Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 Eric Clapton "No Reason To Cry"(1976) semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 25日

a0035172_1263772.jpg70年代のクラプトンのアルバムはそれぞれに特色のある傑作であるが、個人的な趣味で言うと4th "No Reason To Cry"(1976)がお気に入りである。
なんといってもザ・バンドのリチャード・マニュエルとリック・ダンコの曲をクラプトンが演奏して歌うというのがたまらない。特にダンコとの共作、05 All Our Past Timesはもろザ・バンド風のサウンドでダンコとのデュエットもぴったりはまる。
あと、ディランとロビー・ロバートソンとの共演03 Sign Languageもいい。マーシー・レヴィのボーカル曲08 Innocent Times、09 Hungryや青々しいブルース曲07 Double Trouble、そして美しいバラード10 Black Summer Rainもこの作品のバラエティに花を添える。

クリーム、ブライド・フェイスを経て、クラプトンがその音楽的志向を変遷させていく過程が彼の70年代であった。ファーストがディレイニー・ブラムレットのプロデュースしたバリバリのスワンプ系1st”Eric Clapton”(1970)で、それをロックバンドのスタイルに発展したのがデレク・アンド・ドミノスである。その後、ドラッグの後遺症で一時期活動が危ぶまれたが、レゲエを取り入れたリハビリ的なアルバム2nd”461 Ocean Boulevard”(1974)でシングルが全米No.1を達成したこともあって、この作品が彼の当時の音楽的志向である「レイド・バック」という方向性を決定づけるアルバムとなる。この作品は彼のもう一つの代名詞をタイトルにした5th”Slow Hand”(1977)と共にクラプトンのソロとしては最も評価が高い。
レゲエ風の続編的な3rdを経て、いよいよクラプトンが本腰を入れてトラディッショナル・ロックンロールに取り組んだのが本作"No Reason To Cry"(1976)であると言うのが僕の見立てだ。これはクラプトンが60年代後半にザ・バンドの”Music From Big Pink”(1968)の登場によって自らの音楽観に強い影響を受けてから、彼にとっての10年越しの取り組みであり、その共演者として選ばれたのがザ・バンドとボブ・ディランであるのは当然の音楽的帰結であったわけだ。作品全体からクラプトンのトラディッショナル・ロックンロールへの愛着と憧憬が感じられる、それは共演者達の力を得て実に味わい深く、そして微笑ましい。

その雰囲気は、ザ・バンドのラストライブを収めた”The Last Waltz”(1978)にも再現されている。ロックが演奏者をして最もロックらしく楽しめた時代。その時代の雰囲気を最も体現した作品としてもクラプトンの4th"No Reason To Cry"(1976)は評価できるのではないかと僕は思う。
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by onomichi1969 | 2008-02-25 01:33 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 「沖縄集団自決を現場検証する」 AERA '08.2.25記事 semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 19日

a0035172_2358417.jpgAERA(朝日新聞社発行のニュース週刊誌)が朝日新聞を批判。。。
僕は月曜日が新幹線通勤なのでその曜日に発売日となるAERAをよく買う。殆ど惰性で読むことが多いAERAであるが、最新号の特集記事は少し違った。
タイトルは「沖縄集団自決を現場検証する」である。まぁ元朝日新聞の記者が書く記事なので、内容はいつものように集団自決をめぐる教科書検定問題に関しての政府や文科省批判だろうと思って読んでみたが、実際は全然違って、客観中立的、至極真っ当な論考で正直驚いた。

a0035172_23582865.jpgこの問題に関しては、僕も過去に本ブログで記事を書いたことがある。それは、沖縄戦の渡嘉敷島で起きたとされる軍命による集団自決を検証し、実際にはそのような命令がなかったことを住民や島に駐屯した旧隊員らの証言によって明らかにした曽根綾子のルポタージュ『ある神話の背景』を評価したものだ。今回のAERAの記事は僕のエントリーと概ね同じ視点によって書かれており、共感が持てた。その骨子はこうだ。

