Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 カイロの紫のバラ "The Purple Rose of Cairo" semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 24日

a0035172_19424574.jpg映画の中の世界というのは、フィクションであろうが、ノンフィクションであろうが、観る者にとってはあくまで想像の世界です。想像は美しく、そして現実には手が届かないもの。その現実がまさに手の届くところにあったとしたら。。。スクリーンの中の憧れの俳優がまさに私の目の前に現れたとしたら。。。そんなストーリーなんて現実に起こるわけない!単なるファンタジーでしょ、っていう声が聞こえてきそうですね。

『ニューシネマパラダイス』のアルフレードがスクリーンの女優たちに想いを抱き続けたように、『カイロの紫のバラ』のセシリアも「憧れ」の対象として映画を観続けます。そんなナイーブさを現実逃避だといって笑うでしょうか?そうかもしれません。でも、彼女たちのナイーブな想像世界は、そのナイーブさ故に、彼女を彼女自身たらしめるとても大切なものだと僕は思います。

「憧れ」とは、起こり得ないことに可能性を抱くこと。それはある意味でポジティブで、ある意味で哀しい。しかし、その哀しさは、慈愛となり、あるとき恋の熱情にもなる。そして、それは、僕らを常に優しい気持ちにしてくれるのです。映画への「憧れ」は人を優しくします。そう思いませんか? 1985年アメリカ映画(2003-09-06)
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by onomichi1969 | 2008-05-24 19:44 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 海の上のピアニスト "The Legend of 1900" semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 24日

a0035172_1910275.jpg言葉が伝達し世界へ向かっていくものであるとすれば、音楽は浸透して世界と共に自らの内にも広がっていくものでしょう。

彼がある女の子を眺めながら奏でるピアノ曲がありますよね。それは、相手に聴かせることを前提にしたものではなく、自らの心情、恋の感情そのものだったのではないかな? 確かにそのあと、録音したピアノ曲を女のこにプレゼントしようとする場面はあるけど、結局、彼は意志としての伝達がうまくできない人間なのですね。

彼は、ピアノを奏でることによって、海を見つづけることによって、内なる無限を知ってしまったのです。彼の内なる無限にとって、彼を取り囲む環境<船の上や鍵盤など>は限定された世界として常にバランスすべきものだったのでしょう。彼は、世界の無限を悟って虚無感に襲われたのではなく、最初から虚無を知っており、そして無限の「世界」を否定したのです。

船を下りなかったのが、彼にとっての自然の選択だったように、船とともに人生を終わることも自然の選択だったのだと僕は思います。そんな彼に誰だって共感できないでしょう。だって僕らは見つめるべき内なる無限をもっていないから。僕らが共感すべきなのは、彼の親友のトランペッタ-であり、楽器屋のおやじなのでしょう。僕らは、彼の死を引き止められずに「あんたならどうする?」とつぶやいたトランペッタ-であり、それに意見することができなかった楽器屋のおやじなのです。そしてある意味で悲劇なのは、そういう僕らなのかもしれない。1999年イタリア/アメリカ映画(2002-04-12)
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by onomichi1969 | 2008-05-24 19:11 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 マルホランド・ドライブ "Mulholland Dr." semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 24日

a0035172_18375796.jpg『マルホランド・ドライブ』はリンチの集大成的作品といえる。

リンチの映画は一種の妄想である。まぁ映画そのものが映画作家の妄想であることも確かなんだけど、リンチの場合はそのことを明確に主張しているように僕には思える。この映画のすごいところは、リンチの妄想という土俵の上でさらに妄想的な世界と現実的な世界が入り乱れているにも関わらず、メインストーリーがしっかりと成り立っていることである。

