Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 イントレランス "Intolerance" semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 14日

a0035172_023557.jpg1916年、映画の父と呼ばれるD・W・グリフィスにより製作された超大作映画。紀元前500年頃のペルシャによる新バビロニア王国の征服、イエスの磔刑、宗教改革期のフランス、サン・バルテルミの虐殺という歴史的悲劇と共に、現代篇として、1910年代当時のある青年の冤罪に関わる物語を並行して描く。特にバビロン篇は、バビロニアの空中庭園、イシュタール門や宮廷を舞台とした豪華絢爛なセットと大人数のエキストラを配した壮大なシーンがあり、その画面から溢れだすエネルギーに圧倒される。(その舞台裏についてはタヴィアーニ兄弟の『グッドモーニング・バビロン』で観られる) そして、4つの物語に「不寛容(イントレランス)」というテーマが貫かれるのであるが、全く時代の違う物語に見出させる「不寛容」とは一体何だろうか?

本作品は、当時、フランス戦線が始まっていた第一次世界大戦を想定した反戦映画として位置づけられる。その意図はラストシーンで挿入される現代の戦争シーンでも分かるだろう。バビロン陥落とサン・バルテルミの虐殺劇は、それぞれ、大量虐殺の象徴としての戦争の実態を表している。そして、各々の戦争の経緯と共に、ある女性と青年に焦点を当てた悲恋のストーリーが同時に語られるのであるが、彼女らは戦争という歴史の犠牲者として、最後には殺戮されてしまう。(バビロンでは、山ガールと詩人、フランスでは、ブラウンアイズと傭兵がそれに当たる)

新約から引用されるイエスのシーンは、本作を構成する物語というよりも、「不寛容」の象徴としてある。イエスこそは、人間に対する「不寛容」を一身に背負って磔刑となったキリストなのだと。

3つの歴史の物語が「不寛容」な結末を迎え、現代篇が最後に残る。青年は無実にも関わらず裁判で死刑の判決を受ける。彼の可愛い妻は彼を助けようと懸命に奔走する。目まぐるしく入れ替わる展開はスピード感に溢れ、僕らは手に汗を握り、画面にくぎ付けとなる。(ラストの列車追跡シーンは本当に素晴らしい) そして、青年の運命は如何に。。。その伏線がバビロンとフランスの2つ悲恋物語にある。

162分に及ぶ長大で矮小な物語。それは僕らに「不在の神」という概念を思い起こさせる。「不寛容」とは、創世の後、自ら退いた神の人間に対する基本的な態度であり、イエスが自らの死と引き換えに人間に託した教え、「キリスト教」が人々に必要とされる由来でもある。イエスの教えとは、人の人に対する「寛容」であり、隣人愛なのだから。

中世のキリスト教より、サン・バルテルミの虐殺に繋がる宗教戦争という歴史の悲劇。しかし、グリフィスは、そこに男女の矮小な純愛を対峙させることで、全くの個人を出発点とした「寛容」を説いてみせる。そのバックグランドには、バビロンの山ガールと詩人、フランスのブラウンアイズと傭兵、彼らの愛と死があって、そして、イエスがいる。この物語はそういう物語としてあるのだと僕は思う。

いろいろな意味で映画の可能性を問うた作品であり、壮大なる反戦映画。その意義が映画史に燦然と輝く、と同時に、僕らのイマジネーションを掻き立てる素晴らしい映像世界であった。1916年アメリカ映画

※イエスとは、「不在の神」を合理化する神の子である。イエスへの敬虔なる信仰こそは、神の不在を前提としつつ、世の絶望と対峙するために対象化された信仰そのものであり、恩寵としての神の不在、万物の内在的な原因となる神、完全なる神に科学的合理性を融合させた近代的な信仰の在り方といえる。

※タヴィアーニ兄弟の『グッドモーニング・バビロン』で描かれたように、『イントレランス』の現場製作に関わった人々、実際にエキストラとしてセットの中で戦争を演じた人々も第一次世界大戦の戦線で多く戦死した。
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by onomichi1969 | 2012-05-14 00:40 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ゲッティンゲン~シュヴェービシュハル semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 13日

