Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 いつか読書する日 semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 19日

a0035172_0282117.jpg気持ちというものは、言葉にして初めて形になる。他者に表明して初めて具現する。そうでない時、それは得体の知れないものとして在る。表情として、仕草として、態度として、それは明白なものでは有り得ない、、、と僕は思う。
田中裕子と岸部一徳は、お互いにお互いを意識する間柄であるが、それは今の日常に踏みとどまるよう気持ち(言葉)を抑えることで成り立っているが故に、彼らの中には、「得体の知れなさ」が、幻想として肥大している。時々、敢えて言葉にしてみることにより、自らの感情を認識しつつ、それはガス抜きされる。いわゆる「恋」である。倦怠さを超えて尋常かつ切実に繰り返されてきた30年間に渡る「恋」のファンタジーである。

唐突であり、また都合のよい展開。それもファンタジーとしての物語である。

30年間思い続け、それが成就するというファンタジー。「恋」を扱った物語として、それは必然の展開なのではないか。

「いつか読書する日」というのは、いつか彼女が買い揃えた文芸小説を心静かに一人読んで過ごす日(は「そのこと」を超えないとやってこないということ)を指し示しているのだと僕は思った。そして、過剰な思いや欲望を意識しつつ、自ら抑圧した長い日々があり、言葉を紡いだ「その日」があり、お互いを心のままに求め合った瞬間があり、それらが想い出に変わる日々、瞬間を永遠のものとして、これからようやく様々な物語を自らに引き入れることができるのであろうことを暗示しているのだと思った。もちろんそれが解釈として妥当なのかどうかは分からないけど、この映画がそういった想像を含め、様々な思いを喚起させることは間違いない。

幾多の社会問題を散りばめながら、その関係性の中でさざめく日常があり、日常を超えて持続した「恋」のファンタジーがある。胸を突く、感動的な映画だった。2005年日本映画
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by onomichi1969 | 2010-02-19 00:28 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ラウンド・ミッドナイト "Round Midnight" semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 18日

a0035172_2351445.jpg世界は何故丸裸なのかな?
心と魂は人間の中にある
魚は水の中

だが世界は周りに何もない
いいことか、悪いことか
覚えておこう

『ラウンド・ミッドナイト』
-デクスター・ゴードン/海辺の語り

デクスターゴードンのナチュラルな演技(アドリブ)に魅了される。
その息遣い。失われた熱情をなぞりながらもジャズへの愛情を深く感じる映画。

そう、これは映画である。ジャズ・ライクな映画。

ジャズに生きた男がその魂を語る言葉。声。そして音楽。
それが彼の世界であり、この映画の魂。
レディ・フランソワが受け止めたように、
それは、僕らの心と魂に伝わる。
失われたものを想起させる。

素晴らしい映画。珠玉の作品。

ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス
演奏シーンも痺れる。

1986年アメリカ・フランス映画
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by onomichi1969 | 2010-02-18 22:56 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 愛のむきだし semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 12日

a0035172_0242425.jpg観てしまった!『愛のむきだし』を!

奥田瑛二の娘 安藤サクラと満島ひかりが評判通りすごかった。なんというか、70年代的なエロを感じたなー。永井豪マンガの実写版みたい。それでもって、話は盛りだくさんなんだけど、全てが確信的に薄い。薄っぺらのペラペラーって感じ。まるで阿部和重の小説みたい。

愛=勃起だなんて。確信的に過ぎるくらいにアカルくて、ポップだ。それって、70年代から80年代にかけての価値観そのもののように思えるけど、それが今、同時代的なのかなぁ?

アカルすぎる映像ということでは、先に鑑賞した『アバター』の世界観を僕はその模造的な浅さ故に批判的に論じてみた。そういう意味で、『アバター』と『愛のむきだし』は同様であるが、当然のことながら、それは同質ではない。同じようにアカルくて、浅い映像ながら、その質が全く違うと感じる。

ある種の信仰に対する「切実さ」にも厚さ/薄さがあると以前書いたことがある。今度は表現の「薄さ」にも質感の違いがあると言いたい。そんな薄っぺらさの質感(その凄み)というものを作品として体現しているのが、実は、阿部和重の小説である。過去に僕が彼の作品をレビューした際の文章を以下に引用する。

冒頭で、昨今頻発する殺人事件の動機は「心の闇」などという問題ではないと述べた。阿部の小説を読んでいると、その認識は実は全く逆で、「心の闇」のなさこそが我々現代を生きる人間の荒んだ心情の由来ではないかと感じてしまう。真空にも物質的な密度があるように、平板さと明るさの中にこそ現代的な「心の闇」が裏返しに潜んでいて、それが瞬間的に漏れ出てくるのではないか。それこそが現代の心情の根源であるのだと。その境界の「薄っぺらさ」がある種の得体の知れなさ=息苦しさとして、僕らの胸に文学的に響いてくるのである。