前半はマルホランド・ドライブの境界に入り込んだカミーラが妄想の世界に迷い込んでいるというのが僕の解釈だけど、観てる時には全くそのことに気がつかない。逆にカミーラの存在に違和を感じてしまう。箱を明けたところで妄想的世界が終わり、その後に「以前の」物語が始まるんだけど、それまでの流れと一変して激しい展開になる。これが実は現実的世界で、この物語の軸となるのは、ダイアンのカミーラへの強烈な恋心である。この「恋」への執心と現実の違いに対する嫉妬、憎しみ、絶望がダイアンの中の世界を歪ませてつくらせた物語が前半の妄想世界なのだと僕は思う。最後にカミーラはダイアンの雇った殺し屋に殺られそうになるんだけど、不意の交通事故で助かって最初のシーンにつながる。

とにかくこの作品のストーリー展開と映像にはもう観ている最中から興奮しまくりだった。(レズシーンだけじゃない!?)それはリンチの奇妙に捻れた映像感覚が僕らの内面の捻れに共鳴しているからなんだと思う。そして観終わった後に、この物語の核がダイアンの恋心であり、それがとても哀しい「ラブストーリー」なんだって気がついた時には強烈に心揺さぶられるものがあったのだ。

『マルホランド・ドライブ』は、リンチのベスト作品だと思う。ついにここまで来たか…っていうのが素直な感想。2001年アメリカ/フランス映画(2002-03-10)
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by onomichi1969 | 2008-05-24 18:39 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 イングリッシュ・ペイシェント "The English Patient" semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 24日

a0035172_18211088.jpg恋愛映画を1本だけ挙げろと言われたら、『黒い瞳』にするか『ベティ・ブルー』にするか、それとも『東京夜曲』にするか、一晩悩んだ末に僕は『イングリッシュ・ペイシェント』を挙げているだろう。

恋愛映画にとって、登場人物を取り巻く状況は重要なファクターとなるが、それは恋愛に対する障害の大きさがその激しさに比例すると考えられているからであろう。しかし、恋愛映画にとって一番重要なのは状況そのものよりも、恋愛の本質理解である。恋愛とは自己意識と世界の関係性そのものである。そのため、意識としての恋愛は常に利己的かつ自虐的ものとならざるを得ない。それは自己の周囲にメタフォリックな非現実空間を作り出し、他者との現実的な劇に引き合う中で苦悩や挫折を導くことになるのである。まさに夏目漱石の小説にも代表される世界である。

「彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それなのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶する状態にある。つまり、彼の恋愛関係はすでにまったく終わっているのである」

これはキルケゴールの言葉だがまさに恋愛の利己性を衝いており、恋愛が本質的にメランコリックであることを見事に言い当てている。本質を捉えていない作品は空虚で薄っぺらく、この本質を間違うと途端に見るに耐えないものに陥ってしまうだろう。また作品の状況が状況だけに間違ってしまう場合があるが、ここで「戦争の愚かしさや虚しさを痛烈に告発する力強いメッセージ」などは不要である。主人公の口からそのような台詞が吐かれた途端、僕らは一変に興ざめしてしまうに違いない。ここまでくれば、『イングリッシュ・ペイシェント』が恋愛の本質を十分に表現している優れた恋愛映画であることがお分かりいただけたかと思う。たぶん。

最後に補足:人はシンプルな恋愛映画を指して「昼メロ」と呼ぶことがある。典型的なパターンとして不倫愛を挙げるだろう。その場合、それを「昼メロ」と呼んでしまった途端にその発語者は恋愛という劇から最も離れた存在である自分を自覚することになる。だからなるべくそういった類型的な視線を排して、作品を鑑賞しなければならない。大きなお世話だが。。。 1996年アメリカ映画(2001-12-19)
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by onomichi1969 | 2008-05-24 18:27 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Don Henley "Building The Perfect Beast"(1984) semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 18日

a0035172_2136482.jpg世代的な記憶もあり、僕の中でドン・ヘンリーと言えば、このアルバムになる。
もっと言えば、「The Boys of Summer」である。ちょうど僕がベストヒットUSAを観始めた頃に流行った曲で、その情緒的なメロディにドン・ヘンリーの甘く渋いハスキー・ボーカルがマッチしていて、感傷たっぷりのPVもすごく印象的だった。僕は当時、この曲が一発で気に入ってしまったのだ。その流れでアルバムもすぐに借りた。
イーグルスを聴いたのはその後のこと。イーグルスの中ではグレン・フライのボーカル曲の方が気に入った時期もあったけど、それでも「ボイス・オブ・ホテル・カリフォルニア」はやっぱり無比の味わいなのである。甘くて渋い、そしてセクシーでいて枯れた響きのある声。ドン・ヘンリーこそはロックボーカリストとして天性のものを持っていると言えるだろう。それだけで僕は彼を認める。多少、素行が悪くても、、、である。

