Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 <   2010年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 バルト海!(川みたいだけど、、、) semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 24日

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by onomichi1969 | 2010-05-24 22:37 | 旅の記録など | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ローマ! semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 24日

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by onomichi1969 | 2010-05-24 22:32 | 旅の記録など | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ハンナとその姉妹 "Hannah and Her Sisters" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 15日

a0035172_2323817.jpgウディ・アレンの80年代の傑作と言えば、『ハンナとその姉妹』だろう。
この作品を最初に観たのは高校生の頃。『カイロの紫のバラ』に続いて観たウディ・アレン映画だったと思う。『カイロ~』がとても分かりやすいファンタジーで印象にのこる物語だったのに対し、『ハンナとその姉妹』の印象はとても薄かった。マイケル・ケインのモノローグとそれに反する滑稽な立ち振る舞いなど、コミカルで笑えた記憶はあるのだけど、設定にしても、会話にしても、心理描写にしても、高校生ごときに深く理解できるような内容ではなかったのである。
ウディ・アレン映画を本当に面白く観ることができるようになったのは30代も後半である。まぁそれ以前にウディ・アレンの映画を好んで観ること自体がなかったと言っていいけど。僕にとって就職してからの20代は文化的に不毛の時代。現実の生活でいろいろと浮かれたことばかりで、結婚して離婚して、子供を抱えてあたふたして、あとは仕事でバタバタを繰り返した時代。まぁそれはそれとして。。

『ハンナとその姉妹』は、ウディ・アレンの集大成的な映画だと思う。彼の哲学が詰まった作品。これまでのウディ中心の恋愛劇から群像的な方向が打ち出され、以後のスタイルの原型ともなった作品。各人の会話と心理描写が錯綜し、演者の表情や背景/風景が物語に奥行きを与えている。話は、ウディ特有の惚れたの腫れたのという単純な恋愛劇なのだけど、それと並行して、彼自身の生来の問題意識でもある「SEXと死」というテーマが扱われている。ウディ演じるテレビのディレクターが「死」という観念に囚われ、仕事を辞め、宗教に嵌り、最後にそれを乗り越えていく様子とマイケル・ケイン達のプリミティブな恋愛ゲームとの対比の中で、何故ウディ・アレンが映画の中でそこまで恋愛に拘るのかがじんわりと分かってくるのである。

ウディ・アレンは、恋愛をその出会いから成就までという従来のサイクルでは考えない。彼はその終わりと終わりからの始まりを描くことで恋愛の本質、「今、この瞬間の思いを大切にすること」を表現する。「今、現在」は過去の思い出や未来の不安の断片を常に含む、思いがけず、また思い込むことで連続していく様々な瞬間の蓄積としてある。他人同士が分かりあい、そしてすれ違い、我慢し合い、深く知り合う。恋愛がそういう蓄積としてあるならば、それは常に波のように揺れ動くものであり、ある振幅で瞬間的に壊れる可能性もある。あらゆる瞬間の可能性の中で人生という喜悲劇があり、恋愛というものがある。人生という波を微分的に捉え、そこに本質を見出し、それを味わうこと。そういう意志を自然のものとして感じる。

ウディ・アレン映画は、その総体、ひとつのシリーズとして評価することができる。こんな作家は今では他にいないだろう。『アニー・ホール』があり、『マンハッタン』があり、『ハンナとその姉妹』があり、『夫たち妻たち』があり、『重罪と軽罪』があり、『世界中がアイ・ラブ・ユー』があり、、、ウディ・アレンは年をとる毎に彼の「今、現在」を撮り続けることによって人生を表現していると言えよう。1986年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2010-05-15 23:38 | 海外の映画 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ラブコメ映画と『高慢と偏見』と 『マンハッタン』 semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 09日