・記者は沖縄戦での集団自決の舞台となった座間味島と渡嘉敷島を訪ね事件の当事者達にインタビューする。
・そこで沖縄戦時の米軍上陸前後の狂乱の中で斧、鉈、鎌、鍬、、、手榴弾などにより、夫婦、親子、兄弟たちがお互いに殺しあった状況を知る。
・いまも2島には殺害の加害者と被害者(及び家族)が共存する。63年間、狭い島内で過去に触れずに暮らしてきた現状があった。
・大江健三郎は『沖縄ノート』の中で自決を住民に命令したとして、当時、2島に駐在していた軍司令官をナチスのアイヒマンになぞらえて批判した。その著書の中で自決命令者として特定された梅沢少佐や赤松大尉の親族が大江健三郎に名誉毀損の訴訟を起こしている。この問題が係争中であること、それが文科省によって教科書の記述に検定意見がつけられた根拠のひとつとなっている。
・渡嘉敷島の事件については曽根綾子が『ある神話の背景』(1973)において、赤松大尉の集団自決命令にはいかなる根拠もないと結論付けている。(逆に島民に自決せずに生きることを説いていたという)
・その他、軍命令の存在を否定し、戦後に集団自決の遺族に援護法による給金を適用するためにやむをえず隊長命令としたという趣旨の証言書が多く発見されている。同様の趣旨のものがすでに『沖縄県史』や『沖縄県警察史』に渡嘉敷島の集団自決の経緯として具体的に記載されている。
・集団自決を軍の強制とする論者の有力証言となっているのは、最近になってしきりに報道されているある女性の証言である。それは村助役が自決の軍命令をその女性の家族に告げたというものあった。
・「戒厳令下では村助役の指示も軍命令と同じである」という軍制学教程があり、当時、発令はされなかったが事実上「戒厳令下」であったと見做せる。「村助役が軍命だといえばそれは否応なく軍命なのである」 それが集団自決を軍の強制とする論者の論法となっている。
・また、集団自決は当時の日本、特に沖縄の皇民化主義体制が引き起こしたものであり、集団自決というそこだけを見ていると問題を矮小化してしまう、という当時の軍国化、皇民化された日本の全体主義そのものへの批判に展開される。
・集団自決の背景には新聞などの媒体による鬼畜米英宣伝の影響が強くあった。新聞は例えばサイパンでの集団自決を「非戦闘員たる婦女子も亦生きて鬼畜の如き米軍に捕はれ恥辱を受くるよりは」(44年8月19日付朝日新聞)などと称賛していた。

そして、最後に記者はこう結んでいる。
「この際、取材者は文科省に提案する。日本史教科書なら日本史教科書でいい。いかなる憶測も排し、あの時の、確認し得る限りの日本人の集団自決の事実そのものをすべて、避けることなく直視し、淡々と記述してほしい。論評はいらない」

僕も全くそのとおりだと思う。とても真っ当な意見である。しかし、こういった意見をメディアで目にすることは久しくなかった。この記者は元朝日新聞の記者らしいが、AERAという媒体で堂々と朝日新聞批判もしてみせるのだから、なかなか勇気のある人物なのだろう。批判はたくさんあろうが、そういう人たちにこそ今回の朝日新聞社AERAの記事は発信されているのだと思う。
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by onomichi1969 | 2008-02-19 09:14 | 時事 | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ノッティングヒルの恋人 "Notting Hill" semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 13日

a0035172_255235.jpgGyaoでやっていたので暇に任せて観てみた

結構、この手の映画って好きなんだな
『ラブソングのできるまで』とか『トゥー・ウィークス・ノーティス』とか(今やヒュー・グラントものって言うのが適当か)

で、面白かった~
ヒュー・グラントはいつものようにいい味を出していたし、ジュリア・ロバーツも可愛かったね

そして、なんといってもラストシーン

最後を飾る曲が、Elvis Costello "She"


------------------
She may be the face I can't forget
The trace of pleasure or regret
Maybe my treasure or the price I have to pay
She may be the song that summer sings
May be the chill that autumn brings
May be a hundred different things
Within the measure of a day

She may be the beauty or the beast
May be the famine or the feast
May turn each day into a Heaven or a Hell
She may be the mirror of my dreams
A smile reflected in a stream
She may not be what she may seem
Inside her shell....

