしています。自然の中にいれば、それは幻想であるとわかります。幻想の中で泣き笑い、怒っている。それは、ほんとうに「生きている」といえるのでしょうか」

タヒチという自然の中で生きる責任を一身に背負う。坂東眞砂子がその中で掴んだ生の重みを僕ら都会に住む「きれいな手と錯覚した」人々が非難できるだろうか? 僕らは多く殺すことによって生きている。これは事実である。喰うために殺し、都市を造るために殺す。ただ自分の手を汚さないだけなのだ。昔、「死穢」は目に見える形で僕らの生活の中に存在していた。今、それは完全に隠蔽されている。巧妙に隠されている。それも事実である。彼女はそれをあからさまに暴いてみせた。ただそれだけなのかもしれない。

これは僕の憶測だが、坂東眞砂子はこの「子猫殺し」のエッセーを近代以前の「嬰児殺し」になぞらえているのではないだろうか。嬰児殺しとは、出生後まもない幼児を殺す慣習で、社会的・宗教的な要因、食糧難等の理由により、日本でも江戸から明治時代にかけて、全国の村落で一般的に行われていた風習である。明治政府はこの嬰児殺しの風習を根絶するために「母性」という神話、幻想を流布したといわれている。

「母性」とか「ヒューマニズム」とか、そういった薄っぺらい幻想を剥ぎ取った地平に現れる「自然」というターム。その生の確かな手ごたえ、生と死が渾然一体となったダイナミズムは彼女を確実に捉えたのだろう。それはまさに『山妣』の世界である。ちなみに人間にとっての「自然」とは野生とか本能とかいったものともまた違う。何故なら人間はその出自より本能が壊れているからである。(と言ったのは岸田秀であるが。。)

現代の都会に生きる僕らにとって、その圧倒感は事実としてとうてい受け入れがたいものであり、それは同時に嫌悪の対象である。彼女の論理を100%受け入れるのは正直難しい。それに対し、子猫は可愛い→だから殺すのはよくない、という論理は多くの人々が普通に抱くものであるが、その論拠は実は幻想にすぎない。しかし、その幻想を大事だと考えている人たちがいて、彼らはその幻想によって事実を隠す。坂東眞砂子の「子猫殺し」は自治体が行う24万匹の「子猫殺し」にストレートに結びつくはずなのに、テレビは誰もそのことを問わない。坂東眞砂子の論理が漂わせる嫌悪感だけが彼女を悪者にせざるを得ないのである。とても悲しいことだけど。。。

タヒチの法律で裁く?? 実にくだらない話である。こういうこと言う人は「法律で禁じているから人を殺してはいけないのだ」と本気で考えている人なのだろう。
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by onomichi1969 | 2006-08-28 22:32 | 時事 | Trackback(1) | Comments(6)

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