ラブコメ映画が好きなのです。男優だったら、トム・ハンクス、ヒュー・グラントが好きかな。女優ならサンドラ・ブロックとメグ・ライアン。彼ら、彼女らの出ているラブコメ映画は無条件で観てしまうのです。90年代以降のラブコメってほとんどシチュエーションとキャラクターの違いだけで同じ型(ある種の障害を乗り越えて最後に結ばれる)の繰り返しなのだけど、そもそもラブコメの面白さって会話(ディテールとしての)ですよね。洒落たセリフの掛け合い。ほとんど漫才やコントのノリですけど。
最近、オースティンの『高慢と偏見』を読んだのですが、これこそラブコメの原点、かなり楽しめました。19世紀初頭の『ブリジット・ジョーンズの日記』と言ってもいいかも。実際、『ブリジット~』は『高慢と偏見』をモチーフにした作品だそうで、両方とも相手役の名前はダーシーさん。両方の映画・ドラマ共にコリン・ファースがダーシーさんを演じてます。(徹底してますね) この小説は、『ユー・ガット・メール』にも重要なところで登場してますね。

突然ですが、私的ラブコメ映画ベスト5を挙げてみました。

1位 ユー・ガット・メール
2位 トゥー・ウィークス・ノーティス
3位 フレンチ・キス
4位 ノッティング・ヒルの恋人
5位 恋愛小説家

かなりベタでした。。。

でもね。『ユー・ガット・メール』って本当に面白い映画ですよ。何度観ても笑えるし。ゴッドファーザーネタも最高。ラストシーンもジーンときます。『あなたが寝てる間に・・・』のラストもよかったなぁ。

あっと、ラブ&コメディと言えば、その道の巨匠ウディ・アレンの作品を入れていなかったけど、あれはラブコメって感じじゃないか。『マンハッタン』ならギリギリOKかな。(ならばNo.1!) 実は、ウディ主演でダイアン・キートンとのコンビもの『アニー・ホール』と『マンハッタン殺人ミステリー』、それからウディがひたすら若い女の子に翻弄されまくる『タロットカード殺人事件』と『夫たち、妻たち』とか大好きです。ものすごく笑えるのと同時に、結構身に詰まされたりしてます。『マンハッタン』はその両方の面白さがあり、かつ映像が素晴らしいのです。
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by onomichi1969 | 2010-05-09 20:07 | ランキング | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 2001年宇宙の旅 "2001: A Space Odyssey" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 04日

a0035172_23132675.jpg幼少の頃にテレビで観た時には、ご多分に漏れずさっぱり意味が分からない、僕にはやっぱりスターウォーズだな、なんて感想しかなかった。
時を経て、手塚治虫や小林左京、そしてクラーク、ディックと、SFの傑作に触れるようになり、サイエンス・フィクションというのが「人類とは何か?」「知性とは何か?」を問う神なき時代の科学的預言であることが理解できると、ようやくこの映画に対する扉が開かれたように思う。
この作品はキューブリックとクラークの合作と言ってもよく、あくまで小説『2001年宇宙の旅』がこの映画のノベライゼーションであることを考えれば、ある意味で同名の映画と小説はワンセットで一つの作品ではないか、とも思える。改めて、この映画の解釈をここで述べる必要はないでしょう。ただ「ツァラトウストラはかく語りき」はやっぱり確信的なBGMだ。意志こそが知性となり、人間身体を超えた意識の進化に繋がるのだー。チャーン チャーン ジャジャーン! 1968年アメリカ・イギリス映画(2003-10-23)
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by onomichi1969 | 2010-05-04 23:02 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ガープの世界 "The World According to Garp" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 04日

a0035172_0242820.jpg『ガープの世界』とは、“父”の不在を前提とした“母”の密着と崩壊めぐる寓話である。こう言ってしまうと、江藤淳の『成熟と喪失』の引用かと思われるかもしれないが、この物語を読み解くのに、日本型フェミニズムの到来を予見した江藤淳の60年代の名著が手がかりになることは間違いない。

アーヴィングと江藤淳。それは父(父性)と母(母性)の存在と不在を巡る個人の成熟の問題として捉えられる。確かに『ガープの世界』に関わらず、『ホテル・ニューハンプシャー』でもアーヴィングは成熟しない<し得ない>家族の物語を描いている。『ガープの世界』は、父の不在を前提とした中での、母性の密着と崩壊をテーマとして扱っている。父の不在は、(神という)精神喪失の世紀と言われる19世紀以降の自明の観念であり、その自明の不在を敢えて物語として設定化した上で描きたかったものは、現代的問題である母性の行方のはずなのである。(『ホテル・ニューハンプシャー』はそれに続く母の不在がテーマか。)ここで言う母性とは、根拠のある自閉性<愛情>といっていいかもしれない。だから、ガープの母親ジェニー・フィールズは、過激なフェミニストにして、やはり母親そのものであるというアンビバレンツな存在なのだ。これは江藤の著作で引用される小島信夫の『抱擁家族』と全く逆のシチュエーションであり、アーヴィングは母性を決して崩壊させない。

