Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 庄野潤三 『静物』 semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 23日

a0035172_052977.jpg庄野潤三氏が逝去されました。

氏の代表作と言えば、『静物』ですね。

個人的にも大好きな小説です。この作品の凄さについては、いろんなところで書かれていますので敢えて繰り返しませんが、とにかく凄い短編小説です。淡々と描かれる凡庸な日常、安定した家族の日々の心情が、たった数行の叙述によって、全て危ういものに変化してしまう、まるでホラー映画のような恐ろしさを秘めた小説なのです。村上春樹の短編案内にも紹介されていたと記憶します。氏の以後の小説『夕べの雲』も『静物』や『プールサイド小景』あってこその作品でしょう。実際のところ、『夕べの雲』には、表面上全くといっていいほど日常の危うさや破綻の雰囲気さえもありませんが、それが潜在化されてしまっているところに『静物』以後の氏の作品の背景があるのだと僕は思っています。物語は潜在化しているのです。それは現代の風景そのものでもあります。

ご冥福をお祈りいたします。
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by onomichi1969 | 2009-09-23 01:00 | | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Bryan Adams "Into the Fire"(1987) semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 21日

a0035172_21575862.jpg中学生の頃は、まだ夜更かしが得意ではなかったので、夜11時過ぎに始まる「ベストヒットUSA」を毎回観ることがなかなかできなかった。僕が最初にこの番組を観たのが中学3年の頃で、その時のチャートのNo.1がシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」だったか、ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」だったか、いまいち記憶が判然としないのだけど、時期としては84年の春頃だと思う。それ以来、時々、番組を単発で観るくらいだったが、プリンスやジョン・ウェイト、ゴーストバスターズ、ワムがNo.1で紹介された回のことをおぼろげに覚えている。ベストヒットUSAを観る度に毎回大いなる感銘を受け、次回も絶対に観るぞ~と思っていたのだが、なかなかそれができなかったのである。(早寝だったのね)

ベストヒットUSAを本格的に観続けるようになったのは1984年も冬に入った頃。ちょうどホール&オーツの「アウト・オブ・タッチ」がNo.1の時だったと思う。この回にはドン・ヘンリーの「ボーイズ・オブ・サマー」やマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」等が赤丸急上昇で、その中には今回紹介するブライアン・アダムスの「ラン・トゥ・ユー」も上位にランクインしていた。ブライアン・アダムスの「ラン・トゥ・ユー」は、ニューアルバム『レックレス』からのファースト・シングルで、PVの映像がなかなかかっこよかったという印象が強く残っている。サングラスを掛けるブライアン・アダムスが渋くて、ギターをかき鳴らす姿もハマっていた。また、このPVに出ていた女の子が結構可愛くて、彼女見たさにMTVや他の洋楽チャンネルでこのPVを期待して見るようになったのだ。彼女はその後、ブライアン・アダムスのPVに出てくる「彼女」として、僕の記憶に留まることになる。彼女はその他に「想い出のサマー」にも出演している、と思う。たぶん。

以上の記憶のもとで、つい先ほど、Youtubeで当時のPVを観たら、、、あれ?こんなだったかな??やっぱり時代は80年代ですなぁ。昔は心からかっこいいと思ったんだけど。
あれから25年。いつしか長い年月が流れているのであった。。。

まぁそれはそれ。
「ラン・トゥ・ユー」によって、僕の中でブライアン・アダムスは一押しのミュージシャンとなった。もちろん、アルバム『レックレス』(1984)と前作『カッツ・ライク・ア・ナイフ』(1983)は早速貸しレコード屋で借りてダビングし、繰り返しテープを聴いたものだ。お気に入りの「ヘブン」や「イッツ・オンリー・ラブ」も全米で大ヒットし、僕はとても満足したのだった。その頃はベストヒットUSAが学校のクラスの中でも浸透していて、友達とチャートの行方に一喜一憂した。

