Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 <   2011年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 インセプション "Inception" semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 16日

a0035172_1213484.jpg2010年公開の映画の中で私的No.1だった作品。
この映画のコンセプトのひとつが、いわゆる夢の世界の映像化である。そこで描かれる夢は、一見して現実と区別がつかないが、何かのきっかけで破綻し、崩れていく世界。そういう夢を人工的に作り出すというアイディアは特に新しいものではない(『クラインの壺』とかがある)けど、そこで作り出される夢が、夢の中の夢という括りにより何層にも積み重ねられるという構成(これまでは並列的世界が多かったと思うけど、これは階層的)と、それを「設計」するという発想は面白いと思った。

人間の意識について、ホーキング博士はこう言っている。「人間くらいの大きさのエイリアンであれば、1兆の1000兆倍もの粒子を含んでいるので、たとえエイリアンがロボットであったとしても、方程式を解いて、その行動を予言することは不可能でしょう」

これはロボットにも自由意志が持てる可能性があることの言説だが、その前提として、意識は人工的に創出可能で、その拡散度合にはほぼ無限の(人間が推算できる以上の)可能性があることを示している。夢や仮想現実の世界も、宇宙と同じように量子論的探究が可能な世界であり、そこに様々な想像を加えることで実際的なサイエンスフィクションの対象となりえるのである。(夢だからといって何でもアリというわけにはいかないでしょう)

仮想現実を扱った映画といえば『マトリックス』がある。これはシミュラークル的な奇想から発展した荒唐無稽なSF的映画だと僕は思うが、本来、理論的位置づけがそこはかとなくあって、主題が現代思想的にも有意で、なおかつ人間的に必然な要素(恋愛とか利己とか家族愛とか)が絡んでいて、とにかく面白い、というのがSF作品に僕らが求めるところではないだろうか。

そういう意味で、『インセプション』は、SF映画として、想像力を刺激される印象的な作品だと僕は思っている。2010年アメリカ・イギリス映画
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by onomichi1969 | 2011-01-16 12:13 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 スプラッシュ "Splash" semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 15日

a0035172_20264827.jpg久々に観てみれば、なかなか面白い。
トム・ハンクスは若くて精悍だし、ダリル・ハンナはキュートでピュアでセクシーで、人魚役にぴったり。ジョン・キャンディは、途中までハンクスの兄とは気が付かなかったけど、とにかく笑わせてくれるし、最後はいい味を出していた。海洋学者役のユージン・レヴィもいい人で良かった。
この4人の配役だけで、この映画にはストーリー以上のサムシング・エルスがあったと思う。ストーリーにも密やかな奥行(なぜ6日間なのかとか、なぜ一緒になったらもう地上の生活に戻れないのかとか)があって、僕は想像力を掻き立てられてけっこう楽しめた。

そうそう、最後にトム・ハンクスが海に飛び込むシーン。愛のために、ダリル・ハンナのために、全てをなげうって、人魚に手を引かれて竜宮城へ。なんとも80年代らしい無茶苦茶で無責任な展開だけど、実はそれがこの映画に一番惹かれるところなのかもしれない。1984年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2011-01-15 20:30 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 バーレスク "Burlesque" semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 14日

a0035172_197570.jpg近年公開された現代風のミュージカル映画といえば、『シカゴ』『ドリーム・ガールズ』『ムーラン・ルージュ』などが思い浮ぶ。映画とミュージカルがうまく融合していて、それぞれに良く出来た作品である。特に、歌や踊りで登場人物達の心情を表現することで、通常唐突に思えるようなミュージカルシーンを場面展開の流れによくフィットさせ、ミュージカルだからこその深みや面白さを映画に取り入れることに成功していたと思う。
それに比べてしまえば、『バーレスク』は、とてもミュージカル映画と言えるようなシロモノではないように思える。まぁそういう路線を狙っているのではないのかもしれないけど、唯一、シェールがソロで歌うシーンのみ、前述の作品に比肩するミュージカルっぽさがあったかなと。