「すべてを受け入れて赦す母」と「責任に耐える治者としての父」、これは江藤が夢想した国家イメージである。これはアーヴィングの『ガープの世界』と『ホテル・ニューハンプシャー』の登場人物たちの家族イメージに重なるだろう。江藤にとっての日本は、アーヴィングにとっての家族なのである。そして、それは、母子という最も根源的な関係性を前提としている。

『ガープの世界』は、この問題に対して、どう着地しているか。ガープは決して成熟していないが、そこには未熟を前提としながらも、成熟する為の根拠を求める意志があり、彷徨があるのだ。『ホテル・ニューハンプシャー』もそうであるが、その意思こそがこの作品の核であると感じる。そこに母性という根拠のある自閉性が深く関わっており、成熟を放棄しながらも、その根拠を手放さず、彼らは母性に固執する。

しかし、現在の僕たちにとって、『抱擁家族』のように、日本も家族もその根拠を求める意志は確実に薄らいでる。これこそが江藤が決して認めたくなかったことでありながら、常に彼の著作に漂っていた現実であり、彼の根源的な不安だったのである。母性の崩壊はもう成熟を意味しない。父の不在の中で母が崩壊する。それは家族としても国家としても根拠のない自閉性の罠に嵌ったということなのである。それが現在である。1982年アメリカ映画(2003-09-06)
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by onomichi1969 | 2010-05-04 00:31 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 暴走機関車 "Runaway Train" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 03日

a0035172_23583463.jpgある種の切迫感が全編に漂う。それはロマンティックな感傷をそこはかとなく伴ったものでもある。

演出にはこれといって特徴的なところもなく、凡庸といっていいのかもしれない。しかし、僕はこの作品に昨今の災害系アクション映画にはない切実な意志を感じた。それは人間のミライを見据えて駆動する意志であり、投企である。

暴走機関車が雪原を爆走するラストは、とても絶望的に映る。しかし、この作品に通底するヒューマンな意志を感じる限り、それは同時にこの世界に微かに光るポジティブな一本の道筋を指し示しているように思える。そのアナクロな暴走劇は彼らなりのミライに向けた真っ当な賭けのように思える。僕にはそう思えた。だから僕はこの映画が好きなのだ。1985年アメリカ・イスラエル映画(2004-02-09)
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by onomichi1969 | 2010-05-03 23:59 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 エンジェル・アット・マイ・テーブル "An Angel at My Table" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 03日

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映像が美しく叙情的である。
そもそも美しさとは鑑賞者の叙情を通した絶対的で内面的な受け取りである。
この映画を美しいと思う僕の心情こそをこの映画は映像として照らす。

映像は、立ちのぼる詩情のバイブレーションとして、僕らの胸を奮わせる。

「天使が通る」その微妙な空間の亀裂。
エンジェルに誘われるようにして、詩情の世界にいそしむ主人公を周囲の人達が理解できないのは哀しいことである。でも本当に哀しいのは、周囲の人達であり、その断絶である。だから、美しさは儚い。1990年ニュージーランド映画(2004-01-24)
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by onomichi1969 | 2010-05-03 21:16 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ビッグ・ウェンズデー "Big Wednesday" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 03日

a0035172_20521531.jpg『ビッグ・ウェンズデー』を観たのは大学生の頃だった。僕の青春時代。青春は終わるものだ。若く、輝かしい日々。それは終わってしまう。確実に。

この映画に描かれる青春への強烈なノスタルジーは、大人になること、その通過儀礼へのアンビバレンツな感傷として、ビッグ・ウェンズデーという伝説に象徴的に集約されていた。ビッグ・ウェンズデーとは、青春の地平、その彼方であり、背景にあるものとして、若さという無謀さや未熟さの象徴としてあった。大人になるということはそのを純粋を失うことである。輝かしさの中でビッグ・ウェンズデーを待ち望む主人公たち。その希求こそが青春なのである。

