Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 アマデウス "Amadeus" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 30日

a0035172_795784.jpgモーツアルトは<神の子>である。
神の子として、その天賦の才をもってしても人間である限りにおいて生きるという現実は単純ではなく、彼が苦悩と怖れを抱えて人生を生き、死んだことはよく知られている。
モーツアルトを一人の人間として捉えるドラマというのもひとつの観点として興味深いものであるが、実際、その試みはイエス・キリストを主人公とするのと同じように難しいだろう。とはいえ、この映画を天才モーツアルトに対峙する凡庸の人サリエリの物語と考えるのはちょっと違う。サリエリがモーツアルトの音楽についての真の理解者であり、この映画をサリエリという自意識の鏡を通したひとつのモーツアルト像として捉えるのがやはり一番しっくりくるのである。
やはり、主役はモーツアルトであり、モーツアルトの神性、人間性をサリエリという自意識を通して語ることによって、僕らは僕らの中の無限のかけがえのなさを語りえるのではないか、というのが僕のこの映画に対する<文学的な>捉え方である。

モーツアルトの音楽を語る時、アポロン的な伝統音楽の高度な模倣の上にディオニュソス的な情熱、官能のエッセンスを見出すことが重要である。さらに生と死を行き交う精霊の如く、まさにデモーニッシュな一面により生み落された名作「レクイエム」に至っては、彼が神の子の苦悩を人間的な深みによって表現し得たことを示している。それをモーツアルトのモノローグによって語ることは不可能である。この映画では、サリエリという媒介を通じて、僕らはモーツアルトの心性を知るのである。
サリエリのモーツアルトに対する歓喜、恍惚、忘我、嫉妬、憎悪、愛情を僕らは理解する。芸術とは、神の言葉、御業かもしれないが、それはあくまで人間によって生み落されるものだ。人間という理性の森を通してしか、それは具現化されない。それがモーツアルトの作品であり、その出自をサリエリという自意識に通した時、それは現代的な神話であると同時に人間的なドラマにもなりうる物語を僕らに提供するのである。1984年アメリカ映画 (2004-08-15)
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by onomichi1969 | 2007-04-30 15:48 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ビッグ・フィッシュ "Big Fish" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 30日

a0035172_034118.jpg映画っていうのは所詮がホラ話なんですね。そりゃもう巧妙なホラ話。それをリアルに見せれば見せるほど人は満足したりするんです。不思議なことに。
そうすると、「この映画は真実に迫っている!」なんて杓子定規な評価が出たりしまして、これは映画っちゅうものの成り立ちからしてそういう傾向があるから、仕方のないことなのかもしれませんけど。

映画のジャンルを問わず、ドキュメンタリーであろうが何であろうが凡そ人が撮るものには必ず演出ってものが付いてまわるもんだし、言ってみりゃあ、それは思い込みとヤラセの世界ですよ。映画ってものはそもそもそういう了解のもとに観るべきものなんじゃないのかって僕は思うんですけどね。ホラ話だって、そこに夢や希望が感じられれば十分に幸せを与えられるんです。

ということで、ティム・バートンの『ビッグフィッシュ』っちゅう映画なんですけど、これが実に大らかでいい作品なんですね。クソ面白くもないエピソードを延々と見せられてつまらんという評価もあるみたいですけど、あのつまらん(?)ディテールがラストに大団円となるところが「蒲田行進曲」的な映画愛だとしたら、僕がほんとに評価したいのは、そっちのつまらんディテールの方でして、あれこそがティム・バートンなりのささやかな日常への賛歌なのだと思いますよ。ホラ話も、大風呂敷な夢や希望があるのはいいけど、それが日常に繋がる「誠実さ」もなくっちゃね。その観せ方には十分なリアリティがあったような気がしますよ、この映画は。