さて、”Building The Perfect Beast”(1984)は、ドン・ヘンリーのソロでの2ndアルバムであり、最高傑作と呼ばれる。ソロ代表曲であり、80年代中期のウエストコーストサウンドの名曲「The Boys of Summer」の他、同じくトップ10ヒットとなったダンサブルな「All She Wants to Do Is Dance」、壮大で情景的なサウンド「Sunset Grill」もよい。後期イーグルス風バラード「You're Not Drinking Enough」も個人的には好きな曲である。

そう、僕は誰が何と言おうとドン・ヘンリーのバラードが好きなのである。イーグルス時代の曲は言うに及ばず。だって、聴くだけで切なくなる。その声は僕らの胸に響く。心が締め付けられる。そんな声の持ち主だというだけで、僕は彼を天才と認めるのだ。
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by onomichi1969 | 2008-05-18 21:46 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 小津安二郎作品 備忘録 semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 13日

一人息子 (1936年)
飯田蝶子がいい味を出している。戦前の東京の風景。職を落としていく笠智衆が悲しい。

戸田家の兄妹 (1941年)
高峰三枝子がとても可愛らしい。三宅邦子のいじわるな役が意外ながら堂に入っている。佐分利信は痛快だった。ハッピーエンドな東京物語。

父ありき (1942年)
親子での釣りのシーン。料理屋での会話。そしてラスト。涙なしには観れない。笠智衆と佐野周二、2人とも素晴らしい。本当の信頼関係とは予定調和とも思える短い会話でも成り立つ。

長屋紳士録 (1947年)
また飯田蝶子がいい。海岸のシーンの切なさ。これもラストシーンが秀逸。

風の中の牝鶏 (1948年)
田中絹代のセリフ回しが独特の雰囲気をもたらす。すさまじき階段落ち。終戦後の東京下町。全体的に寂れた感じ。

晩春 (1949年)
原節子登場。美しくて上品で、画面を一瞬にして変える。笠智衆との親子関係は微妙なエロチシズムをも醸し出す。不思議な味わい。杉村春子と月丘夢路もいい。北鎌倉の風景が印象的。

宗方姉妹 (1950年)
田中絹代と高峰秀子と上原謙。小津映画っぽくない。でも、高峰秀子は他の映画になく可愛らしい、女ノンちゃん。

麦秋 (1951年)
原節子の微笑。今度は笠智衆と兄妹でまた違った関係性をみせる。三宅邦子との海岸のシーンが秀逸。淡島千景と原節子の会話も面白い。

お茶漬の味 (1952年)
佐分利信が最高に素晴らしい。泣けてくる。鶴田浩二のノンちゃんもいい感じ。大事な話はちゃんと座ってするものである。

東京物語 (1953年)
原節子の告白シーン。笠智衆が一人佇むラストシーン。とても深い味わい。ここに極まれり。香川京子が清楚。

早春 (1956年)
岸恵子が小悪魔的な役柄。対照的な淡島千景。最後は笠智衆に救われる。湘南も田舎だ。

東京暮色 (1957年)
暗い映画。有馬稲子はひねた感じの表情がいい。山田五十鈴が深い。前作と共にアンハッピーエンド。

彼岸花 (1958年)
佐分利信の親父役は笠智衆と違った味わいがある。田中絹代との夫婦は貫禄十分だ。

浮草 (1959年)
異色作。若尾文子のキスシーンまである。けどやっぱり小津。

お早よう (1959年)
佐田啓二と久我美子の駅でのシーンに尽きる。会話と言っても相手の言葉をただ反復しているだけなのに、分かり合える。そばにいて貴方の言葉を受け止めること、そこにいるというそのことだけで十分にいいことなのだと。小津作品の真骨頂というべき象徴的なシーンである。