1週間仕事でドイツに行ってきました。今回はゲッティンゲンに1日。残りはシュヴェービシュハルです。

フランクフルトからゲッティンゲンへICEで移動。ここは静かな大学都市で、ちょっと車を走らせると田舎道になります。今回、あまり写真を撮る機会もなく、朝、ジョギングついでに撮った湖と河の写真しかありませんでした(>_<)
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ゲッティンゲンからニュルンベルグ経由でシュヴェービシュハルへICEとREを乗り継いで移動、、、の予定が、電車が途中で止まってしまった為、ニュルンベルグからタクシー。200ユーロ!

シュヴェービシュハルは4-5回目です。
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帰りはレンタカーを借りてもらって、フランクフルトまで。途中、ヴュルツブルグのサービスエリアにて。小さな街並と葡萄畑。遠くにお城。
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by onomichi1969 | 2012-05-13 16:53 | 旅の記録など | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 しあわせの隠れ場所 "The Blind Side" semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 13日

a0035172_1562612.jpg邦題以外はとても好感のもてる作品。アメリカ南部、メンフィスの白人富裕層、プロテスタント、共和党員、ライフル協会会員。絵に描いたような保守系白人の金持ち一家に、スポーツは優秀だが、身寄りのないスラム地区の1人の黒人少年が関わる。家族の一員となり、その支えによって、生活の目的を得た黒人少年はアメフトで成功し、多くの優秀な大学からスカウトを受けるまでになる。。。この作品は、実話の映画化であり、それが本作の大きなポイントだと僕は思う。

実話の映画化故に、この物語は、格差の問題をあくまで個人の善意にしか還元せず、アメリカ(特に南部)の社会構造に到達させることはない。実際のところ、この家族のような善意と勇気をもった人々はアメリカにも多くいて、また、貧しくても優秀な黒人少年も多くいるだろう。ただ、その接点がないのである。本作は偶然に偶然が重なって実ったひとつの美談でしかない。しかし、この事実/映画が多くの人々の心にフォローアーとしての小さな意識を植え付ける可能性はある。それが社会構造を変える可能性だってある。(アメリカ的な個人主義に留まる可能性ももちろんある)

アメリカ南部の格差社会の現実は、僕らが思う以上に今も厳しい。格差や差別の問題であれば、ある意味で日本も同じ。僕らだって当事者になり、それを引き受ける立場になるかもしれない。その場合の正義と善意の行方に想いを馳せる、そういう可能性の映画だと考えることができるのではないか。2009年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2012-05-13 15:46 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ヤング≒アダルト "Young adult" semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 13日

a0035172_14555520.jpgこの手のキャラクターや設定って、今や普通にリアリティがあるから、単純にそれを描くだけなら映画としての面白みにならないと思う。『ブルー・バレンタイン』もそうだったけど、同じようなことは僕らのまわりにありふれていて、その状況に対する作品としての批評が弱ければオチの付きようがない。本作も物語としての驚きや発見がなく、コメディなのに設定を相対化できずに笑えない。結局のところ、メイビスというキャラクター(大人になりきれない大人)をどうしたいのか僕にはよく分からなかった。そこが大事なんじゃないかと思うのだけど。。。(そもそも彼女を勝ち/負けで括れるようなキャラだとは全く思わないし)

キャラクターや設定がリアルなわりに単純すぎるのだ。特にメイビスを強調する為にまわりの人間を平板にしすぎている。実際は、ママさんグループにもメイビス的な要素はあるだろうし、もちろんその逆もしかり。普通、メイビスのような美人に言い寄られたら、最後までいくかどうかは別にして、男はあんなにあっさりと断らないよ。元カレなら特に。人間って、もっと、多面的で、自己中心的故に、いろいろと躊躇ったり、悩んだりして行動するはず。子供っぽい主人公と対比する為に周囲の同世代の人間を大人にしすぎだと思う。大人にも大人なりの茶目っ気があるでしょう。