実は父親も自分と同じ弱さを抱えたひとりの人間なんだって、この「自分が存在することの原理」みたいなものを認めなければ、本当の意味で自分が父親を赦し、自分自身を了解すること(大人になること)はできないんです。映画の中の息子と同様に、観ている僕たちが知らず知らずのうちに自分の父親の存在について思いを馳せてしまう、そういう父子にとっての現実的な物語でもあるんです。 2003年アメリカ映画(2004-06-19)
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by onomichi1969 | 2007-04-30 00:04 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 AC/DC "High Voltage"(1976) semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 28日

a0035172_8532415.jpgAC/DCが80年代初期にバカ売れした際、彼らの音楽は子供向けの単純で無内容な煩いだけのロックと揶揄されたという。当時のNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)という流れはある意味でハードロックの80年代への移行だったと思うが、AC/DCの評価はまさにその流れの典型とでも言うべきものだったろう。AC/DCはその過激なステージの影響もあって、70年代中期にはパンクロックと同列視されたというから、そういった彼らだからこそ、うまく時代の流れに乗っかることができたと言えるのかもしれない。(ボン・スコットが短髪から長髪に変えたのもそれなりに意味があったのだろう) 彼らの楽曲があまりにもワンパターンでプリミティブな分かりやすいタテノリのロックであり、そのパフォーマンスはアンガス・ヤングの尻出しが飛び出すほどに幼稚でパンク的なノリで、また、歌詞もかなりくだらない内容であるから、彼らの存在は70年代的な様式の破壊者(パンク)であるとともに、底抜けな明るさとある種の喪失感が渾然となった80年代という時代の典型的なバンドだったと言えるだろう。

そんなバカロック的な彼らのスタイルの頂点が全世界で4300万枚を売り上げたモンスターアルバム"Back in Black"(1980)になるのだろうが、前のレビューで書いた通り、僕の中でAC/DCの魅力は、ボン・スコットのボーカルスタイルと密接に結びついている為、彼のいないAC/DCは明らかにその魅力が一段落ちてしまうと感じられる。

AC/DCと言えば、アルバムに関しても金太郎飴のようなワンパターンさで語られることもあるが、初期の"High Voltage"(1976)について言えば、彼らのベースであるブルーズのフレーズをそのまま生かした渋い(大人の)楽曲03 The Jackや07 Little Loverがあり、シンプルなパンクロック調の楽曲である01 It's A Long Way To The Top (If You Wanna Rock 'N' Roll)や06 Can I Sit Next To You Girlがあり、かつ彼ら特有のバカロックの典型でありOiパンクのハードロック版という言うべき傑作05 T.N.T.があり、割合としては以降のアルバムに比べて古典的なブルースロックの味わいがかなり強いが、だからこそ、全体として、なかなかバラエティに富んだ構成だと感じるのである。もちろんアンガス・ヤングの前面に押し出されたシンプルなリフから繰り出されるAC/DC的タテノリロックの特徴はアルバム全体を貫いている。元々、アンガス・ヤングのギタースタイルはブルースロックのプリミティブでエッセンシャルな部分に強く根ざしているのだ。

そして、改めて言うけれども、やっぱりこのアルバムもボン・スコットのボーカルが素晴らしい。ブルースロックを歌わせたらポール・ロジャースのような抑え(寸止め)がほどよく効いており、かつスティーブ・マリオットのようなシャウトの中にもソウルが響く。

ボン・スコットはもっともっと評価されていいボーカリストだと思うのだが、彼こそは70年代に殉ずべきボーカリストだったのかもしれない。彼の声の味わいは何というか、70年代的なのだ。

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AC/DC "Highway to Hell"(1979)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2007-04-28 09:14 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ムーラン・ルージュ "Moulin Rouge!" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 28日

a0035172_19593157.jpgすごく良かったですね。
KISSのラヴィン・ユー・ベイビーに、T-REXに、POLICEときたもんだ。拡大版ミュージックビデオみたいで、それでいて、台詞や映像はもちろん音楽も、過去のミュージカルやラブストーリーをごたまぜにしたような新しいタイプのミュージカル映画であり、かつ20世紀後半のショービズへ捧げたオマージュのような作品だなぁってね。。。というのは言い過ぎかな。
屋上シーンのくどいほどのラブソング・ストリームも僕には結構楽しめましたよ。MTV世代、FMステーション世代の僕としては、とても楽しいひとときでした。2001年アメリカ映画(2002-11-10)
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by onomichi1969 | 2007-04-28 08:32 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ブルックリン最終出口 "Last Exit to Brooklyn" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 20日

a0035172_2346580.jpgジェニファー・ジェイソン・リーが発散する空虚さ、その美しさと悲しさがとても痛かった。それでも最後に僕は一筋の光を見た思いがする。彼女にもスト解除と共に開いた最終出口があったと信じる。「無知の涙」という言葉(というか小説の題名)があるが、彼女は最後に無知である自分を涙し、他人の愛情を感じることによって救いを得ている。