僕は、クリスティーナ・アギレラというシンガーをよく知らなかった。『シャイン・ア・ライト』でミック・ジャガーと一緒に歌っていた女の子、と言われれば、ああそうかと思う程度。確かに歌は上手いし、可愛らしいとも思うけど、映画としてみれば、ただそれだけのものとも思える。

凡庸な恋愛映画のフォーマットにクリスティーナ・アギレラとシェールを中心にした歌と踊りのステージを盛り込んだ作品。もし、そのプラス・アルファが作品としてのサムシング・エルスとなっていれば話は別だけど、実際のところ、この映画は、ストーリーの凡庸さに引きずられて、ステージシーンの良さが映画として生かしきれていない。最終的に映画として胸をつくような感動がない。それがこの映画の全てと言ってしまえばそれまでか。。。2010年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2011-01-14 21:26 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 善き人のためのソナタ "The Lives of Others" semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 13日

a0035172_045670.jpg彼は何故、監視対象者を幇助するような行動を取ったのか?その答えを同時進行的に辿る、そういう映画なのだと思った。

彼女に恋をしたからだろうか? 最初のきっかけはおそらくそうなのだろう。そして、原題(The Lives of Others)にあるように、彼が自分と違う「他者の人生」に深く感銘してしまったこと。それが実際の理由なのだろう。

監視していた劇作家が恋人の裏切りを知りながら、彼女を許したこと。それは何故なのか。人を許すとはどのようなことなのか?彼はその答えを知りたいと切望した。劇作家が弾く音楽を聴き、その読む本を読み、その佇まいを想像し、彼はその本質に触れたのだと思う。彼は「他者」を発見したのである。そして、彼は二人の他者の人生に実際に触れる。

最後に彼は劇作家の本の謝辞に自分を発見し、それを「私のための本」と言う。それが彼にとって「他者の人生」を「そうありたい自分の人生」と重ねられた瞬間だった。彼の微かに誇らしげな笑顔がとても印象に残った。2006年ドイツ映画
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by onomichi1969 | 2011-01-13 01:00 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 2010年 映画ベスト10 semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 08日

2010年に上映された映画の私的ベストです。

1. インセプション/クリストファー・ノーラン
2. 第9地区/ニール・ブロンカンプ
3. シャーロック・ホームズ/ガイ・リッチー
4. ノルウェイの森/トラン・アン・ユン
5. ソルト/フィリップ・ノイス
6. 告白/中島哲也
7. 噂のモーガン夫妻/マーク・ローレンス
8. アバター/ジェームズ・キャメロン
9. トイ・ストーリー3/ジョン・ラセター
10. ディナー・フォー・シュマックス/ジェイ・ローチ

昨年1年で観た新作映画は、これで全てに近いです。
この企画も挫折しそう。。。

その中で、、、インセプションは文句なく昨年のNo.1でした。これは面白かったなぁ。
ストーリーやプロットはかなり破天荒だけど、映画はこのくらいやらないとダメでしょうね。実際、その破天荒さが映像を盛り立てつつ、僕らの想像力を掻き立てます。オープニングとエンディングの繋がりも納得。まぁとにかく楽しい映画でした。
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by onomichi1969 | 2011-01-08 23:48 | ランキング | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 シャーロック・ホームズ "Sherlock Holmes" semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 08日