秋日和 (1960年)
北龍二、佐分利信、中村伸郎のおじさんトリオと岡田茉莉子の掛け合いが面白い。原節子と司葉子の母娘役が美しい。逆の晩春パターンと考えれば、この映画も原節子が主役。

小早川家の秋 (1961年)
オールスターキャスト。森繁久弥と加東大介は社長シリーズだ。団令子、小林桂樹まで出ているし。。原節子と司葉子の並び座るシーンなど、構図がとても綺麗な映画。

秋刀魚の味 (1962年)
岩下志麻が可愛らしい。佐田啓二と岡田茉莉子の夫婦は新しい世代の現実的な味わい。余計なものを全部剥ぎ取ったようなシンプルさ。そこから滲み出てくるもの。
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by onomichi1969 | 2008-05-13 00:18 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Fleetwood Mac "Tango in the Night"(1987) semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 05日

a0035172_8121745.jpgフリートウッド・マックが好きなのだ~って、2年ぶり5回目かぁ!
今回は80年代中期の傑作"Tango in the Night"(1987)である。(予告通り!)
80年代はポップ・ミュージック至上の時代である。70年代後半から始まったニューウェーブのムーブメントは、80年代に入って様々なジャンルに拡散し、MTVや商業化の流れと共にロックに限らず、あらゆる分野にポップ(大衆化)の要素を浸透させていく。70年代の大仰なロックは急激に古いものとされ、ポップで分かりやすい音楽がその賞味期限を競うように次々と生み出された。
1985年、日本では洋楽ブームが真っ盛りで、世界的にもマイケル・ジャクソンやワム、カルチャー・クラブ、マドンナ達の華々しい活躍があり、それらスター達が惜しげもなく集った"Do They Know It's Christmas?"や"We are the World"らのチャリティレコードが発売され、その延長線上でライブエイドが開催された。僕自身、"We are the World"を発売と同時に購入したクチだが、そのジャケット集合写真の端っこの方の目立たない男の姿を不審に思った記憶がある。それがフリートウッド・マックのフロントマン、リンジー・バッキンガムなのだが、当時の僕は、ソロパートを歌わせてもらえなかったその人物のことを気にもとめなかった。80年代中期の華々しさの影で、解散同然だった70年代のバンド、フリートウッド・マックの栄光は既に過去のものになっていた、、、と言えよう。

しかし、それから2年後、フリートウッド・マックは5年ぶりに新作を発表して復活する。
同じく中心人物であるスティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィー共にソロでのヒットがあり、今更グループで活動するメリットがあるのかと思わないでもなかったが、やはりマックの名前はそれ以上の十分すぎるネームバリューがあったのである。31週連続全米No.1の実績はダテではなかった。80年代にスタイリッシュに生まれ変わったマックの面々、満を持して発表した"Tango in the Night"(1987)からは4曲のシングルヒットが生まれる。リンジーの「Big Love」が全米5位、スティーヴィーの「Seven Wonders」が全米19位、そしてクリスティンの「Little lies」が全米4位、「Everywhere」が全米14位である。其々の持ち歌は彼らのこの時期最高の楽曲と言ってよく、このアルバムにかける意気込みと同時に作品としてのクオリティの高さを感じさせる。
以前のアルバムと比べても、"Tango in the Night"には、80年代風の音を全面的に取り入れた洗練さと共に、円熟した大人の味わいがある。リンジーの「Big Love」は、楽曲そのものはシンプルなのだが、リンジーの声とそれに絡むスティーヴィーの吐息がすごくセクシーで、それが故にゴージャスな感じがするのだ。
とにかく3人のバランスが素晴らしい。特に最大ヒットとなったクリスティンの「Little lies」では各々のコーラスがバッチリ決まっていて、これまで以上に3人の個性が絶妙なアンサンブルを醸し出す。元々、プライベートでの愛憎が色濃く、人間関係が微妙なバンドながら、その音楽的結束、70年代の栄光は再びここにひとつの成果を残したのである。