この映画の舞台は1950年代であり、同名小説も1960年代前半に書かれたもので、僕らのイメージとして多分に牧歌的な時代だと思っていた当時のアメリカ社会における下層の暗黒部が淡々と描かれている。当時も今もそれでしか生きられない、生きることができない人がいる。そういう人達は知ることによって救われる可能性があるのだろうか。悔恨の涙を流すことができるだろうか。しかし、知っていながらそこへ落ち込んでしまう、最も可能性が閉ざされた、出口の全く見えないそういう現実があるのではないか。最後の光を見ながらそういう暗澹がチラッと頭を掠め、少し背筋がゾッとした。1989年アメリカ・西ドイツ映画(2006-05-28)
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by onomichi1969 | 2007-04-20 23:47 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 Scorpions "Virgin Killer" 『狂熱の蠍団』(1976) semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 14日

a0035172_13105254.jpgAC/DCのエントリィでも書いたが、70年代後半から80年代にかけてのハードロックシーンの中で、僕がAC/DC、オジー・オズボーンと共に好きなのがスコーピオンズである。

彼らを初めて聴いたのは、"Love At First Sting"『禁断の刺青』(1984)からのシングルカット、06 Big City Nightsで、当時のMTVで繰り返し流されていた為にそのフレーズが頭から離れなくなってしまったのを覚えている。へヴィメタル系という割りにはとてもメロディアスで、キャッチーな<覚えやすい>サビのフレーズが印象的だった。もちろん、ボーカルのクライス・マイネのハイトーン・ボイスも一度聴いたら忘れられない。それから、アルバムの方も入手し、その余勢をかって"Blackout"『蠍魔宮』(1982)も聴いた。特に"Blackout"収録の01 Blackoutや02 Can't Live Without You、03 No One Like Youが好きで、ギターがキンキン響くとこやクライス・マイネの「ワン、ツー、スリー」の掛け声に性急的なハイトーン・シャウト、甘く囁くようなバラードの響きも素晴らしい。そして滑らかでメロディアスなギターソロなど、とても聴き応えがあった。

以来、しばらくはスコーピオンズもあまり聴かなかった(音楽自体もずーっと聴かなかった)のであるが、スコーピオンズと言えばやはり代表作である"Virgin Killer" 『狂熱の蠍団』(1976)を聴かないとダメだということで、期間をおいてまた彼らの音楽を遡って聴くようになった。高校生の頃もこのアルバムの存在はもちろん知っていたが、やはり高校生の僕にはジャケットをチラチラ見るのが関の山で、実際にアルバムを手にとることが出来なかったのである。(このアルバムはまさにエロ本的な扱いで、こんなの借りて帰ったら親に異常性癖を疑われそうだった) まぁ、30歳を超えて、面の皮が厚くなり、ようやくとこのアルバムを手にとったり、じっくり眺めたりできるようになったわけである。(ホントか!?)

内容は、80年代のアルバムにも増して素晴らしかった。クライス・マイネの声はより重々しく、多少掠れぎみだが、とても迫力がある。そしてギター。ウルリッヒ・ロートのテクニカルなギターソロはとにかく美しい。曲もすべて(ウルリッヒ・ロートのボーカル曲は多少?だが)素晴らしく、僕らの琴線にギンギン響いてくる、哀愁の名曲たちである。(やはり、01 Pictured Lifeと02 Catch Your Trainが特にしびれる名曲だ!) アルバム全体としては、1曲1曲が短いので多少淡白な印象もあるが、逆にその疾走感がまたよいともいえる。
"In Trance"『復讐の蠍団』(1975)のプログレ風のコンセプトも悪くないが、やはり曲で比較すれば、『狂熱の蠍団』がいい。このアルバムがジャーマン・ハードロックの最高峰と呼ばれるのも納得である。