この映画、作品自体がキャラ解説に走りすぎでいて、あまりに子供っぽい。そこがすごくヤング・アダルト。邦題『ヤング≒アダルト』というのも一面的すぎる。そもそもヤング・アダルトって成人期前期のことで、それを「大人になりきれない大人」という意味に拡大しているのだと思うけど、そういう意味で、僕の中でヤング・アダルト的なイメージと言えば、『男はつらいよ』の寅さんなので、単なるキャラクター映画を超えた奥深さを期待しちゃうのだ。 2011年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2012-05-13 14:58 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ロボジー semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 13日

a0035172_14454675.jpg爺さんにロボットの衣装を着せて、本物のロボットにみせかける。現代のハイテクノロジーの時代には有り得ない「設定」故に多くの人々がロボジーの正体を見抜けない。

漫画的な発想として、このアイディアは「有り」かもしれないけど、実際の映像を見てしまうと、やっぱりこれは設定として「有り得ない」。いくらなんでも、バレるでしょう。あのロボジーの動き。訳の分からないセンサーの説明。意味のない制御用パソコン。不自然な設定ばかりが気になって、話に集中できなかった。(僕のような)理系の人間に夢を与えない、そんなのファンタジーじゃないよ。それ以外は面白かったけど。。。
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by onomichi1969 | 2012-05-13 14:48 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Johnny Winter "Live Johnny Winter and"(1971) semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 05日

a0035172_1794165.jpg白髪のブルーズギタリスト、ジョニー・ウィンター渾身のライブアルバムである。

本作は、70年代ロックを代表するライブ盤の一つだろう。冒頭の音質はあまりよくないが、そんなことを一瞬で忘れさせるほどの熱狂がここにパッケージされている。ロックンロール!!である。サムピックによる怒涛の速弾き、ジョニー・ウィンターのディストーション唸りっぱなしのギター。対抗するのは、孤高のギタリスト、リック・デリンジャー。2人のギターバトルが冴えるGood Morning Little School Girlから早くもノリノリである。ドラムはキャプテン・ビヨンドからの助っ人、ボビー・コールドウェル。(と言ってもあのAORの人とは別人です) 初っ端のドラムソロから爆発して、とにかく手数の多さで、スピード感溢れるライブをぐいぐいと引っ張っていく。

2曲目のIt's My Own Faultは、コテコテのブルーズなのだが、これもスタイリッシュでカッコいい。静寂のブルーズにして、ドカドカと叩きまくるドラム、唸りまくるツインギターは、ブルーズの枠を易々と超える。そして、3曲目がストーンズのカバー、Jumpin' Jack Flash。この曲のウィンターのボーカルの凄まじいこと。喉がおかしくなるのではないかと思うほどにがなりまくる。根性入りまくりのボーカルである。ライブらしいアンサンブル、速弾きのツインギターに絡むリズム隊も素晴らしい。4曲目はライブ盤らしい構成、ロックンロールメドレーである。火の玉ロック。のっぽのサリー。すべてがハードロックである。インタープレイが光るブギーナンバーを挟み、最後を締めるのもロックンロールの定番。ジョニーBグッドである。

ライブらしいノリノリの構成と怒涛の演奏力、ウィンターのボーカルがとにかくすごい。スピード感溢れるロックン・ブルーズ、ロックンロール。ウィンターとデリンジャーの速弾きギターバトル。それを引っ張るコールドウェルのドラミング。とにかく最高! 聴きどころ満載のライブ盤、文句なしの傑作!!
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by onomichi1969 | 2012-05-05 17:29 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 遥かなる山の呼び声 semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 05日

a0035172_9284774.png『幸福の黄色いハンカチ』へ繋がる前章という位置づけもできるが、倍賞千恵子を中心として見れば、民子3部作の最終章であり、『家族』から10年目の続編という見方が妥当だろう。

この物語は、民子の物語である。
民子(倍賞千恵子)と武志(吉岡秀隆)親子の元に現れる一人の男。高倉健。彼は、70年代を貫く山田洋次作品の中のゲストであり、主役はあくまで民子である。民子は、これまで家族の中の妻と母という立場であり、女ではなかった。今回、『遥かなる山の呼び声』で、高倉健という適役を得て、彼女は初めて女になった。この物語はそういう物語としてある。そこにこそ心動かされる。

