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semスキン用のアイコン01 桐島、部活やめるってよ semスキン用のアイコン02

  

2012年 08月 27日

a0035172_23293995.jpgとても面白かった。
いわゆるメタ映画であり、尚且つ、それ以上のものが感じられる映画。こういう映画をもっと観たいなぁ。

この映画を味わうには、その構造を理解し、それをどのように解釈するかが重要だと思う。桐島とはいったい何者なのか? 映画部の彼らはなぜゾンビに拘るのか? 野球部幽霊部員の彼は何故、最後に涙を流したのか? いくつかの事象を帰納的に反芻することで、この映画の見事なまでの構成が見えてくる。

映画の解釈については、その高い評価と共に、既にネット上で広まっている。
代表的なのが、不条理劇『ゴドーを待ちながら』(ゴドー(GOD)の不在をめぐる物語)を下敷きとしつつ、その変容としての桐島=キリスト=希望というメタファー。そしてその対立軸としてのゾンビ=虚無=絶望という図式である。桐島の不在にオタオタする多くの登場人物たちと、それを自明なものとして、ゾンビ映画に拘るオタクの映画部員たち。そういった構造でみれば、この映画はとても分かり易い。それは他の解釈を許さないほどに。但し、僕がこの映画に感銘するのは、そういった構造を超えたところに、実は彼らのアカルイミライが垣間見えたからである。

最後のシーン。
映画部の彼と野球部幽霊部員の彼が夕日をバックに対峙する。そこでの映画部の彼のセリフが僕らの胸にすごく響くのだ。彼は高校生にして、既に絶望を知っている。でも、それに負けない自分というものを持っている。周りをゾンビに囲まれたショッピングセンターの中で、彼はそれでも闘い生きていこうと決意する。それは何故か?彼は撮ることによって常に希望と繋がっているから。彼は絶望を知りつつ、同時に希望と繋がっている。桐島=キリスト=希望。 映画部の彼こそ、桐島と唯一繋がっていたことが最後に明らかとなる。彼こそがアカルイミライの細い道すじをただ一人しっかりと見据えていたのだ。野球部の彼は、そのことを理解し愕然とする。桐島に電話して繋がらないことで、自分がゾンビに喰われてしまった側であることを悟り、そして涙する。

なんて素晴らしいラストシーンだろう。僕らのミライも少しアカルイと思える。

この映画の冒頭の多視点による物語の反復。これもこの監督の決意表明だと思った。映画とは「他者の視線から見られた世界の風景」である。(内田樹『映画の構造分析』) 世界を本当に捉えようと思ったら、たとえやみくもであろうとも、その世界なるものを多くの視点で囲んでいくしかない。そこには桐島と同じように「不在」しかないかもしれないけど、その中空構造の周辺から、浮かんでくる様々思い、そのさざめき、その切実さを僕らは、それによってこそ目撃することができるのだ。
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by onomichi1969 | 2012-08-27 22:58 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 荒井由実 『ひこうき雲』(1973) semスキン用のアイコン02

  

2012年 08月 13日

a0035172_165911.jpgユーミンが少女だったころのアルバム。

彼女の曲で1曲挙げるとすれば、僕は「ひこうき雲」を選ぶ。
初期の「瞳を閉じて」や「卒業写真」、80年代の「守ってあげたい」、90年代の「Hello,my friend」もいいけど、1曲選ぶとすれば、彼女のデビューアルバムの冒頭を飾る「ひこうき雲」を選ぶ。

白い坂道が 空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は 昇ってゆく
何もおそれはない そして舞い上がる

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
ほかの人には わからない
あまりにも 若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空をかけていく
あの子の命は ひこうき雲

荒井由実「ひこうき雲」

彼女の瑞々しい声がとても響く曲。死んでしまった「あの子」の命をひこうき雲に見立てて歌う。「あの子」は、空に憧れて、何もおそれなく、しあわせだった。死がファンタジーとして、何か自明なもの、ポジティブなものとしてあるのは、少女らしい感性であり身体性である。少女であること、それが儚いものであることの悲しさ。「あの子」は少女であり、その死は彼女を永遠なものとする。彼女の少女性はこの曲の中に封じ込められ、葬られ、そして、しあわせを得たのだ。

70年代前半。都会に住むロック好きな十代の少女の感性が当時の日本の最先端の音楽クリエーターだったティン・パン・アレーのメンバーを動かし、ニューミュージックを創った。ユーミンこと荒井由実にとって、デビューアルバム『ひこうき雲』は十代(少女性)の結晶のような特別な作品だったに違いない。2nd 『MISSLIM』、3rd『Cobalt Hour』とアルバムを重ねる毎に彼女の音楽は徐々に大人になっていくのだから。(新たな魅力を獲得しつつ、否応なく喪失するものとして)

松任谷由実となったユーミンは、80年代にニューミュージックの女王となり、アルバムを出せばミリオンヒット。苗場の恒例コンサートはエンターテイメントに徹した構成で常に満員。バブル時代、彼女の歌はサーフ&スノーに欠かせない音楽となる。恋愛を伝道し、世の男たちを啓蒙する彼女は、女子大生やOLのカリスマとなる。

しかし、彼女の音楽の出自は、「ひこうき雲」で魅せた少女性にある。あの生と死を揺蕩(たゆた)った少女が大人になり、恋愛をして、出会いや別れを経験する。そして結婚し家族を得る。そういう来歴こそが彼女の音楽である。

少女から大人へ。そして、おばさんに。そういう歴史を重ねられるミュージシャンって他にはいないのじゃないかな。
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by onomichi1969 | 2012-08-13 01:21 | 日本のロック | Trackback(1) | Comments(3)

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