しばらく間があくと無性に聴きたくなる、スコーピオンズのアルバムにはそんな禁断性があるような気がする。それから、スコーピオンズは当然のことながらドイツでもすごく有名で、向こうのハードロックファンは今でも彼らの曲をよく聴いているそうだ。(国民的英雄だもんね。で、ある意味でドイツ人のエロさを象徴しているかも、、、)

※今回はアルバムジャケット(フル)の掲載を自粛します!
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by onomichi1969 | 2007-04-14 20:49 | 70年代ロック | Trackback(3) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 アカルイミライ semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 14日

a0035172_17282317.jpgクラゲは海からやって来て、東京の真水に徐々に慣れながら、隔離された水槽を孤独に生きる。人を殺傷するほどの猛毒を隠し持つため、それは誰にも触れ得ない。しかし、水槽から逃れたクラゲは用水路で繁殖し、集団で海を目指す。

明るい未来ではなく、「アカルイミライ」である。それは決して約束された未来、誰もがその輪郭をイメージできる立体感のある未来ではなく、戯画化されフラット化した「アカルイミライ」である。その「アカルイ」は本当に「明るい」のだろうか?ゲーム的なリアリティに意味を見出さざるを得ないような社会が真っ当に明るい未来なのだろうか?2極化した社会。その断絶は年々広がり、自らの価値観の中でしか現実が選択されず、オンリーワンであることに自足して閉じこもる一部の若者達。彼らの(そして僕らの)目の前の未来はとても暗澹としているように思える。

この映画の主人公、仁村(オダギリジョー)はそんな一部の若者達を象徴する存在として描かれる。しかし、仁村に信頼される年長の有田守(浅野忠信)は、そういった現代的な等価交換的な考え方の染み付いた若者達とは一線を画する存在であるように思える。彼は、「待つこと」と「行くこと」の意味を理解している。有田守は自白によって殺人罪で逮捕されるが、実際の行為は描かれず、理由は明らかにされない。その場面では、殺されて横たわった夫婦と家を飛び出し歩いている子供(少女)のみが映し出され、有田守は何かを庇って罪を犯したか、又は罪そのものを被っているのではないかということが暗示される。(そう考えなければ彼の人物造形と行動が物語として矛盾する) そして彼は「待つこと」と「行くこと」の重要性をメッセージとして残しつつ、沈黙と共に自死を選択する。
結局のところ、仁村は、有田守やその父親に導かれるように「生きる」ことそのものが、「待ち」、そして「行く」ことであることを理解する。そうであれば、仁村は「許され」、癒されるべき存在であり、その未来を自ら進み、掴むことができるであろう。
同じようにゲバラTショーツを着た少年たちや両親を失った少女に明るい未来があるだろうか? この映画はそれを「アカルイミライ」と称し、決してその希望と可能性を失うべきではないと宣言しているように思える。有田守やその父親、そして仁村も、結局のところ、その少年少女達の「アカルイミライ」を保護し、承認する存在として描かれていると僕には思えた。

そして、僕はこの希望的「ミライ」を支持したいと思う。黒沢清のメッセージはこの作品から強く僕らに伝えられる。僕はゲーム的リアリティよりも、やはり人間的なリアリティを信じたい。それがどんなに狭く光微かな道であっても、である。
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by onomichi1969 | 2007-04-14 18:23 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 AC/DC "Highway to Hell"(1979) semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 11日

a0035172_0413084.jpg70年代後半から80年代にかけてのハードロックシーンの中で僕が好きなバンドと言えば、スコーピオンズとオジー・オズボーン、そしてAC/DCである。
これらのバンドが好きな理由は、おそらく、彼ら特有の個性的な音楽スタイルが僕のロック魂の琴線に触れるからなのだが、その中でも、独特のボーカルスタイルをもつ個性的なボーカリスト達が聴かせる「うた」の響きには特に言い知れない魅力を感じてしまうのだ。
オジー・オズボーンの歌うバラードが僕は好きだ。あくまでギターの後ろから響く、控えめ?ながら圧倒的な存在感のある歌声。スコーピオンズのクラウス・マイネ、いわずと知れた哀愁のハイトーンボイスである。Pictured Lifeとかで聴かせるハイトーンのシャウトがダークでメロディアスなギターサウンドと交錯するのが大好きである。
そして、オーストラリアン・ハード・ブギーの雄、AC/DCといえば、ボン・スコットである。僕は彼ほどにソウルを響かせる金切り声を他に知らない。彼は最強にソウルフルなハードロック・ボーカリストなのである。