ブライアン・アダムスの代表作と言えば、やはり『レックレス』(1984)ということになる。
このアルバムはある意味で80年代ロックの金字塔とも思える。シングルカットされた曲は言うに及ばず、名曲が揃った本当にいいアルバムだ。1曲目の「ワン・ナイト・ラブ・アフェアー」は彼のアルバムの中でも最高のリードオフだと思う。アルバムを1枚選ぶとすれば、『レックレス』はどうしても外せないだろう。
ただ、『レックレス』について以前に紹介しているので、今回は、『レックレス』から3年ぶりに発表された次作『イントゥ・ザ・ファイアー』(1987)を取り上げることにする。(長い前フリでしたが、、、)

『イントゥ・ザ・ファイアー』からはシングルカットとして、「ヒート・オブ・ザ・ナイト」が全米トップ10ヒットとなったが、それ以降のシングル「ハーツ・オン・ファイアー」は全米26位、「ヴィクトム・オブ・ラブ」に至ってはマイナーヒットに留まる。アルバム全体のトーン、個々の曲調についても前作から明らかに違いがあった。前2作で築いた彼の売れ線とでも言うべきキャッチーでメロディアスなロックサウンドはここでは見られない。全体的に明るさが抑えられ、シンプルで骨太なギターサウンドが金属的に響く。それが本当に彼の目指すサウンドだったのかはよく分からないが、彼が現状の立ち位置に満足せず、よりオリジナルな音楽性を目指したのは確かである。結局のところ、それは大ヒットした前作の栄光の前に易々と飲み込まれてしまうのであるが、僕はその姿勢を評価したい。

よくよく聴いてみれば、寂れたトーンのギターが特徴的なこの時期のバラードはなかなかよい。Native SonやRebel、Home againといった曲だ。彼の持つある一面、モノクロの色彩が広がるアルバムジャケットに象徴される、彼の佇む都市の風景を彼自身の原風景(オリジナルなもの)として思い浮かべさせる。寂れたトーンの中に豊かな叙情性を響かせる。これらのバラードは彼の隠れた名曲だろう。

ブライアン・アダムスは、アルバム『レックレス』によって、アメリカや日本でアイドル的な人気を得た。しかし、彼には元々アイドル的な要素というのは乏しい。一見して精悍で爽やかな白人の若者というイメージだし、PVでの映りがいいのでファーストインプレッションは悪くないが、実際の彼は背が低いし、顔はあばただらけ、容姿はとことん田舎くさい。ある種のコンプレックスを抱えた若者といった風情さえ感じさせる。そんな彼が『レックレス』の大成功を彼自身のスター性としてそのまま受け止めることができなかったとしても、それは理解できない話ではない。

『カッツ・ライク・ア・ナイフ』、『レックレス』があって、『イントゥ・ザ・ファイアー』がある。『イントゥ・ザ・ファイアー』は世間的にいったら失敗作だろう。しかし、この3枚のアルバムの流れの中にこそブライアン・アダムスの本質が見えるようで、僕は、彼のこと、彼そのものが好きなように、これらのアルバムが否応無く好きなのである。
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by onomichi1969 | 2009-09-21 18:31 | 80年代ロック | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 自民党総裁選 semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 20日

今は「脱官僚」ということがスローガンみたいになっているけど、一体、政治主導とはどういうことなのか、今後の2大政党制の中で政府が官僚をどのようにコントロールしていくのか、その具体的な姿というのがなかなか想像できない。僕の中で、行政というのは、各官庁であって、それを主導するのが官僚。政治とはこれまで「判断」であった。政府が行政のどこまで踏み込んできて、政権交代の可能性の中で官僚がどのようにポリシー別の仕事をしていくのか。なかなか難しいところである。民主党はそこまで踏まえて脱官僚、政治主導の枠組みを作ろうとしているのだろうか?そのあたりはまだ見えてこない。
脱官僚に天下り禁止に公益法人の撤廃と、高級官僚の人々も大変な世の中になっているようだ。税金を使っているばっかりに大変なこってす。これで、優秀な人材が民間にどんどん流れてしまうような気がして、大丈夫かなとも思う。公務員減らして、政治家減らして、政府はどんどん小さくなるよ。
僕の数少ない官僚の知り合いは、高校の同級生で、やっぱり東大法学部。すごく優秀なやつだったなぁ。その能力を存分に発揮して仕事をしてほしい。