She, who always seems so happy in a crowd
Whose eyes can be so private and so proud
No one's allowed to see them when they cry
She maybe the love that cannot hope to last
May come to me from shadows in the past
That I remember 'till the day I die

She maybe the reason I survive
The why and wherefore I'm alive
The one I care for through the rough and ready years

Me, I'll take the laughter and her tears
And make them all my souvenirs
For where she goes I've got to be
The meaning of my life is
She....She
Oh, she....


彼女 忘れられない面影
喜び それとも悲しみのなごり
僕の宝物 それとも代償
彼女はあの夏の日の歌のようで
秋がもたらす凍えのようで
たった一日の中でいくつもの違う顔を見せる

彼女は美女 それとも野獣
飢餓 それとも饗宴
これからの日々は天国それとも地獄
彼女は僕の夢をうつし出す鏡のようで
その笑顔は川の流れに映えるようで
でもその心の中は誰にも見ることができない

彼女は群衆の中で幸せそう
自信と誇りにみちた瞳
涙を流す姿は誰も見ることができない
彼女の愛が持続できないものだとしても
その過去のぬくもりはずっと生き続けて
僕は死ぬまで彼女を忘れはしない

彼女は僕が生きる理由であり
僕が生きていく全てであり
これからの人生は彼女のことを想って生きていく

僕は彼女の笑顔や涙を受け止めて
そのすべて僕の生きる証にする
彼女がどこにいようとも僕はそばにいるだろう
彼女こそ僕の生きる意味なんだ
彼女、彼女こそ、、、
----------------

一応、ハッピーエンドの曲なのだ。1999年アメリカ・イギリス映画
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by onomichi1969 | 2008-02-13 02:14 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Def Leppard "Hysteria"(1987) semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 11日

a0035172_15393647.jpgNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)の流れでもうひとつ、、、忘れちゃいけないのがデフ・レパードである。彼らこそNWOBHMのバンドで初めて全米を制覇したムーブメントの中心的な存在だ。
彼らの代表作と言えば、出世作であり、全米で大ヒットを記録したNWOBHMの記念碑的なアルバム”Pyromania”『炎のターゲット』(1982)である。HM/HRのバンドとしてはシンプルでポップな曲調が彼らの特徴であろう。(故に彼ら自身もNWOBHMに括られるのを嫌うようである) 『炎のターゲット』からは01 Rock Rock (‘til You Drop)、02 Photographや03 Stagefrightが彼らのスタイルを特徴付ける曲として挙げられる。
僕が高校生の頃、既にデフ・レパードは活動休止状態だったけれど、彼らは決して忘れられたバンドとはなり得なかった。それはその当時の彼らの境遇を皆が知っていたからである。
1984年、デフ・レパードのドラマー、リック・アレンが交通事故に遭い片腕を切断してしまう。その悲劇は音楽誌によって広く知られることとなった。誰もがドラマーの交代か、バンドの解散を予想しただろう。だからこそ、1987年、メンバーが誰一人代わることなく発表された4thアルバム”Hysteria”(1987)『ヒステリア』には皆が驚き、そして喝采をもって彼らの新譜を受け入れたのである。リック・アレンは失った片腕を補う特殊なドラムキットを使って技術を磨き、バンドのドラマーとして見事に蘇ったのである。僕らはその背後にあったであろうある種のドラマ性に(それははっきりとは伝えられなかったが)に感動したのである。
予想を超えて”Hysteria”(1987)の出来は素晴らしかった。音楽的には、前作のポップな部分をアルバム全体に引き伸ばしたような、全曲シングルカットが可能と言われる、前年からのボン・ジョビやホワイト・スネイクの活躍を受け継ぐポップ&ヘヴィな彼らのオリジナルなスタイルを特徴付ける快作だった。
このアルバムからはロック・バラード04 Love Bitesが全米No.1ヒットとなった他、05 Pour Some Sugar on Meと06 Armageddon Itが全米トップ3のヒットとなる。アルバムからの6曲のヒットシングルはHR/HM系のバンドでは異例のことであった。
デフ・レパードにしてみれば、彼らのスタイルの延長線上に製作されたアルバムが”Hysteria”(1987)だったけれど、それは80年代のAORハードやプログレハードと呼ばれた商業的ハードロックのスタイルを必然的に呑み込んだものとなった。この流れはHR/HMというジャンルそのものの凋落を決定的にし、その後、ヴァン・ヘイレンやボン・ジョビがHR/HMとは一線を画するポップ&ハードなロックスタイルを築き上げていく必然的な趨勢を後押ししたのである。そういう意味でデフ・レパードはたった2枚のアルバムで80年代を代表するエポックメーキングなロックバンドなったのだと僕は思う。
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by onomichi1969 | 2008-02-11 15:40 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Judas Priest "Screaming for Vengeance"(1982) semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 11日

