Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

onomichi.exblog.jp

ブログトップ

semスキン用のアイコン01 <   2008年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 華麗なるギャツビー "The Great Gatsby" semスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 03日

a0035172_10103100.jpgギャツビーもニックもちょいとイメージが違うのだが、、、原作のギャツビーは何やら怪しげな素性ながら実は純粋で誠実な人間であり、そのことが田舎インテリで若気を残すニックに感銘を与えるのである。ギャツビーの素性の如何わしさ、成り上がりものとしての存在感、上流階級に馴染めない率直さなど、レッドフォードのお坊ちゃん的雰囲気とはあまりにも対極にあるような気がする。ニックについても同様。ニックは語り部らしい機転のきくスマートな皮肉屋であるはずなのに、画面で見る人物は単なる田舎青年にしか見えない。つまり人物設定が平板な印象を拭えないのである。
それでも、若きレッドフォードはそれなりに魅せる人物ではあるようだ。確かに華麗である。でも、本来ギャツビーは華麗ではない。ギャツビーは価値判断の間違った無為な破滅志向に囚われる純朴さの象徴であり、それが偉大なのだ。

ギャツビーの破滅がこの作品の主題であるとともに、ニックにしてギャツビーを偉大だと思わせる、その破滅も含めて忘れえぬ印象がニックを人間的成長に導く物語でもある。その辺りの描写はかなり薄く、あの当時の時代的雰囲気を忠実に再現した小説のダイジェスト版と言われてしまうのも分かるような気がする。なかなか映画化は難しいものだ。1974年アメリカ映画(2004-07-04)
[PR]

by onomichi1969 | 2008-08-03 10:10 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 レナードの朝 "Awakenings" semスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 03日

a0035172_104982.jpg「生かす」というのは難しい問題だと思う。なぜなら「生きる」とは元来、主体的な問題だから。「生きる」という倫理には、結局のところ普遍的な結論というのは有り得ず、道徳という道筋や常識という枷でそれを推し量ることはできない。ただ、人間というのが常に他者との関係性によって成り立つ社会的な自我そのものであること、それ故、人間の抜け殻である身体が果たして人間としての価値を有するのか、という素朴な(ある意味哲学的な)疑問を誰もが拭い去れないのである。そういう潜在的な妥当がこの映画を感動的にしている要因であると思う。

レナードが眠りから覚めるシーン。その輝きと喜び。生きることの素晴らしさへの訴え。一体これは誰の意思なのか、一瞬、疑念が湧く。確かに人嫌いの医師とレナードの対比は作為的に感じるし、展開があまりにも予定調和すぎるような気がしないでもない。ただ、僕はこの映画を素直に捉えたい。この映画が見せる「生きる」という問いかけを僕は真摯に受け止めたい。彼が「生きたい」のかどうかは僕には分からないが、ただ、僕は「生きる」のである。その主体的な有り様、実はロビン・ウィリアムス演じる医師に投影されているところの、生きていくことの素直な有り様を深く考えさせる、そういう映画として僕は評価したいと思う。1990年アメリカ映画(2003-12-06)
[PR]

by onomichi1969 | 2008-08-03 10:05 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 リトル・ダンサー "Billy Elliot" semスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 03日

a0035172_9503047.jpg久々に映画を見て泣きました。僕にとっては『月光の夏』や『インディアン・ランナー』以来ですね。(と書くとなんか薄情な性格だと思われるかもしれませんが。。。) この映画はあの親父さんの映画です。実際、僕が泣けたのは、親父さんがスト破りをするところと息子の合格通知を知って突っ走っているところでしたから。
人は誰しも意固地に陥るけど、その根拠の由来は既に無く、希望のひとすじを掴むも握りつぶすもあとはチェンジマインドする為の勇気だけなんだと、親父さんのなりふり構わない姿に感動しました。(頑固親父も居場所がない時代だ。。。) 
僕はバレエダンスの型に関する知識は全くないので、主人公のダンスがバレエであるかどうかなんてどうでもよくて、ただダンスそのものが純粋に人を動かす力がある芸術であり、表現なんだってことを深く感じました。というか、それが上手い下手や情熱の有る無しに関係なく、人の心を揺さぶるからこそ、芸術的なんだということでしょうか。それは主人公の意思を超えていて、なおかつ型破りであるが故に彼のその後の成長を誰もが確信したんじゃないのかなと思います。確かにラストシーンは予想通りでしたからね。2000年イギリス映画(2002-09-22)
[PR]

by onomichi1969 | 2008-08-03 09:52 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Howard Jones "One to One"(1986) semスキン用のアイコン02

  

2008年 08月 02日

a0035172_22594177.jpgハワード・ジョーンズの最高傑作である。
作品のインパクトという意味ではファーストアルバム"Humans Lib"(1984)が突出しているし、そのポップセンスが如何なく発揮された全米デビューのセカンドアルバム"Dream into Action"(1985)もよい。
彼の大ヒット曲、"New Song"や"What is Love"の新しさ、そのインパクトに比べたら、サードアルバム"One to One"(1986)のラインアップは地味に映るかもしれない。楽曲的に言えば、それほど変わりはないが、彼の登場から2年の月日は、その新しさとインパクトを失わせるには十分な時間だったし、ハワード・ジョーンズ的な音はもう既に80年代ロックという枠に易々と取り入れられ、その特徴は多くのフォローアーによって飲み込まれたと言ってよいだろう。さらに言えば、80年代後半以降の音楽技術的な進歩はこういったシンセ・ポップ・サウンドを時代遅れのものに変えてしまった。そういう意味でこのアルバムには当時も今も音楽的な新しさという点で見出せるものは殆どないと言っていい。

しかし、そういった状況を差し引いても、このアルバムは素晴らしい。
特にバラード曲、"Where Are We Going?"と"Will You Still Be There?"、そしてシングルヒットして再録されたフィル・コリンズとのデュエット曲"No One Is To Blame" 『悲しき願い』が特に良い。デジタル・ソウルとも言うべき心響くソウルフルな歌声。そう、彼の歌声が楽曲の良さと相まって、とても心に響くのである。今日的な音から比べたらそれは手作り感溢れるデジタルサウンド、16ビットコンピューター的な温かさと言っていいだろう。コンピューターの進化をそのまま音楽の歴史に当てはめることはできないけど、この20年という時間がその技術的進歩にどれほど寄与したかは想像するに余りある。その急激さは過去の産物を置き去りにするものなのか。それでも良いものは残るし、だからこそ残る。インターネット前世紀、80年代シンセ・ポップの到達点。そこには確かにソウルがあった。それだけは言える。
[PR]

by onomichi1969 | 2008-08-02 22:56 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

アクセスカウンター