a0035172_23172056.jpg小さい頃、シャーロック・ホームズと言えば、両つば帽子にフロックコート、又はシルクハットにタキシードを身に着け、スマートでパリッとした外見に、常にパイプを咥えている壮年の紳士というようなイメージを持っていた。おそらく、それは小学校の頃によく読んだ『シャーロック・ホームズの冒険』の抄訳版の挿絵や英国のドラマからの影響だと思う。
その後、ホームズの長編モノ『緋色の研究』や『四つの署名』、『バスカヴィル家の犬』を読んでみると、そのイメージが全然違うということに気が付く。まず、先に挙げた小説のホームズは若い。未だ世間に名の知れない自称探偵の若造でしかない。紳士というよりも外見的には少しだらしない研究者然とした感じで、それでいてボクシングの元ランカーなので体格がよく、背が高い。性格的には極端に意地っ張りで、子供っぽく、かなり偏狂的。重度のジャンキーでもある。
実は小説に描写されているホームズとワトソンのイメージでみれば、映画『シャーロック・ホームズ』の主役2人はわりと原作に近いのではないかと思える。難を言えば、ロバート・ダウニー・Jr、ちょっと背が低いことか。。
ホームズの長編モノって実は推理小説というよりも冒険小説、アクション小説と言っていいものだと僕は思う。小説の最大の見せ場は、探偵による推理の披露よりも、手に汗握る犯人追跡劇だったりして、だから、この映画のあり方は何ら間違っていない。

映画で描かれる19世紀末のロンドンの雰囲気がよかった。古き良き時代末期のロンドン。これから20年も経つと車の登場でロンドンはガラッと変わる。その古き良きロンドンを舞台にしたアクションヒーローたるシャーロック・ホームズのスタイリッシュな冒険譚。そういう映画として僕はとても楽しめた。2009年アメリカ・ドイツ映画
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by onomichi1969 | 2011-01-08 23:29 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Miles Davis "Tribute to Jack Johnson"(1971) semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 03日

a0035172_9224769.jpg最近、電化マイルスにハマっている。
電化初期の代表的なオリジナルアルバムである"In a Silent Way "(1969)、"Bitches Brew"(1970)、"Tribute to Jack Johnson"(1971)、"Live-Evil"(1971)、そして"On the Corner"(1972)あたりを繰り返し聴いている。これらのアルバムは、それぞれに特色があって、どれとして同じではない。にも関わらず、どれもがアルバムとして完成されていて、唯一無二の傑作であり、エレクトリックジャズというか、ジャズロックというか、それはもう電化マイルスという明瞭たるジャンルの中にそびえ立つ5つの崇高な頂といっていいだろう。

その中でもっともロック色の強いアルバムといえば、"Tribute to Jack Johnson"ということになるだろうか。アルバムは、25分強の2曲のみ。特にジョン・マクラフリンのギターとビリー・コブハムのドラムがいきなり炸裂するロック全開の1曲目Right Offが最高である。マクラフリンとコブハムがひとしきりロックした後を受けて、マイルスのトランペットが同じようなテンポでロックを鳴らし始める、その導入部が何とも言えずしびれる。電化マイルス第1期のドラムといえは、ジャック・デジョネットが不動のメンバーであるが、このアルバムのロック・テイストを引き出したのはビリー・コブハムの力強いビート感覚溢れるドラミングだろう。当時の批評曰く、「Bitches Brewのすべてのフラッシュが1つの輝かしいイルミネーションに集約した」のがJack Johnsonなのである。

前作"Bitches Brew"がジャス史上最高のセールスを記録したのに対し、Jack Johnsonは、レコード会社から殆ど無視され、全くと言っていいほど売れなかった。マイルスは、そのことを「ダンスのできる音楽、ロックに近すぎたからだ」と回想している。「白人のロック・ミュージシャンがやるような音楽を黒人のジャズ・ミュージシャンがやってしまったことに皆戸惑った」のだという。マイルスらしい感想だと思うが。。。

Jack Johnsonには、スライ&ファミリーストーンとジェームズ・ブラウンの曲からのリフの引用がある。当時、マイルスは、スライやJBの音楽を支持しており、また、ジミ・ヘンドリックスやサンタナと交流があった。状況的にはマイルスが最もロックに近接した時期であり、以降、そのベクトルはファンクへと向かうことになる。ジョン・マクラフリンは、マイルスから一言「ジミ・ヘンドリックスのように弾いてくれ」と言われたという。実際、マイルスは、後年、ピート・コージーというジミヘン風のサイケなギタリストを手に入れるわけだが。。