a0035172_13554153.jpgジューダス・プリーストの代表作と言えば”Screaming for Vengeance”(1982)『復讐の叫び』で一致するようである。彼らのアルバムをいろいろ聴いてみて、僕も全くそう思う。ジューダスのアルバムは作品毎に色合いが違うのが特徴であるが、80年代初期の”Screaming for Vengeance”(1982)『復讐の叫び』や”Defenders of the Faith”(1984)『背徳の掟』辺りの作品が一番彼らのスタイルに合っているように思う。ロブ・ハルフォードの声にも張りがあり、サウンドにスピード感があって、彼らの代名詞「メタル・ゴッド」の如く貫禄十分、音楽的に最も勢いがあった頃だろう。
”Screaming for Vengeance”(1982)の中では、表題曲07 Screaming for Vengeanceが特に素晴らしい。
エイティーズ時代にはあまりヘヴィメタが得意ではなかったけど、その分野の最高峰たる彼らのアルバムを聴いてみて、その素晴らしさに感嘆する今日この頃である。
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by onomichi1969 | 2008-02-11 13:56 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Iron Maiden "Iron Maiden"(1980) semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 11日

a0035172_10332146.jpg1年ほど前にヘヴィメタ好きのドイツ人が所有していた大量のMP3をもらって、その種の音楽をよく聴くようになった。アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、オジー・オズボーン、メタリカ、ドリーム・シアター、クイーンズライチ等々。
その中でNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)の雄アイアン・メイデンのアルバムには結構ハマった。彼らのアルバムは初期のものしか聴いていないけど、どれもなかなか素晴らしい作品である。個人的な好みで言えば、1stと2ndがお気に入りで、ポール・ディアノのボーカルが好きだ。
巷では、アイアン・メイデンと言えば、ハイトーン・シャウティングのブルース・ディッキンソンがヘビィ・メタル・ボイスの代名詞のように言われるが、彼は3作目からの加入である。彼らの3rdアルバム” The Number of the Beast”(1982)『魔力の封印』は全英でNo.1を獲得し、350万枚以上の売り上げを記録した彼らの代表作である。荘厳でメロディアスなギター・オーケストレーションを取り入れ、彼ら独自の様式美を確立している。4thアルバム”Piece of Mind”(1983)『頭脳改革』や5th”Powerslave”(1984)も前作の流れを踏襲した名作である。
それに比べると1st”Iron Maiden”(1980)『鋼鉄の処女』と2nd”Killers”(1981)『キラーズ』はボーカリストの違いと共に荒々しい曲調が印象的であり、アイアン・メイデンの歴史からすれば前世紀的な位置づけになろうか。アイアン・メイデンの基本スタイルは既に確立してはいるが、パンクとプログレを融合したような荘厳な中にも激しさとスピード感を前面に押し出したサウンドが初期2作の特徴であろう。ツインギターとセンターを奔るベースライン、ポール・ディアノの声がサウンドによくマッチしている。
ポール・ディアノの声質は、キッスのジーン・シモンズに近い。そして、言ってみれば、ブルース・ディッキンソンがポール・スタンレイだ。
キッスが2人のツイン・ボーカルをサウンドの特徴としているように、ポール・ディアノとブルース・ディッキンソンがツイン・ボーカルを組んだら、バンドとして凄いことになっただろうが、残念ながら2人ともボーカル専門であるが故に並び立つことはなかった。
ボーカリストによってサウンドは劇的に変化する。アイアン・メイデンの歴史はそのことを僕らに教えてくれる。
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by onomichi1969 | 2008-02-11 10:40 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 死ぬまでにしたい10のこと "My Life Without Me" semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 10日