人間の狂気を僕らの認識の下、無意識の奥深くに湛えられたものとこれまでイメージしていたのではなかったろうか?しかし、狂気は、トランプの裏側に貼り付けられたもの、それをめくれば、そこに現れるもの、簡単に表が裏になり、裏が表になる、そういったものに今成りかわっているのではないだろうか。そのトランプこそは人間であり、まるでトランプ兵の姿として、そこに在るのだとしたら。朝起きたら、自分の体がトランプ兵になっていたとしたら。。

『愛のむきだし』に戻る。(注意:以下、ネタバレあり)
この作品が上記のような現代的な得体の知れなさ=息苦しさを描ききっている、、、とは全く思わないけど、最後に主人公が愛に絶望して狂気に落ち込んだ後、愛する人との邂逅により、いとも簡単に正気に戻るのは、そのありえなさ故に示唆的である。だけど、その最大の起因が、「勃起」だというのは、あまりにも牧歌的というか、やっぱり70-80年代のマンガ的な単純さに過ぎる気がするけど。。。2008年日本映画
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by onomichi1969 | 2010-02-12 23:41 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Neil Young & Crazy Horse “Life”(1987) semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 02日

a0035172_2121378.jpgニールとクレイジーホースの数あるアルバムの中で、60年代といえば”Everybody Knows This is Nowhere”(1969)であり、70年代は”Zuma”(1975)、90年代は”Ragged Glory”(1990)が代表作だというのは多くの人が納得する選択だと思うが、では、80年代は何か?
ニールにとってのexperimental years 80年代の様々なアルバムの中でキラリと光る逸品。実に80年代らしいサウンドでありながら、そういったラベリングを易々と超える彼らにしか出来得ない傑作。僕の中で、ニールとクレイジーホースの80年代の代表作は“Life”(1987)なのである。おそらく多く人に異論はあろうと思うが。。

このアルバムは、Aサイドを飾るMideast Vacation、Long Walk Home、Around the World、Inca Queen、そしてラストのWe Never Dancedに尽きる。特にLong Walk Homeこそはこのアルバムの肝である。

If Liberty was a little girl
Watching all the flags unfurl
Standing at the big parade
How would she like us now?

朴訥としたハーモニカが響くオープニング。朗々としたニールのボーカルにピアノ、そして80年代風のシンセサウンドが被さる。そこに銃声が轟く。爆撃機の銃撃音。大地に突き刺さる弾丸の音。爆裂により吹き飛ぶ人々。ここは戦場である。

From Vietnam to old Beirut
If we are searching for the truth
Why do we feel that double-edged blade
Cutting through our hand.

正直言って、最初にこの曲を聴いた時はびっくりした。ギターで爆音を表現する奏法はよくあるが、爆音そのものをバックに歌うこと、その直截的な表現に何とも言えない違和を感じた。その違和こそがニール・ヤングなのだ。そして、胸が震えたのである。

America, America
Where have we gone?
It's such a long walk home

アメリカ、アメリカ
俺たちは何処に迷い込んでしまったのか。
故郷まで、何て長い道のりなのだろう。

彼の反骨精神が作ったアルバムである。“Re-ac-tor”(1981)のShots、銃撃音に彩られた名曲の流れをアルバムとして汲む。通底するのは何かが違う、普通でない感覚、ある種の唐突感であり、屈折であり、違和である。
巷ではあまり評判のよくないようだが、このアルバムは間違いなく、彼の代表作である。80年代の真っ只中に、こんな凄いアルバムが「密かに」作られていたのか。彼は長い長い道のりの途中にあることを常に自覚していたのだ。
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by onomichi1969 | 2010-02-02 22:22 | 80年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Neil Young & Crazy Horse "Zuma"(1975) semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 02日

a0035172_2145991.jpgニール・ヤングとクレイジーホースの2枚目の共演アルバム。ある意味で、彼らのその後の歴史はこのアルバムによって運命付けられたとも言える名作である。ニールの盟友、ギタリストのフランク・サンペドロが初めて参加したアルバムでもある。

このアルバムの名作たる所以は、その楽曲のラインアップにあると思う。文句無しの名作揃い。まさにハズレ無し。始まりからエンディングまで、全くだれることがない。34分の恍惚である。
アルバムとしてだれない理由は、名作揃いのラインアップの中にも更にアクセントとなる名作中の名作が絶妙の配列で仕込まれていることによる。2曲目のDanger Birdと8曲目のCortez the Killerがそれである。