残念ながら、アルバムの完成後にリンジーが脱退して、その後のマックは常に片肺飛行を余儀なくされる。いろいろあってのことだとは思うが、、、いずれにしても、それ以降に全盛期の5人が揃うのは97年の傑作ライブ"Dance"まで待たなければならなかったのである。

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Fleetwood Mac "Live at the BBC"(1995)のレビューはこちら!
Fleetwood Mac "Heroes Are Hard to Find"(1974)のレビューはこちら!
Fleetwood Mac "Bare Trees"(1972)のレビューはこちら!
Fleetwood Mac "Rumours"(1977)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2008-05-05 08:15 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Pink Floyd "The Wall" 『ザ・ウォール』(1979) semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 03日

a0035172_1515660.jpg久々に洋楽レビュー再開します!

ピンク・フロイドの2枚組大作"The Wall" 『ザ・ウォール』(1979)は、全世界で史上最も売れた2枚組アルバムである。全米だけで2300万枚(2枚組みはカウントが倍なので実際は1150万枚)の売り上げというからすごいことで、このアルバムがこれだけのポピュラリティを獲得しているという事実は僕等日本人にとってにわかに信じがたいといえようか。確かにシングルカットされた「Another Brick in the Wall, Pt. 2」が全米No.1ヒットしたことも大きい要素ではあるけど、ポップミュージックから遠く離れた、プログレ最後の砦たるこの難解な作品がここまで売れ線になるとはとても不思議に思えるのである。
実際のところ、ピンク・フロイドは70年代後半にファンドの失敗により多額の借金を抱え、その為に売れ筋のアルバムを製作することを余儀なくされていたという。華々しいプロモーション、大掛かりなライブステージ、映画とのタイアップ等、多大な費用の対価として、その成功は必然だったのかもしれないけど。

ピンク・フロイドにとっては、ロジャー・ウォーターズが完全に指揮した最後のコンセプト・アルバムとなる。作品のテーマはその名の通り「壁」である。社会や自己の間を不断に横断する様々な「壁」である。東西社会を2分する壁、人と社会との障壁、人と人とを隔てる壁、心の壁。作品はピンクという主人公の心理描写を通して語られる幾多の「壁」の物語として綴られる。
前々作の”Wish You Were Here”『炎』(1975)は、「Shine on You Crazy Diamond」という長い曲をモチーフにしたアルバム全体でひとつの作品とのイメージがあるのに比べて、『ザ・ウォール』はアルバムとしては2枚組の大作だが、比較的短い曲の組み合わせによって構成されており、まるで10年前のThe Whoのロックオペラ”Tommy”(1969)を彷彿とさせる。
楽曲自体はギターを中心としたスタンダードなロックサウンドである。”The Dark Side Of The Moon”『狂気』(1973)までの幻想的且つ壮大なハーモニーは完全に影を潜め、『炎』(1975)の楽曲的流れを受け継ぐ、ロジャー・ウォーターズ的な硬質なギター・オーケストレーションが特徴的である。

そのサウンドは来る80年代を底辺の部分で予感させるものであった。80年代をポップの時代と称するならば、ピンク・フロイドはその対極に位置すべきバンドであったはずである。
ピンク・フロイドの70年代の作品はその壮大な音楽、物語(円環性)とその内部に於ける連続性にこそ特徴があった。その中で大作「エコーズ」があり、「アス・アンド・ゼム」~「狂気日食」があり、「Shine on You Crazy Diamond」があった。その不断性の追求にこそ70年代のラディカリズムの本質があったのである。そう考えれば、『ザ・ウォール』はその視点を180度転換したと言わざるをえない。これまで彼らの音楽の円環性を構成した壁が、ここでは物語を突き崩す「断絶」の象徴となっているからである。「壁」による「連続」が「断絶」となったのである。