しかし、それはあくまで幻想である。やがて笛が鳴り僕らの青春が終わる、、、本当だろうか。ノスタルジーはメランコリーの水脈となり、僕らの心にいまだ澱のように漂っている。大人になるということはその純粋を失うことと思い込むことである。ビッグ・ウェンズデーはノスタルジーの象徴となり、メランコリーそのものとなる。故に、どこまでいってもその発露はない。

最後に主人公たちがビッグ・ウェンズデーに立ち向かう姿に青春の影である無謀さや未熟さはもうない。彼らは青春の何たるかを知ってしまったものたち(大人)である。

70年代の映画として、当時のアメリカの正しい姿を刻む作品。ベトナム戦争の影故にそう強いられたのだが、この映画で描かれたものこそがある意味で真っ当な青春の姿だったのだと僕は思う。1978年アメリカ映画(2004-02-08)
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by onomichi1969 | 2010-05-03 21:00 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 野良犬 semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 03日

a0035172_10274577.jpg久しぶりに黒澤明の映画を1本観よう。と手に取ったのがこれ。

とても印象的なシーンが多い作品である。戦後まもない東京。真夏である。冒頭の街の喧騒。闇市。警察署内の整頓された書類室。繁華街の片隅の寂れた様子。ダンスショーの楽屋。安ホテルの電話ボックス。郊外の田園風景。
真夏の暑さに茹だり、汗にまみれ、砂埃りが舞う。空気はジメジメとし、太陽はギラギラと照る。今とは違うであろう都会の匂い。そんなすえた匂いが画面から漂う。そして、雷雨である。雨に濡れ、その匂いを感じる。

僕が好きなのは、刑事役の志村喬と三船敏郎が仕事帰りに志村の自宅でビールを飲むシーンである。郊外の一軒家。開け放たれた縁側から夏の夜風が涼やかに吹き込む。そこで交わされる会話。最近の若い者は、、、アプレゲール!云々。戦後派の三船と戦前派の志村。でも志村の子供はまだ幼い。勤続20数年だから、まだ40代か。思いのほか、志村喬は若かったのか。。。

プロ野球の観戦シーン(巨人vs南海)は結構貴重なんだろうなと思う。ジャイアンツの青田、藤本、そして川上が打つ。選手たちの一挙手一投足に超満員の観客がわく。彼らはそれぞれに立ち上がり、喝采し、座る。鳴り物なんてない素朴な応援風景。テレビがない時代だから、観客は選手のプレイにとても素直に感動しているように見える。選手たちも自由気ままでとても楽しそう。

そして、最後のシーン。犯人役の木村功を追い詰める三船敏郎。緑の中を駆け回る。白黒の画面に、色のない映像に、目くるめく極彩色の光景が浮かび上がるよう。平穏なピアノ音の中で、静寂の中で、犯人の慟哭。

戦後という時代。復員者たちは、南方や北方の異国で戦争を戦い、多くの戦死者、餓死者を間近にし、幾多の犠牲の中で帰国する。また国内でも多くの人々が空襲の下で辛苦を味わい、銃後の混乱の中で、国民全体が敗戦を受入れた。そういう時代からたった4年後の物語である。そこにある物語は常に戦後の日本という時代を背景にせざるを得ない。そして、それは現在の僕らに響く。僕らは今でも戦後を出発点として連続した時代を生きているから。その原風景がこの映画に描かれており、だからこそそれが僕らに響くのである。

僕は黒澤、溝口よりも、どちらかと言えば小津、成瀬が好きである。要は現代劇の方が性に合っているっていうだけなのだが、そういう意味では、黒澤作品も現代劇の『野良犬』や『天国と地獄』はとても好きな作品である。まだ「戦後」と呼ばれた時代風景の中で、その風景そのものが物語を綴っているような、それが現代の出発点だからこそ、僕らに響いてくる。その時代の貴重な空気、色、光と影、音や匂いが、ある種の思想として、そこにはあるのだ。1949年日本映画

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by onomichi1969 | 2010-05-03 10:45 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

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