まぁそれはそれとして、今、気になっているのは自民党の総裁選挙である。
河野太郎さんには頑張ってもらいたい。でも、総裁になるのは谷垣さんなのだろう。それは数の論理で仕方がないとして、河野さんにはその後に自民党を割ってもらいたい。彼こそは「小さな政府と地方分権」を掲げる政治グループを結成できる人だと思えた。「小泉路線の継承」をポリシーとして堂々と掲げているのも潔く、2大政党制の中で保守イデオロギーのひとつの対抗軸となりうるのではないか。

そうなれば、民主党は「大きな政府と中央集権」でしょう。市場原理主義と資源分配主義。もちろん、中庸なグループもあっていいし、2大政党にこだわりはない。

そういった政界再編が起こったとき、小沢一郎という人がどう動くのかが一番気になるところだ。
彼の描く2大政党制はおそらく今の姿ではない。民主党にいるのは政局の為であり、彼こそは90年代初頭に「小さい政府」を掲げた人ではなかったか。民主党も割れればより理想に近い2大政党制が出来上がる。

2大政党制の中であるべき官僚の姿はどうだろう?これはやっぱり難しいね。日本の将来を見据えて、本来は官僚と政府が共同で政治を主導していかなければならないはずだけど、ポリシーによって、仕事の内容が変化するというのはやりきれない。だからこその政治主導だろうけど、そう考えると、本当に2大政党制っていいものなのかな?

今日、テレビを観ていたら、テリー伊藤が「自民党の内紛を見ていると腹が立ってしょうがない。勝手にやれって感じだ」と言っていたけど、個人的にはすごく面白い展開だと思うし、もっと注目されていいとも思う。でも、未来像はまだ見えてこないなぁ。この国のかたち、、、どうなることやら。

「僕は日本のアカルイミライが見えませーん!」「見つけろ、てめえで!」ってか。
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by onomichi1969 | 2009-09-20 16:21 | 時事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 AREA '09.9.7号 『犬を殺さないドイツの常識』 semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 20日

a0035172_1546030.jpg少し古い記事になるけれど、ちょうど衆院選開票の直後に発売された民主党記事満載のAREAの中に、以下のような記事が(ひっそりと)あった。ここに全文が掲載されているので、興味のある人は参照して欲しい。

AREA '09.9.7号に『犬を殺さないドイツの常識』

正直、この記事の内容には驚いた。
ドイツという国には僕も何回か行っており、環境や福祉への取り組みが進んでいる国だとは思っていたけど、ここまでとはねぇ。翻って、日本をみれば、年間13万匹の犬が自治体に引き取られ、その内の10万匹が処分されているという。

この記事には、わが国にとって示唆的なところが随所にあるように思える。ひとつは、「犬法」という考え方で、リンク記事には本文で参照しているチャートが記載されていないので、以下に雑誌から抜粋してみる。

・犬は戸外において十分な運動と飼育管理している者との十分な接触が保障されなければならない。
・子犬を生後8週齢以下で母犬から引き離してはならない。
・戸外で犬を飼育する者は保護壁及び床断熱材を使用した日陰の休息場所を提供しなければならない。
・犬を室内で飼育する条件として生活リズムのための採光と新鮮な空気が確保できる窓がなければならない。
・犬舎(檻)の大きさは少なくとも犬の体長の2倍の長さに相当し、どの1辺も2メートルより短くてはいけない。
・体高50センチまでの犬の場合、犬舎(檻)の最低面積は1匹あたり6平方メートルなければいけない。
・飼育管理する者は犬の生活環境を清潔に保ち、糞は毎日取り除くこと。
(AREA’09.9.7号より抜粋)

この「犬法」と共に、「犬税」というものもあって、犬1匹で年1-2万円、2匹目からは年2-4万円の課税となるという。これらの負担によって、人々が安易に犬を飼うことへの抑止力になっているらしい。
ペットを飼うということに対する国民の意識の高さには正直言って承服せざるを得ない。これはドイツの人々にとっては、犬といえども命を如何に大事にしているか、或いは犬の命が他の動物とは如何に違うかを物語っている。また、これらはドイツの歴史的な背景(というかトラウマ)とも十分に関係しているようにも思える。