a0035172_13121144.jpgとてもグッとくる映画だった。この映画は一種のファンタジーだと思う。

彼女はまだ23歳の女性だ。17歳で子供ができ、まともな恋愛も経験していない2児の母親である。夫は失業しており、自身は夜勤パート。昼間は寝ていて夕方と朝に夫と子供に触れ合う生活。低所得居住の象徴たるトレーラー暮らし。母親も父親もそれぞれ別々の移民系で、父親は刑務所にいる。ただ、生活に追われながらもそれなりに充足する毎日。それが主人公のバックグラウンドとしての現実である。僕らはその現実を理解できるだろうか? 感情移入できるだろうか? それはそれとして、実はその現実そのものを描くようなシリアスな作品を作るのは案外容易いことだ。しかし、それは当然のことながら製作者の本意ではない。それと同じように彼女の死に至る過程、病状や告知、闘病生活を描くこと(いわゆる難病もの?)も本意ではないと僕は思う。
「私のいない私の生活」それが原題である。さて、私がいなくても私の生活があるのだろうか? それがこの映画のタイトルに込められた作品のテーマではないかな。その時の「私」とは一体誰のことだろうか? この作品の主人公の境遇は上記に述べた通りであるが、何故、彼女が主人公に選ばれたのだろう?

この映画で印象的だったのは最初と最後のモノローグである。
人は死ぬ時にひとりであることを強烈に自覚するに違いない。私がひとりの私であること。孤独。普段、僕らは生活の中でいろいろな関係性を生きている。(それが人間というものだから) しかし、その関係性の中にいる自分という人間、「私」を疎かにしていないだろうか。孤独を感じたくないが故に「私」を見殺しにしていないだろうか。
「死ぬまでにしたい10のこと」というのは印象的なタイトルであるがそれほど重要なことのように僕には思えない。彼女は「私のいない私の生活」を想像し、それを生きる決意をすることにより、「私」を得たのだと思う。その逆説。それはとても辛いことなのだけど、そういった実感こそが、彼女の現実を価値あるものにしたのではないだろうか。

最後に、、、母親役のデボラ・ハリー。存在感がありました。そして、隣人のアン役のレオノール・ワトリング。すごく魅力的な人だと思ったら、『トーク・トゥ・ハー』の彼女だったのですね。ショートカットもよく似合います。2003年カナダ/スペイン映画
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by onomichi1969 | 2008-02-10 13:17 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(6)

semスキン用のアイコン01 プラトーン "Platoon" semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 09日

a0035172_1041741.jpg『プラトーン』も戦場映画なら、『ワイルド・バンチ』も戦場映画だ。
僕が思うに戦場映画とは、戦場という状況そのものを描くものではなく、戦場という<不条理な>状況の中で人がどう生き死んでいったかを描くべきものだ。そこに描かれるリアリティとは、状況のリアリティというよりも、人間のリアリティ、もっと言えば狂気のリアリティではないのか。なぜなら、戦場という状況下で人を生かしめるのは、狂気において他ないからだ。人はそれを正義というのだろうか?信念というのだろうか?残念ながら、そういう時代は遠い昔に終わった。
さて、『プラトーン』において、そういったリアリティを最も体現した人物は、バーンズということになるだろう。しかし、僕の印象からすると、彼の発する狂気のリアリティというのはちょっと弱い。それは、僕が戦場映画の名作『地獄の黙示録』を念頭に置いているからかもしれないが、真に狂気を描こうとするならば、そこには、それなりのセルフストーリーがなくてはならないのだ。今やテレビゲームでも戦場が体験できる時代。映画という媒体で殺し合いを描くのはとても簡単なことだ。そこにほんとうの生死の意味を描こうとするならば、狂気の本質をもっと追求すべきなのだと思う。そうでなければ、人を殺すことをなんとも思わない一部の現代少年たちの格好の教材でしかならなくなる。それでいいわけはないだろう。1986年アメリカ映画 (2003-10-15)