高倉健は当時、40代後半。個人的には、この頃(70年代後半から80年代前半)の作品が高倉健の最も「健さん」らしい味わいに溢れていると思う。傑作も多い。男も惚れる。子供も女も皆健さんに惚れてしまう。本作でも寡黙だが実直、男気に溢れ、喧嘩も強い。逃亡犯という陰を持つが頼れる男、「健さん」がそこにいる。

高倉健が別れを告げた夜、「どこにも行かないで、私寂しい」と彼にすがりつく民子。そのシーンの切実さを想うと涙が出る。そして、別れの朝のシーン。列車内でのハナ肇とハンカチ。僕らは2度の号泣を覚悟しなければならない。この映画は山田洋次監督の70年代の作品群の最後に結実した大きな結晶のような作品である。『家族』から始まった民子の受難はここでもまた続くことになるけれど、それは愛という結晶を得ることによって、希望へと結実したのである。

とにかく素晴らしい映画。何度でも繰り返し観られる。実際、昔はテレビで何度も観た。今はDVDで何度も観る。北海道の大自然、時に厳しい自然の姿があり、それを含めた美しさに圧倒される。
本作は、山田洋次作品の金字塔であり、日本映画、不朽の名作である。
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by onomichi1969 | 2012-05-05 09:53 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Beck Bogert & Appice "Beck Bogert & Appice"(1973) semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 05日

a0035172_22563818.jpgロック史上最強の3ピースバンド、、、と言えば、Creamか、Jimi Hendrix Experienceか、BBAか、GFRか、RUSHか、うーん、どれもすごいバンドだ。
3ピースバンドの特徴は、ギター、ベース、ドラムのテクニカルなアンサンブル、そのインタープレイにあると言われる。ボーカル専門が不在の為、思う存分にインタープレイを行えるわけだ。とすれば、その味わいの究極はライブにあり、それぞれのバンドには歴史に残るライブ盤、名演奏がある。

・・・と断言してしまっていいのだろうか?
一抹の不安があるのが、BBAのライブ盤。"Beck Bogert & Appice Live in Japan"(1973)である。このアルバムは日本限定盤であり、正式に全世界で発売されているものではない。録音状態が悪く、演奏も完全ではないというのが巷の評判。特にボガートとアピスのボーカル、コーラスワークが外しまくっており、演奏のミスタッチも多い。

そもそも、BBAの音楽とは、スタジオ盤の"Beck Bogert & Appice"(1973)に代表されるように、当時のハードロックの潮流、ZEP等に比べるとメロウに偏っている。代表曲であるLadyにしても、迷信にしても、ハードロックにしてはポップな曲調であり、Sweet Sweet Surrenderに至っては美しすぎるバラードである。しかし、Ladyを聴けばすぐ分かるようにその演奏力は抜群である。3人のアンサンブルは協調というよりも格闘である。ヴァニラ・ファッジとカクタスで馴らした重量級のリズムセクション、ボガートとアピスにジェフ・ベックがギターで対抗するという構図である。
ハードロックの曲には、ブルーズやフォークロアをベースとした様式があり、その楽曲はポップスと一線を画する。しかし、BBAはその型に嵌らなかった。メロウでポップな曲をハードにゴリゴリと演奏する。そして、その演奏力は、CreamやJimi Hendrix Experienceに匹敵する。ジェフ・ベックもCreamを意識してBBAを結成したのであるから、その演奏スタイルは必然だったのだろう。

ジェフ・ベックの70年代は、第2期ジェフ・ベック・グループから始まり、BBA、そしてソロ・ワークに続く。第2期の2枚のアルバムはボブ・テンチとマックス・ミドルトンという2人ジャズ&ソウルの達人に負うところが大きいが、特に2枚目のオレンジアルバムは今聴いても全く古さを感じさせない、ブラックミュージックとロックが融合した音楽性豊かな傑作である。BBAをそれと比較してその優劣を論じるのは少し違うだろう。BBAと比較すべきはCreamやJimi Hendrix Experience、当時のGFR等である。そうすれば、逆にBBAのアルバムのすごさが浮かび上がってくる。