AC/DCの傑作アルバムといえば、1980年に全米で大ヒットし、全世界で4300万枚売り上げた"Back in Black"がまず挙がるだろう。確かにこのアルバムはポップでいてハード、重厚でいて薄っぺらい、なんというかロックの魅力がプリミティブに発揮されたシンプルにカッコいいアルバムである。楽曲も充実している。が、如何せんボーカルが弱い。新しく加入したおっさんシンガー、ブライアン・ジョンソンも金切り声を張り上げて頑張っているが、ボン・スコットに比べると「うた」の響きという点でかなり落ちる。ボン・スコットの声はナチュラルに倍音が響く。そのソウルフルな歌声は、スティーブ・マリオットやTHEM時代のヴァン・モリソンを彷彿とさせる、そういうレベルにあるのだ。(彼も天才的なボーカリストなのである)

そんなボン・スコットのボーカルの魅力は、初期のアルバム"High Voltage"(1976)や"Let There Be Rock"(1977)、"Powerage"(1978)で存分に味わえるが、やはり極めつけは、ボン・スコット時代の集大成的アルバムであり、尚且つ、よりハードでモダンな、その後の彼らのロック・スタイルを確立したアルバム、"Highway to Hell"(1979)が最高だろう。ソリッドでシンプルな縦ノリのギター・リフに絡むボン・スコットの歌声がゾクゾクするほどセクシーな表題曲01 Highway to Hell、彼ら本来のハード・ブギーをポップにアレンジした04 Touch Too Much、重量感溢れるロックンロール06 Shot Down In Flames などなど、どの曲も素晴らしい。ボン・スコットの歌声も確実にパワー・アップし、コーラスワークも冴えている。

そして、"Highway to Hell"の素晴らしさはそのアルバムジャケットにも現れている。悪魔君のアンガス・ヤングの隣で無垢な笑顔を見せる優男、それがボン・スコットである。

1980年2月19日、ボン・スコットは車中で死亡しているのが発見される。睡眠中に嘔吐物を喉に詰まらせての窒息死であったそうだが、元々が喘息もちであり、寒さ故の急激な発作が原因であったとも言われている。いずれにしろ、とても悔やまれる、残念な死であった。(多くの天才達は80-90年代を前にして夭折してしまう)
"Back in Black"は、全世界でマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ、歴代2位の売り上げを誇るそうだ。(日本ではそれほど売れたという認識はなかったけれど、、、まさにモンスターアルバムだ) それほどに親しまれた作品ではあるが、これをボン・スコットの声で聴いてみたかった。そうであれば、アルバムの価値はもっともっと上がったであろうに。

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AC/DC "High Voltage"(1976)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2007-04-11 01:03 | 70年代ロック | Trackback(1) | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 ロスト・イン・トランスレーション "Lost in Translation" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 10日

a0035172_2312128.jpgこの映画、実は現代版の「東京物語」とも呼べる。元々、ソフィア・コッポラは東京という街をアメリカ人が迷い込む異国の地、自発的な孤独を生み出す環境として捉えているように思うが、それは正に小津の『東京物語』の主題でもあったはずである。これはある意味で外国人を主人公にすえたからこそ描かれ得る、本来的な「東京」の姿なのであるが、僕らはもうそういった見立てというか作為なしに、都市としての東京に現代的な物語としてのリアリティを感じないのかもしれない。確かに東京という物語は矮小化し、偏在化しつつあり、それはもう「東京」でなくても全く構わないとも思える。
本当の『東京物語』であれば、東京という場所における笠智衆と原節子の立ち位置が小津の世界観として一番しっくりくるが、それがこの映画では逆転<笠智衆がスカーレットで、原節子が都市生活に疲れたビル・マーレイ>しているところがアメリカらしい彼らの基本的なイノセンスの構図<子供こそが穢れなき存在であること>なのだと言える。そう考えれば、スカーレットの異様な子供っぽさも理解できるような気がするが、それを現代社会というタームに照らし合わせてみれば、また別の意味での新しさをも想起させる。
『ロスト・イン・トランスレーション』は都市という孤独を鮮明に描こうとするが、孤独は現代という空間であまりにも無自覚に受け入れられている為にその悲哀の輪郭はとてもぼやけている。抵抗しつつもそれを受け入れざるを得ないこと。それがたぶんビル・マーレイの悲劇であり、スカーレットの常態なのだろう。その受け入れ方の違いはある意味でとても切実である。2003年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2007-04-10 23:13 | 海外の映画 | Trackback(4) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 パフューム ある人殺しの物語 "Perfume: The Story of a Murderer" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 08日

