Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 <   2007年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 スウェーデン その2 semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 25日

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短いスウェーデンでした。
順調に予定を消化し、本日帰国の途に。

3日前に街に入った途端に今期一番の寒さに見舞われましたが、
防寒は万端だったので、なんとか過ごせることができました。
(寒さは苦手ですが、、、まぁホテルや仕事場の中は暖かいし、、、)
煙草を吸う人は外で吸わないといけないので大変そうでしたね。
スウェーデンは公共の場所、レストラン/バー、オフィスや工場内、法律により全面禁煙となっています。これも世の流れでしょうか。
(ヨーロッパではここ2~3年で公共の場での喫煙を全面的に禁ずる禁煙法なるものが急速に普及しているようです)

まぁそれはそれとして、、、

行き帰りのタクシーの車窓から見える古い街並みと真っ白な自然の風景
思いのほか賑やかだった中心街、明るいショーウィンドウ
水曜日の夜のカジノバーの喧騒
北国の少女、その可憐さ

印象に残ったのはこのくらいでしょうか。

お疲れさまでした~
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川が凍り 夏が去り
雪の舞い散る中を行くのなら
あの娘がコートを着ているか
どうか見てきて欲しい
あの娘が寒さに震えていないか

あの娘の髪はまだ長いのだろうか
胸の上に流れ落ちているのだろうか
あの娘の髪がまだ長いのか
どうか見てきて欲しい
それが私が一番好きだった姿だから

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by onomichi1969 | 2007-01-25 15:36 | 旅の記録など | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 スウェーデン semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 23日

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昨日、コペンハーゲンから電車で2時間半程の田舎町に入りました。ここに2日滞在して、仕事をこなしたらすぐに日本へ帰ります。今回は短い海外出張なので観光も無しかぁ。

往復で88,000円の航空チケットだし。(直行便で!)

それにしても、外寒すぎ!
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by onomichi1969 | 2007-01-23 15:33 | 旅の記録など | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 エリ・エリ・レマ・サバクタニ semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 21日

a0035172_14413092.jpgレミングといえば、個体数を調整する為に定期的に集団自殺を繰り返すねずみの一種である。この話自体がディズニーによる作り話であり、実際は餌や天敵の増減等によって、自然に繁殖と淘汰を繰り返しているだけにすぎず、集団自殺などという行為はあり得ないというのが今では有力な説らしい。

青山真治の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』をようやく観ることができた。正体不明のウィルスによって自らの意思とは関係なく自殺してしまう"レミング病"が蔓延する近未来のお話。レミング病は視覚映像によって伝染し、確実に死に至るという。まさに死に至る病である。

レミング病とは何か?それは死に至る病である。
死に至る病とは何か?それは絶望である。

作中の浅野忠信演じるミズイが相棒アスハラの自殺を目の当たりにしてつぶやく。
「病気の自殺と本気の自殺とどうやったら区別がつく?」

『死に至る病』の作者キルケゴールによれば、その区別は様々あれど、やはりそれは同じ罪としての絶望である。絶望を知り、それを克服する意思があるとしても、自己自身を抱えている以上、それは同じように絶望なのだと。本当にそうだろうか?

ウィルスによる絶望というのは、外敵、非自己による自己化ともういうべき自己の病への囚われ、第5の絶望、現代という無自己を絶望と化した時代のメタファーだろう。『ユリイカ』の監督である青山真治は、この最新作でそういった新しい絶望も含めた全ての「死に至る病」に対する抵抗を試みている。僕にはそう思えた。
アスハラが自転車をこいでミズイに会いに行く短い映像。その音楽。生きること、死ぬことに根源的な意味がある以上、僕らは常に本気でいるべきなのだと。少ないセリフの中にも僕にはそういった輝きを感じることができた。映像の一つ一つに抵抗としての生を感じることができた。