Ladyを聴いてみてほしい。イントロから爆発する手数の多いアピスの重いドラミング。ビシビシ決まる。バトルを繰り広げるベックのギターとボガートの速弾きベース。迸る緊張感。日本でのライブ盤もこの名曲 Ladyに至ってはライブのクライマックスとでも言うべき激しい演奏となる。いつまでもこの世界が続いてほしいと思う。しかし、曲は短い。BBAの特徴からすれば、凡庸な演奏でしかないSweet Sweet SurrenderやI'm So Proudの位置づけに戸惑ってしまうのも仕方がない。結局のところアルバムとしてみれば中途半端な印象はぬぐいきれないか。やはり、もう1作。トータルとしてLady級の演奏と緊張感が持続したようなアルバムがあったなら、BBAこそがロック史上最強だったろう。
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by onomichi1969 | 2012-05-05 09:51 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ZZ Top "Fandango"(1975) semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 04日

a0035172_23211467.jpg70年代の3ピースバンドとして忘れてならないのがZZ Top。その代表作と言えば、"Fandango"(1975)である。

僕ら80年代のMTV世代からすれば、ZZ Topと言えば、LegsやSleeping Bagに代表されるシンセとハードブギーを融合したデジタルサウンド、そしてコミカルなPVが特徴のキワモノ的なバンドとして思い出される。

しかし、彼らの真骨頂は、ブギーとブルーズに彩られた70年代の名作"Fandango"にこそある。このアルバムはA面がライブ、B面がスタジオ盤となっており、クリームの60年代後半の名作を思い出させる。しかし、このアルバムは、どちらかと言えば、B面のスタジオ盤が素晴らしい。特に渋いブルーズ曲、Blue Jean Bluesがしびれる。ビリー・ギボンズのギターとボーカルが泥臭くも洗練されていて素晴らしい。洗練されたピーター・グリーンと言ったらよいだろうか。
彼らの特徴はやっぱりハードブギー!と言えば、名曲Tushである。こういった曲をさらっと演奏するところがカッコいい。A面のライブでのロックロールショーなんかも60年代後半のフリートウッド・マックを彷彿とさせる。これもまたカッコいい。

Sleeping Bagもいいけど、70年代の名作"Fandango"は今聴いても全く色褪せていない、洗練されたブギーの名作なのだ。
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by onomichi1969 | 2012-05-04 23:28 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 わが母の記 semスキン用のアイコン02

  

2012年 05月 04日

a0035172_18451452.jpg感動した。主人公の役所広司、その母親の樹木希林、素晴らしいキャストだった。

父親の死を境に徐々に痴呆の症状が顕在化していく母親の姿。その演技は、あまりにも自然で、人間味あふれていて、多くの人が自らの歴史の中の自分の祖母、或いは母親の姿を思い出したのではないだろうか。『歩いても 歩いても』でもそうだったけど、自然体で人間の凄味のようなものを醸し出せる樹木希林の姿は本当にすごい。それは悪意とか善意とかに区別できない、単純ではない、人間の得体の知れなさの断片であり、言葉の網の目から零れ落ちて、言い澱んだり、躊躇ったり、言い間違えたりしつつ出てくる感情でもある。人間の自然って本来そういうものなのだな。

主人公が子供の頃に書いた詩を思い出すシーン。何故、自分が湯河原に残されたのか。母親が夜中に誰を探していたのか。彼は全てを理解し、母親を赦す。そして涙を流す。しかし、主人公が母親に捨てられたという意識こそが彼の文学的源泉だったということも確かなのだ。夏目漱石も「母親に捨てられた子供」だった。愛情に対するある種の不幸な思い、その傷は、文学性を養う。

沼津の海のシーンもよかった。お互いがお互いを理解し赦しあうこと。何と感動的なことだろうか。母親を背負う主人公。その名前を呟く母親。とても幸福なシーンに涙が溢れた。
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by onomichi1969 | 2012-05-04 18:49 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(0)

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