1989年、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊する。壁の崩壊の直接的原因となったのは、知られているようにハンガリーで起こったピクニック事件であるが、そこで東ドイツからの多数の亡命者が国外に流れたことをメディアがセンセーショナルに伝えたことにより、僕らは東ドイツという国が民主化という大きな流れの中にあることを知った。その時点で既にベルリンの壁はその意味を失っていたのである。
東ドイツはまさに内側から崩壊する。人々は西側から堰を切ったように流れ出した情報によって資本主義及び社会主義の実態を知り、そして自らの民主化を切望したのである。その希求が大きなムーブメントとなって、ベルリンの壁を崩壊させる。それは大きな「壁」の崩壊であり、言わば西側の資本主義消費文化(ポップ)の勝利であった。フランシス・フクヤマは当時それを「歴史の終わり」(マルクス-レーニン主義的唯物論の敗北、資本主義の勝利)と称した。(が、現在の歴史認識では、「歴史の終わり(という精神)の終わり」というのが正しい)

さて、世界は、リアルにもバーチャルにも大きな「壁」がなくなり、フラット化されつつあると言われる。大きな物語、プログレッシブ・ロックが70年代に目指した壮大な円環はそれを支持したはずの大衆によって叩き壊され、細切れにされ、その地平において「新しい波」と呼ばれるポップミュージックが構築された。80年代はそこから始まったのである。人々の狂気は目に見える実体から、無意識下への象徴へと潜行し、有害な病原体がワクチンとして希釈化、無毒化されて安全にコントロールされた薬として人々に接種されるように、世の中に浸透し偏在化していったのである。(但し、無毒化する為に用いられたのはホルマリンという毒だった、無毒化された病原体と共に微少な毒としてのホルマリンが潜在する、、、) 80年代のポップミュージックはマクドナルドと共に消費文化の代名詞のように世界中へと拡散し、人々の心を捉えたのである。それが社会をフラット化させ、実質的にベルリンの壁を崩壊させたと言っても過言ではない。

ピンク・フロイドの『ザ・ウォール』は、彼らなりの円環性の否定であり、「狂気」の潜行であり、「断絶」の表現だった。それは予想以上のポピュラリティを獲得することに成功した。彼らは彼らなりのポップを目指したわけだ。しかし、残念ながら彼らはその先に下りることはできなかった。デビッド・ボウイがそうしたようには彼らはその断絶の先、フラットな世界を受け入れることができなかった。何故なら、彼らは本質的にはポップを捉えながらも、やはり自らのラディカリズムを手放さなかったからである。彼らはプログレッシブ・ロックという枠の中を円環しつつ、その周囲の壁(自らの壁)が外圧によって自壊するのを受け入れながらも、結局のところ、その中にとどまることを自ら選択するのである。そして、彼はアルバムの最初と最後にこうつぶやく。

「Isn't this where we came in ? (ここはぼくらが入って来た所じゃないのか?)」

ピンク・フロイドはこのアルバムを最後に内側から分裂する。東ドイツと同じように。。

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Pink Floyd "Meddle"のレビューは、こちら
Pink Floyd "Dark Side of the Moon"(1973)のレビューは、こちら
Pink Floyd or Badfingers "Wish You Were Here"のレビューは、こちら
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by onomichi1969 | 2008-05-03 15:46 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 大滝詠一 『Niagara Moon』(1975) semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 03日

a0035172_14554168.jpg日本のロックを巡る旅もそろそろひと区切りつけよう。
中締めは、やはり大御所、70年代ナイアガラ・サウンドの大傑作アルバムを紹介したいと思う。