絶望に囚われ、それでも自己自身であり続けようとする。
自らの生を受け入れ、自らで選択する。

恣意的のようでいてとても示唆的な映像。
素晴らしい映画。

絶望につけこまれ、、、腹いっぱいになっても、、、死に至るか。。。2005年日本映画
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by onomichi1969 | 2007-01-21 14:59 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 トニー滝谷 semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 21日

a0035172_1524454.jpgトニー滝谷の妻はいつも優美に服をまとっていた。彼女は元々洋服を買うのが好きであったが、ある時期を境にそれはまるで何かの中毒のように抑制が効かなくなってしまう。彼女は言う。「目の前に綺麗な服があると、私はそれを買わないわけにはいかないの」

孤独と恋の話である。トニーは彼女と出会う前、孤独であった。彼は彼女に恋をし、二人は結婚する。恋は孤独を安住の地から耐えがたい牢獄に変える。では、彼にとって結婚は安住の地となりえたのだろうか?
トニーは彼女のことが好きであったが、彼女が服を買いすぎることが気がかりだった。実際にそのことが彼女を突然の死へと導いてしまう。
彼女は洋服を買うことを「ただただ単純に我慢ができなかった」 それは彼女の中の異質なものの発現であり、今ある状態に決して充足できない何かが、彼女の趣味であり可能性であった洋服を過剰な渇望に変えてしまったのである。それは彼女にとって孤独と等値なのだろうか?

トニーは結局、孤独に帰るのであるが、それはもう静かで穏やかな世界ではありえない。大きな欠落感であり、生暖かい闇の汁である。
ただ、映画で最後に(原作にはない直接的な表現としての)希望の光、ある種の共有感への予感が描かれている。トニーはひとりぼっちであるが、もう孤独ではいられないはずなのだ。このシーンは原作にはないが、悪くないと僕は思う。

映画。
多くの人が指摘するように、映画『トニー滝谷』は、小説の朗読と映像、音楽及び独白で綴られた作品であり、従来の(映画的と言われる)手法の映画とは趣きを異にする。ページを捲るように場面は展開し、単調な調べはその作品を小説それ以上にもそれ以下にもしない、そういう配慮のようにも思える。
僕はこの短編小説が好きなので、この作品も好きである。市川準の映像も小説世界にマッチしているし、宮沢りえの透明感溢れる存在感もよい。イッセー尾形は年を取り過ぎており、僕のトニー像にはいまいちフィットしないが、まぁそれなりの表情をみせる。
この映画で退屈することはまったくなかった。小説を読むように映画が展開するのだから、小説を楽しむように、この作品を楽しむことができるだろう。 2004年日本映画
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by onomichi1969 | 2007-01-21 08:59 | 日本の映画 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ラストタンゴ・イン・パリ "Ultimo Tango A Parigi" semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 08日

a0035172_2303719.jpg絶望が引き寄せる孤独と絶望を希求するが故の孤独。
孤独と孤独が紡ぐ性愛、その現実感が満たす孤独という名の救済と慰撫。

「ラストタンゴ・イン・パリ」が描く男と女の恋愛劇には、マーロンブランドの強烈な個性に引き摺られながら、その醜悪さも切実さも含めて最後まで惹き付ける魅力があった。
最終的に男は恋愛を絶望からの帰還へと変化させるが、女にとってそれはあくまで現実からの逃亡に過ぎなかった。確かに本来的な孤独の意味、その「失われざるための愚かしさ」に囚われていたのは女の方であったか。女は何を求め、何を殺したのか、それは男が追いかけたものでは全くなかったことは確かである。

男が逃れた狂気は既に女の側にあったのだ。

しかし、男を殺したことによって急速に現実的問題に執心する女の姿は、陽気なラストタンゴが全く夢の如く思えるほどに、冷たい。あれは何だったのだろうか。

マーロンブランドが醜悪にして、痺れるほどに最高の演技を見せた恋愛映画の傑作。1972年フランス・イタリア映画(2004-07-10)
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by onomichi1969 | 2007-01-08 23:04 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 報道特捜プロジェクト“責任者出てこい!”怒り爆発スペシャル semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 08日