最近、マイルスの自叙伝を読んですごく感銘を受けた。1940年代後半のNYアップタウン「ミントンズ」でのバードとディズと若きマイルスの初めて邂逅、その時のセッションの様子など、当時の熱いジャズシーンの息遣いがリアルに伝わってくる。マイルスが語るチャーリー・パーカーやコルトレーンの人物像やジャズ・ジャイアンツの時のセロニアス・モンクとの一件など、とにかくマイルスの語り口が素晴らしい。彼の語り口そのものがジャズを奏でているような、リズミカルで、読む手をぐいぐいと引き込む。本書は1980年代後半の著作で、60歳を越えたマイルスが過去の出来事を年代別に語っていく構成なんだけど、その記憶力たるや尋常じゃない。描写が細かすぎて、臨場感というかライブ感覚溢れすぎ。。。訳者中山康樹氏はブライアン・ウィルソンの自叙伝も手がけていて、そっちもすさまじい内容だったけど、マイルスのもすごかった。マイルス・デイビスっていうのは、歴史を作り、それを自ら総括してしまったという意味で、ジャズの帝王、指揮者であり、また文学者だったのだなぁと感じた。まぁおすすめです。
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by onomichi1969 | 2011-01-03 23:29 | 70年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 『ホーキング、宇宙と人間を語る』から、東浩紀 『クォンタム・ファミリーズ』 semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 02日

a0035172_21183178.jpgホーキング博士の最新宇宙論を読んだ。
ここで語られる一つ一つの理論に特に新しいものはない。が、それらを包括し、ひとつの物語とすることにより、これは、ホーキング博士ならではの新しい科学的存在論になった、と感じた。

さて、彼の論理展開。簡単に言えば(というか彼の論理展開自体はすごく簡潔で、故に分かり易いのであるが)、あとがきで訳者が要約しているように「近年大きく進歩した超ひも理論に基づくならば、物理法則も空間の次元も異なる宇宙は無数にあり、私たちの住む宇宙はその1つに過ぎないこと、さらにその宇宙においても現在に至る歴史は、確定的な1つではなく無数に存在しているのだと説く。そして、無数にある宇宙の中で私たち宇宙が選ばれているのは、またこの宇宙の中での歴史を決めているのは、私たちが存在している観測事実なのだ」ということ。そして、「なぜ宇宙は存在しているのか?なぜ私たちは存在しているのか?」ということに関しては、「宇宙は神によって創られたのではなく、物理法則によって自然に作られる」のである。

ここで重要なタームは、
宇宙の始まりが「量子ゆらぎ」という極小空間における量子力学的な理論に基づき、無から生じたということ。(これはホーキング博士の本では昔から説かれていたこと)→量子ゆらぎとは?
その宇宙はひとつではなく、無数に作り出される宇宙のひとつであること。(これは上記の「量子ゆらぎ」と超ひも理論からの展開と、量子力学から派生する確率論的多世界解釈の結果、宇宙はパラレルワールドに満ち満ちているということ。これも従来からある考え方)→多世界解釈とは?
そして、今僕らがいる宇宙が人間を生み出す為に最も適した物理定数を環境的要素として選択しているのみならず、そもそも人間を生み出す為にデザインされたとする「人間原理」に基づいていること。無数(10^500)に存在する「マルチバース」の宇宙の中から、そういう人間を生み出す宇宙が生まれることが確率的に有り得て、一般量子論的に言えば、様々な歴史の可能性が人間という観測者によって収束した宇宙が今の宇宙なのである。(これもホーキング博士の本ではお馴染みのようであるが、人間原理が量子論及び超ひも理論に結びつけられたところが僕には新しかった)→人間原理とは?
そして、これが宇宙論を超えて、科学と哲学を融合した存在論/現象学としてあることが僕には新しく、面白かったのである。