僕らの世代にとって、大滝詠一といえば、『A LONG VACATION』(1981)である。1981年、ザ・ベストテンで寺尾聰が「ルビーの指環」で12週連続1位を記録した年、年末のレコード大賞でベストアルバム賞をオフコースの『We Are』と松任谷由実の『水の中のASIAへ』と共に受賞したのが『A LONG VACATION』であった。僕らはその時に初めて大滝詠一という名前を知り、アルバムという形式に全く馴染みのない小学生たちの中でも、『A LONG VACATION』は一躍有名になったのである。テレビでは全く聴くことのない、街のレコード店のBGMでしか流れていない音楽(当時ラジオをまだ聴いていなかった)であったが、そのアルバムの名前は僕らの心にしっかりと刻まれることになった。

『A LONG VACATION』を本格的に聴いたのはそれから3-4年経ってからと記憶する。当時、既に発売されていた『EACH TIME』(1984)とあわせて聴いてみたと思う。その頃には大滝詠一と言えば、ナイアガラ・トライアングルのヒットもあって、巷では山下達郎と並ぶニューミュージックの大御所として位置付けられていて、特に『A LONG VACATION』は、山下達郎の『For You』(1980)や『Melodies』(1983)と並びニューミュージック系アルバムの定番中の定番であった。
『A LONG VACATION』は、軽やかなポップミュージック集で、耳によく馴染む大滝詠一の声と日本語の歌詞が特徴的である。「ルビーの指環」や松田聖子のヒット曲の作詞者、松本隆が全ての作詞を手がけている。いわゆる歌謡ポップスの味わいがとても色濃い。

実際のところ、僕が大滝詠一の魅力を理解できるようになるのは、それから20年も後、彼の70年代の名作をじっくりと聴くようになってからのことである。
『ファースト』(1971)から『NIAGARA MOON』(1975)、『Go! GO! NIAGARA』(1976)、『NIAGARA CALLENDAR』(1978)と立て続けに聴いて、僕は彼に対する認識を全く新たにする。 はっぴいえんど時代のアルバムはひと通り聴いてはいたけど、その中で大滝詠一の魅力を存分に感じたとは言いがたかった。

70年代の大滝詠一のアルバムは全て傑作であるが、個人的に一番気に入っているのは『NIAGARA MOON』(1975)である。たぶん、このアルバムを聴いたのが一番早かったからかもしれないけど、この時期のアルバムの中ではいちばんバランスがよく、楽曲的にも充実していると感じる。バラエティで言えば師匠の演歌まで聴ける『NIAGARA CALLENDAR』が出色であるし、叙情性豊かでうたの魅力を一番発揮しているのは『ファースト』だろう。もちろん『Go! GO! NIAGARA』のラジオ放送を模したテンポのよい展開も楽しい。
その中で『NIAGARA MOON』は中間的な色合いであり、大滝詠一の拡散するタレントが最もバランスよく収録され、様々な魅力が均衡し充実したアルバムといえる。ある意味で初期のワイルドさと音楽的な実直さ、そしてこの時期特有の不断な遊び心が満載され、かつそのバランスが絶妙なのである。

と、言いつつ、僕がこのアルバムが大好きな訳は、きっと「福生ストラット (パートII)」や「いつも夢中」、「楽しい夜更かし」のような曲があるからに違いない。そして叙情溢れるインストゥルメンタルが散りばめられているからに違いない。つまり、曲がいいのである。「CIDER '73 '74 '75」も最高である。

気の合う仲間集まりゃ(楽しいよ、楽しいよ) すぐに始まる麻雀(楽しいよ、楽しいよ)
一荘 二荘 やめられない 止まらない
楽しい夜更かし 明日は休み

午前0時は宵の口(楽しいよ、楽しいよ) 開けて広いワニの口(楽しいよ、楽しいよ)
真夜中のディスクジョッキー 特集はクレージーキャッツ
楽しい夜更かし 明日は休み