ものごとにはお金がかかる。この記事の最大の驚きはその資金が全て個人や企業の寄付によってまかなわれていることだ。前述の国全体としての意識の高さもあるけれど、よほど業界団体の圧力が強いのだろう。殺さない為には産まないことも重要だから、記事にはないけど、そのあたりの処置にもしっかりと規制があるのだろう。

記事の筆者である太田匡彦氏はこれまでに同様のテーマで以下のようなレポートを書いている。

犬ビジネスの「闇」
隔週木曜日は「捨て犬の日」

上記のAERA-netリンク記事の続きは、以下のサイトでほぼ確認できます。ご参考まで。

殺される犬達: AERA 12/8号 「犬ビジネスの『闇』」 
AERA '09.4.13号より 隔週木曜日は「捨て犬の日」
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by onomichi1969 | 2009-09-20 15:57 | 時事 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ラヴソング "甜蜜蜜" semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 20日

a0035172_10371671.jpgマギー・チャンと言えば、『ポリス・ストーリー』のヒロイン、、、というのはもう大きな間違い?
移り変わる時代背景の中で、男女の恋愛を描く物語と言えば、日本でも昔、『十年愛』なんてドラマがあったし、ハリウッドの『恋人たちの予感』も似たような感じだったかな。
近づきつつ何処までも擦れ違う2人、、、という最後の方の展開も、80年代後期のトレンディドラマ『君が嘘をついた』の最終回を彷彿とさせる。とは言え、これはもう携帯電話の時代には有り得ないシチュエーションなんだろうけど。
そんなイメージで観れば、『ラヴソング』という物語もベタな邦題に違わない、何てことない10年越しのラヴストーリーに過ぎないんだけど、でも、惹きつけられるものがあったのは確かなんだなぁ。
その要素の一つは、ヒロイン、マギー・チャンの個性なのだと僕は思う。彼女は決して可愛い子ちゃんではないし、特別に美人でもない。けど、その表情には言い知れぬ感情を秘めた独特の憂いがあり、その立ち姿には意思の通った芯の強さがある。そして、彼女の容姿から立ち上るのは、媚や理知というよりも、情の深さである。博愛である。
この映画には印象的なシーンが多い。自転車の二人乗りで語り合うシーン、初めてのキスシーン、新年の挨拶を交わすシーン、背中のミッキーマウス、海水パンツ、車のクラクションからのキスシーン、タイムズ・スクエアで自転車の野菜配達(?)、そして、N.Y.での偶然の再会から、香港での運命の出会いへ。それこそベタな恋愛的アイテムの寄せ集めとも思えるけど、こういう見せ方をある意味で「王道」というのかな。
最後に、偶然の再会から、運命の出会いへ。その可能性こそがこのラヴストーリーのベースであり、バックグラウンドとなっていると感じる。それがこの映画に惹きつけられた一番の理由かもしれない。1996年香港映画

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by onomichi1969 | 2009-09-20 10:44 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 日の名残り "The Remains of the Day" semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 19日

a0035172_21534962.jpg思慕の熱情は徹底的に抑えられるが、微かな戸惑いの表情と動作に現れるズレが彼の心情を切実なものとして僕らに伝える。映像は彼のモノローグを確かに映す。それは、生きるということに付きまとう様々な心情の物語であり、ラブストーリーである。
彼は自らの役割に生き、その忠実さによって生の充実を得てきた。そこに差し挟まれる仄かな疑義。戸惑い、躊躇しつつ、それでも愚鈍に役割を演じることを選ぶ。それは何という諦念であり、決意なのだろう。沈黙の中に様々な心情を映す。これこそが真のヒューマニティなのだと僕は言いたい。
物足りる作品は、想像力を掻き立てない。物足りない作品こそ、僕らの想像力によって補われ、僕らの為の作品となる。
『日の名残り』が最上のドラマであることは改めて言うまでもない。良質の映画というものは、その良質さ故に、結局のところ、分かる人にしか分からないものなのだろう。1993年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2009-09-19 21:56 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 スパルタンX semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 16日

a0035172_18476.jpg『プロジェクトX』→『五福星』とくれば、次は『スパルタンX』しかないでしょう。
と言っても、内容的には、怪鳥ベニー・ユキーデとのラストの格闘シーン以外あまり印象に残っていないかも。。。3人の活躍はそれなりに楽しめたけど、スペインという舞台には少し違和感があったような気がする。(やっぱりジャッキー&サモハン、ユンピョウは香港が舞台なのがしっくりくるね)