Danger Bird は、ベルベット・アンダーグラウンドのルー・リードが 「心が痛むほど美しいギター・プレイ」 と絶賛したと言われている。ゆったりとした中に哀調のギターサウンドを聴かせる。いつまでも聴いていたい気持ちになる。
Cortez the Killerは、アステカ王国を滅ぼしたスペインの侵略者コルテスを歌った曲。 この曲もギターサウンドを実に味わい深く、じっくりと聴かせる名演である。1991年のライブアルバム”Weld”では10分近い演奏も聴けるが、ここでの演奏は最後のフェイドアウトがなんとなく哀しい。

あと、カントリー調のロックサウンドDon't Cry No Tearsや枯れた味わいのPardon My Heart 、重厚かつポップな味わいのあるStupid Girlもよい。全てよい。

このアルバムによって、ニールとクレイジーホースは彼らのスタイルを確立し、70年代後半のライブ”Rust Never Sleeps ”(1979)や”Live Rust”(1979)というライブバンドとしての成果に結実していくことになる。
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by onomichi1969 | 2010-02-02 22:17 | 70年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Neil Young & Crazy Horse ”Ragged Glory”(1990) 『傷だらけの栄光』 semスキン用のアイコン02

  

2010年 02月 02日

a0035172_1594563.jpgニール・ヤングがグランジおやじだったなんて初めて知った。90年代も奥が深い。。
このところ、リアルタイムでは殆ど聴いたことがなかったニール・ヤングの80年代、90年代の代表作を聴いている。
ニール・ヤングにとって、80年代はexperimental yearsだそうで、おそらくテクノに挑戦したアルバム”Trans”(1982)のイメージが強いのだと思うけど、要は彼にとって試行錯誤の時代だったいうことなのだろう。そんな曲折の80年代を吹っ飛ばすかのようなロックンロールアルバム。それが1990年に発表された”Ragged Glory” 『傷だらけの栄光』であった。
ニールとクレイジーホースにとっての久々の快作であり、吹っ切れたようなギターサウンドを存分に聴かせる90年代の代表作と言えよう。60年代のDown by the RiverやCowgirl in the Sand、70年代のHey Hey, My My(Into the Black)以来のフィードバック・ノイジー全開のギターサウンドが全編に満ち溢れると共に、キャッチーで明るいメロディが特徴的。クレイジーホースがこの時期にしてこのようなサウンドを掴んだのは、おそらく80年代後半のR.E.M.のようなギターポップが一躍メジャーとなり、Guns'n Rosesがギターアンサンブルを復興し、その後のソニック・ユースやニルヴァーナのようなオルタナ全盛時代を準備した1990年という時期故のことだったのだろう。
但し、これだけは言っておきたいが、”Ragged Glory”は、ニールとクレイジーホースにとって完全なるオリジナルサウンドであり、そのスタイルは迷走の80年代をすっ飛ばしてみれば、60年代から連なる何の変哲もない彼ら独自のサウンドなのである。冒頭のCountry Homeはアルバムを象徴する名曲だけど、この曲は70年代中期にニールのライブでは既に演奏されていたナンバーだという。そういった意味でこのアルバムは、時代を超越していると感じる。70年代も80年代もない、時代という屈託のない、今聴いても新しいと同時に古めかしい正真正銘のロックンロールアルバムなのだ。

このアルバムの意気は、ファーストナンバーCountry Homeに尽きる。もちろん、F*!#In' UpやMansion on the Hill、Over and Overも素晴らしいが、やっぱり冒頭の一発で全てが決まったって感じがする。この曲はその名の通り、何の変哲もないthankful for my country homeを高らかに歌うカントリーロックである。しかし、そこには新しさと古さが渾然一体となった本来的なロックの匂いがある。1990年という時代の端境に迸ったロックの彷徨える魂がある。

70年代後半パンクロックにエールを送り、90年代にはグランジおやじとなる。ニールはいつもヤング・ジェネレーションに自然と寄り添う運命なのだろう。ロックの彷徨える魂。彼は稀代のギターヒーローでもある。

1991年、湾岸戦争が始まり、時代は一挙に暗澹とする。それはロックの世界にも影を落とし、心あるミュージシャンは必然的に時代に囚われていくことになる。彼らのロックの魂は、それ以来ずっと彷徨い続けている。
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by onomichi1969 | 2010-02-02 02:06 | 90年代ロック | Trackback | Comments(0)

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