a0035172_191634.jpg『パフューム ある人殺しの物語』を観てしまった。。。この映画にはサイト上でも賛否両論があって、その両極端なのがとても興味をそそってはいたのだが、映像のグロさも含めて、「観るな」といわれると観たくなる。『ブルーベルベット』のカイル君に限らず、人間というのはそういうものだから、仕方ないのだ。
ということで、映画を観終わって、、、う~ん、後悔はしなかったけれど、かなり「どんより」とした気持ちになったのは確かである。但し、「何なんだこれは?!」という気持ちであれば、他の映画(駄作!)でもたくさん経験しているが、その「何なんだこれは?!」という気持ちがいつまでもじわじわと、しかも暗澹(あんたん)と続くのは、なかなか味わえない質のものである。もしそれが意図的であるとしたら、とんでもない映画なのかもしれない、これは。

まず、この物語、副題に『ある人殺しの物語』とあるが、実はそこに「物語」がない。僕が鑑賞中に感じた(そして鑑賞後に続いた)「どんより」感の由来はそこにある。
主人公は匂いのない人物として設定されているが、その自己の希薄さは、「こころ」がない、「精神」がないことと相似である。故に、彼には自分のための物語、自己と他者を繋ぐ物語が一切ない。そしてそれを作り上げようという意思すらないのである。映画は、主人公が次々と殺人を犯していくのと同時に、13人目の被害者となる女性の日常をも映し、その接点ともいうべき二人の邂逅の過程をドラマチックに描いていくが、その邂逅自体のドラマ性をあっさりと否定してみせる。

では、彼は何を目指していたのだろうか? そう、彼は世界を目指したのである。彼は香水によって、香りによって、世界を動かしてみせる。その現実性うんぬんは別にして、非物語的で即物的な「パフューム」によって人心を把握する(「愛情」ともいうべき)幻想を顕現してみせるのである。
彼は「パフューム」によって世界を動かすが、最終的にそれを受け入れることができない自分を発見するに至る。それこそがこの映画の救いなのであろうか。
非物語的な幻想への失望。そこにこの映画の映画的なリアリズムを見なければいけないのかもしれないが、世の中(現実の自己)はそう簡単にはひっくり返らないのではないか。主人公が群集を前にして流す「涙」に僕は全くと言っていいほどリアリティを感じなかった。僕らの世は無知にあえぐ18世紀のパリではない。情報過多の21世紀の日本である。同じような非物語で貫かれた世界でありながら、そのバックグラウンドとなるべき現実感には決定的な違いがあるような気がした。
主人公が流す涙のリアリティをそれを誰もが理解しないという現代性に通じる現実によって否定してみせる。もし、そうであれば、僕はこの映画のすごさを感じるが、その辺りの意図はよく分からない。いずれにしろ、そういった構造分析的な意匠では僕らの「こころ」を響かすことができないことだけは確かである。

最近、東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』という本を読んで、同じように「どんより」とした気持ちになったが、彼が提唱する「物語の死」とか「物語の衰退」と呼ばれるポストモダン的な状況やデータベース化した環境下での新しいコミュニケーション社会とそれを前提とせざるを得ない新しい批評体系というのはとても理解できるが、そこには全くと言っていいほど、「こころ」に響くものがない。
この「どんより」感はもう自明であり、仕方のないものなのかもしれないが、僕らはいつかその「どんより」感の中でもゲーム的リアリズムによって「こころ」をふるわせる日がくるのであろうか。そういうことを想起すると、また「どんより」としてくる。。。2006年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2007-04-08 22:59 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

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