<追記>確かに今にして思えば、クリス(チャーリー・シーン)を主人公とし、バーンズ(トム・べレンジャー)を悪、狂気側の人として、エリアス(ウォレム・デフォー)を善、正気側の人として描き、戦場という倫理の中で善は悪に殺され、その悪も無慈悲な戦闘の中で傷ついたところを主人公に息の根を止められる、、というストーリーが見える。とても分かりやすい。その分かりやすさに当時の僕は危惧を抱いたのであるが、上で述べるセルフストーリーというのはもしかしたら戦争従事前後のクリスの姿にこそ体現されるべきものだったかもしれない。それが当時の先行作である『ビッグ・ウェンズデイ』であり、『帰郷』や『タクシー・ドライバー』だったりするわけだ。その後を描く映画なら当時もたくさんあった。戦争前後を含めた大作としては『ディア・ハンター』もある。しかし、ベトナムの戦場や戦闘そのものをストレートに描いた映画というのはあまりなかった。そういう意味で『プラトーン』は『ハンバーガー・ヒル』と並び「そこで何があったのか」を浮き彫りにすることに主眼をおいた作品として、すごく衝撃的な映画であったのである。(その衝撃度故にアカデミー賞も受賞する) 80年代のエポックメーキングな映画であったことは間違いない。
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by onomichi1969 | 2008-02-09 10:27 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ハンバーガー・ヒル "Humberger Hill" semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 09日

a0035172_091480.jpg高校生当時、『プラトーン』『ハンバーガー・ヒル』『フル・メタル・ジャケット』とベトナムものが立て続けに上映され、僕らは仲間内でどれが一番気に入ったかを言い合ったものである。ちなみに僕はハンバーガー派であった。
ベトナム戦争は、アメリカの国家的戦争であり、アメリカ軍の戦争従事者にとっての敵はアメリカの敵である。つまり、彼らが自らの死を意識した時、それは「国家に対する死」ということになる。僕らは単純にそれをこう言いかえることができる。僕は国の為に死ぬことができるのだろうか、殺すことができるのだろうか、と。 僕が当時、『ハンバーガー・ヒル』を最も評価したのは、この単純な問いこそが作品のテーマであった点である。 (「国家に対する死」は結果的に死者を匿名化する。それは『ハンバーガー・ヒル』の登場人物達そのものである。)
日本が国を賭して戦い、国民が国民として国の為の死というものを初めて意識し始めたのは日露戦争の頃からだろう。ハンバーガー・ヒルの激戦は、僕にあの二百三高地を思い出させた。ただ国の利害の為に、戦略的高地を奪う為に、命令されるがままに、自らの狂気と引き替えにして命を落とした多くの若者達の煩悶が僕には聞こえてきたのだ。
昨今、日本にも微温的なナショナリズムが叫ばれているように感じるが、僕らにとって、そのナショナリズムの基盤とは一体何だろうか? 日本とは? 国家とは? 自由とは? 日常とは? これらの原理を理解した上で国民国家というものを考えた時、僕らは「国の為に死ぬことができるか?」という問いに出会わざるを得ない。<日本が軍隊を持つことはこういうことだろう。> 
ハンバーガー・ヒルも二百三高地も単なる歴史絵巻ではないと考えたい。1987年アメリカ映画(2004-09-04)
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by onomichi1969 | 2008-02-09 00:13 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 カローラに乗って semスキン用のアイコン02

  

2008年 02月 02日

19歳の冬だった。乗っていたのはマーチだったけど。。。
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カローラに乗って行こうよ 1400の4ドアさ
カローラに乗って行こうよ FENでヒットパレード

カローラに乗って行こうよ 夜が君の顔をしてる
隣のシートで寝てる リクライニングで寝てる

僕の想像の中ではとても 優しい君なのに
本当はいじわるばかり なんだか哀しくなるなぁ

日野橋を渡るときに 君を揺り起こしてあげる
多摩ニュータウンがみえる 僕の友達が住んでた

カローラに乗って行こうよ 夜が寝返りをうってる
カローラに乗っていこうよ 何処に行くあてもないけど
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by onomichi1969 | 2008-02-02 11:41 | 真島昌利 | Trackback | Comments(0)

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