僕ら中坊の男子にとって、ジャッキー映画が必見だった1984年。この映画がジャッキー最高潮の年の〆の作品だった。翌年から、『ポリス・ストーリー』や『大福星』、『サンダー・アーム』とか新たなジャッキー映画の怒涛の攻勢があるけど、僕らの年代的には盛り上がりも前年に比べて下火になっていったと思う。映画館で観るのも殆ど惰性だったような。。。今思えば、『プロジェクトA』(や『五福星』)が如何に衝撃的ですごい映画だったかと。

あと、スパルタンXといったらアーケード・ゲームと三沢光晴(泣) いずれにしても、すごい邦題だよね。1984年香港映画
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by onomichi1969 | 2009-09-16 00:47 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 五福星 semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 16日

a0035172_0264567.jpg最高に面白い映画!サモハン一味のギャグだけじゃない。アクションも素晴らしい。特にジャッキー・チェンのローラー・スケートのシーンはかなりきてます。彼の一連のスタントの中でも衝撃度は1,2を争うんじゃないかな。あと、個人的には香港仲良組の中で、チンケとハンサムの絡みが特に笑えたなぁ。とにかく、映画館で観てこんなに笑えた映画はないね、といっても20年以上前の話だけど。 1984年香港映画(2004-01-31)
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by onomichi1969 | 2009-09-16 00:28 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 プロジェクトA semスキン用のアイコン02

  

2009年 09月 16日

a0035172_021374.jpg僕らの世代は、ジャッキーチェンです。あの頃(10代前半)、ジャッキーチェンの映画は欠かさずに観てましたね。で、ジャッキーチェンの代表作といったら、やっぱりこれと『酔拳』でしょう。これまでのカンフーアクションから、独創的なスタントの世界へと飛躍した彼の記念碑的な作品。サモハン、ユンピョウとのトリオも最高です。ギャグもアクションも冴えに冴えていました。アイディア溢れる格闘シーンと体を張ったアクションの数々。素晴らしいですねー。ジャッキー全盛期の大傑作映画でしょう。今のハリウッドスタイルのアクション映画を観ると、つくづくジャッキーチェンの偉大さを身に沁みて感じる今日この頃です。 1984年香港映画(2004-01-31)
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by onomichi1969 | 2009-09-16 00:23 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

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2009年 09月 06日

a0035172_032843.jpg夏目漱石の「こころ」は純愛小説である。漱石にとって恋愛とは、完全なる自意識の劇であった。恋愛とは自我の可能性と不可能性を行きつ戻りつしながら、常に自己自身の不一致と世界への不信に苛まれる「私」という存在の自意識過剰なモノローグとして在る。ある意味で漱石の描く恋愛小説とは、個人小説でありながら、その個人の不確かさを描くことによって、常に個人が個人として在るという近代の前提を覆す反近代的な物語にもなり得るのである。小説「こころ」は恋愛小説であるが、それは同時にモノローグであるということを決定的に指し示した作品ともいえる。
「心」は新藤兼人による「こころ」の映画化作品なのだが、この評価はなかなか難しい。何故なら、そこで描かれるべきものは、思いが常に言葉としてしか表現できないという関係性の限界から立ちのぼるモノローグであり、それは言葉を突き詰めることによって初めて表現される苦悩であるから。よって、モノローグのない「こころ」は、自意識の劇そのものにはなり得ない。では何か?? その不明瞭さこそが「心」という映像作品の核心なのかもしれない、というのはかなり穿った見方ではあるか。。 1973年日本映画(2004-08-03)
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by onomichi1969 | 2009-09-06 23:57 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

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