少し前に読んだ東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』を思い出した。
昨年の三島賞受賞作である。本書の巷での評判は、「量子力学をはじめとする物理学、SF、哲学についての専門知識の理解を前提に書かれており、また筋書きも複雑に錯綜しているため読みにくい」ということらしいが、僕にはとてもすんなりと読めた。ここでのキーは、量子力学の様々なターム、これらが効果的な意匠として使われていることの面白さと、物語の核となる量子論的多世界解釈、いわゆるパラレルワールドに加えて、その多世界解釈を支える「人間原理」への言及にある。但し、この小説に出てくる「人間原理」は、当初、解釈を曲げられた形で、まさに意匠としてのみ登場する。そもそも、多世界解釈をネット世界と結びつけて、情報そのものを社会の実態とし、現実と虚構の区別がつかないシミュラークル的なものとする世界像は、映画『マトリックス』に代表されるように既によくある構図であるし、その虚構から現実を区別するものとして「人間原理」を持ち出すのは少し無理があろう。しかし、この作者は、それを諸共せずに、正々堂々とパラレルワールドを実在のものとして描いてしまった。その時点でこれはあり得ない空想的SF小説に転化するものと思いきや、実は、ここにこそ、『クォンタム・ファミリーズ』が描く「人間の意識をめぐる寓話」があったのである。

さて、人間の意識とは何だろうか?
ホーキング博士はこう書いている。「人間くらいの大きさのエイリアンであれば、1兆の1000兆倍もの粒子を含んでいるので、たとえエイリアンがロボットであったとしても、方程式を解いて、その行動を予言することは不可能でしょう。したがって私たちは、複雑なものは何であれ自由意志を持っていると言わざるを得ません。それは根本的な特徴からではなく、私たちの計算能力が不足しているために行動を予言できないことを認めたことから来ています」 行動がプログラムされたロボットでさえ、複雑さによって、僕らはその行動を予見できない。つまり、自由意志=意識の発現はシステム的に有り得ると。(ちなみにペンローズ博士は全く逆の見解。アルゴリズムによる意識の発現はあり得ないと。意識は量子重力理論によってある種の形状のモノを媒介として発現する。それはまた別の機会に。。。)

併せて、ホーキング博士は、コンウェイのライフゲームにも触れて、とても単純な法則でも、それを繰り返すこと(学習すること)で、コンピュータ(万能チューリングマシン)によって、知的生命体に似たような複雑な思考パターンを生み出せることを示した。→コンウェイのライフゲームとは?
実は、この意識がまるでデータ/情報のように簡単に時空間を超えて転送されること。その科学的な有意性。量子力学と分子生物学の融合による「意識」の記述。これが『クォンタム・ファミリーズ』に僕がいちばん感銘した点である。
実際のところ、それ以外のディックや村上春樹への言及は小説的にあまりピンとこなかった。小説に何度か出てくる村上春樹の35歳問題というのは、確かに僕もそう思うけど、それをパラレルワールド的小説世界のモチーフとして展開するのは、少しあからさまに過ぎるような気がする。

「ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげられなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば、別の職業を選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。
 そして、その両者のバランスは、おそらく三十五歳あたりで逆転するのだ。その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない」
-村上春樹 『プールサイド』

宇宙と人間の誕生に大きく関わる量子論は、創造の神に取って代わるのだろうか? 量子論は人間の意識の謎に迫れるのか? まぁ僕には量子論が指し示す現象こそが既に神の領域のように思えなくもないのだけど。。。
科学者による科学的存在論/無神論。哲学者による科学的存在論的小説。確かにクロスオーバー的な面白さがある。これはちょっとしたブームなのかな。

Rev. すみません。名前を間違えました。。。


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by onomichi1969 | 2011-01-02 21:53 | | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 賀正 2011年 semスキン用のアイコン02

  

2011年 01月 01日

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あけまして おめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします


昨年はとても忙しい一年でした。
ブログの更新もままならず。。。
今年も同じようなペースになると思いますが、
どうぞ、気軽にお立ち寄り下さい。

さあ、今年も元気にいってみよう。

by onomichi1969 @2011年 お正月
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by onomichi1969 | 2011-01-01 13:57 | お知らせ | Trackback | Comments(2)

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