午前3時は宵の喉(楽しいよ、楽しいよ) 過ぎれば眠いの忘れる(楽しいよ、楽しいよ)
外じゃニワトリ コケコッコー 新聞少年 朝刊太郎
楽しい夜更かし 明日は休む

大滝詠一 「楽しい夜更かし」

本当に楽しい曲だ。
様々なリズムと日本語の融合。趣味趣味音楽という新しい嗜好の確立。音楽の楽しさをロックという形式の中に持ち込んだ大滝詠一の功績は大きいし、その影響も計り知れないだろう。というか、それこそ彼の最大の魅力と言っても過言ではない。溢れる叙情と楽しい音楽。これぞ70年代ナイアガラ・サウンドの金字塔。日本のロック、忘れじのマスターピースなのである。
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by onomichi1969 | 2008-05-03 15:09 | 日本のロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 THE BLANKEY JET CITY 『BANG!』(1992) semスキン用のアイコン02

  

2008年 05月 02日

a0035172_12412473.jpg90年代を代表する日本のロックバンドといえば、ブランキー・ジェット・シティである。
僕がこのバンドを初めて知ったのは、イカ天に初登場した、バンドブーム覚めやらぬ1990年のこと。とはいえ、イカ天もブーム最高潮の時期からは退潮し始めた第2期、審査員も一新されて、元A.R.B.、甲斐バンドのギタリスト田中一郎が審査委員長だった頃である。
初登場の演奏はTVで観ていて今でも覚えているけど、浅井健一がギターをかき鳴らして、少年のような声で歌い出し、「オーライ!」と叫んだ瞬間に、僕等はこのバンドの以後の活躍を確信したのだ。バンドはシンプルな3ピースで、ギター、ベース、ドラムのアンサンブルが最高に決まっていたし、サウンドはロカビリーを基本にしながらもハードでスピーディなところが新しさを感じさせた。演奏する立ち姿、ビジュアルも含めて、正直カッコいいと思ったのだ。これまでの出演バンドとは明らかに違うロッカーとしてのオーラを纏った3人組は、あれよと言う間に6代目グランドイカ天キングを獲得し、メジャーデビューへの道を一直線に進むことになる。(BLANKEY JET CITYという名前も結構インパクトがあった)

彼らのデビューは91年であるが、その1stアルバムを僕は聴いていない。実際のところ、その時期には僕自身、音楽への興味も薄れていたこともあって、彼らのその後の活躍を追うこともなかったのである。
初期の彼らの傑作である2nd『BANG!』(1992)、3rd『C.B.Jim』(1993)も最近になってようやく聴いたが、当然のことながら演奏も楽曲もTVで観たあの頃から数段グレードアップしており、よりハードでスピーティなサウンドは聴くものを揺さぶるに十分な迫力があった。そして、そのあまりにもナイーブな歌詞。正直言って、その歌詞には当時も今も馴染めないところはあるけど、そのアンバランスさを含めて彼らの個性なのだと考えたい。確かに正義や善悪という観念に固執する浅井健一という単独の個性は、あまりにもシンプルでストイックな造形故に劇画的すぎるように思える。少年のような風貌と高域が映える声。そのイメージに沿うように彼の紡ぐ音楽は常に超越性を志向する。彼の音楽、歌詞の世界がその後の世代に影響を与えたかのように言われるのはよく分かるし、実際のところ、彼らのイメージは完全無欠であるが故にそれは宗教にも似た崇高性を必然的に帯びるのである。

失われた10年、90年代を疾走したバンド、ブランキー・ジェット・シティは人々の突き当った感覚にある種の超越性(という回答)を提示することでコアな人気を獲得する。まだ夢のかけらを持ちえた90年代だからこそ、彼らの音楽は人々のファナティシズムの残滓を見事に掬い上げたのだ。ある意味で彼らはロスジェネ時代の90年代にこそ、その存在意義を見出せる象徴的なロックバンドだったと言える。

1992年、バブル崩壊の予兆があり、尾崎豊が死んで、僕らの世代、80年代に多くの人が信じられた何かが確実に終わった、と感じた。その残滓のような場所から、尾崎豊より1つ年上の浅井健一がグレッチを手に現れる。空白を爆走するためのストイックさ。ベンジー。その個性は90年代を生きる強固なペルソナの如く、失われた10年を鮮やかに疾走したのである。

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by onomichi1969 | 2008-05-02 12:07 | 日本のロック | Trackback | Comments(0)

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