普段、平日の夜にテレビに接することがほとんどないので、僕はこれまで知らなかったのだけど、「報道特捜プロジェクト“責任者出てこい!”怒り爆発スペシャル」というテレビ特番を今日初めて観た。そして、その内容のトンデモ熱狂ぶりにある意味で感心してしまったのと同時に、こういう糾弾番組が何の違和感もなくゴールデンタイムに流され、当然のことながら多くの人が視聴し(少なからず影響されるであろう)という事実にとても暗澹たる気持ちになった。
番組は、ある病院組織の不正を暴く報道ドキュメンタリーのスタイルをとるかと思いきや、それはいつしか人格排撃とも言うべき、集団によるヒステリックな個人攻撃へと行き着く。その他、公共事業に絡む不正疑惑や違法な海外の宝くじ仲介業者の実態を暴いていく中で、テレビならではの「誘導的言質」や「強調的編集」が駆使され、「顔出し」「実名報道」された関係者は必然的に社会的な制裁を受けることになるハズ。

テレビはいまや犯罪を利用してでも視聴率を稼ぐ時代なのだろう。それはそれで認めざるを得ないのかもしれないが、そもそも犯罪が警察によって取り締まられ、司法により裁かれるものである中で、事件報道はそのシステムを正しくチェックする為のものと考えられてきた。
この過剰に演出された番組は一体何なのだろうか?どこまでが本当でどこまでがやらせなのか?これはバラエティなのか、事件報道なのか、観る方の観方としても判断に迷うのだが、いずれにしろ、本来相容れない2つの要素をあまりにも安易に融合してしまったようないささか後味が悪い、ある意味でその不鮮明さが恐ろしい茶番劇だと感じた。

そもそも客観的な報道などというものはあり得ない。これはオウム真理教をドキュメンタリーとして映画化した森達也がよく主張しているところであるが、だからこそ、その主観性には安易ならざる思考と批評性が必要なのである。

改めて昨今の報道やワイドショーで見られる異常なほどの煽動性と攻撃的な偏重志向を感じた。こういった風潮こそが「いじめ」を助長しているのではないのだろうかと危惧してしまう。あなテレビ恐ろしや。。。
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by onomichi1969 | 2007-01-08 22:05 | 時事 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 NUOVO CINEMA PARADISO semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 07日

a0035172_16183181.jpg
兵士はなぜ99日待ちつづけて100日目に現れなかったか?

それは100日目には王女様が現れてしまうことが
約束されていたからではないでしょうか

99日目までに王女が現れることへの期待と
待つことによって募っていく憧れそのものが
彼にとっての恋愛だったと僕は思います

可能性としての恋愛

憧れ、叶わない、
手の届かないことの中に可能性としての恋愛がある

それは、挫折を恐れるナイーブな感性をもつ
アルフレドの人生観そのものじゃないかな

あの兵士はアルフレドそのものでしょう

逸話の中の王女とスクリーンの中の女優たち
アルフレドの憧れとトトの挫折

この映画の忘れられないラストシーンも
そう考えるとよりいっそう印象深いものになるんじゃないかな

1989年イタリア・フランス映画(2002-04-11)
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by onomichi1969 | 2007-01-07 16:19 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 「塾行ってないエリート探せ」 AERA'07.1.15記事 semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 07日

家庭の事情により、普段は相模原に一人暮らし。週末の金曜日の夜か土曜日に静岡の実家に帰り、月曜日の朝に横浜の会社へそのまま通勤する。こんな生活をもう8年ほど繰り返している。静岡から横浜の会社までは約1時間40分程度。普段の通勤が1時間15分程度だから、時間的にはあまり変わらないと言えばそうなのかもしれないけれど、新幹線に座ってゆったりと過ごす時間は、普段のせかせかした通勤と違い、とても落ち着いた時間なのである。あったかいコーヒー(夏は冷たいカフェオレ)を飲みながら雑誌をペラペラとめくる、読みかけの小説を読む、少しだけ眠る、これが案外と落ち着く時間なのである。

a0035172_2184284.jpg雑誌と言えば、ここ何年かはちょうど月曜日が発売日ということもあり、AERAを毎週のように買っているのだが、最近この雑誌はあまり読み応えがない。12~3も記事があれば、その中に興味をそそるような内容があってもいいものだが、最近はそれもない。というか、普通は1~2の目玉記事のようなものがあって、それはそれなりに読ませる内容であってしかるべきだろう。そうであれば、他の記事が多少軽くて内容がないものであっても許せる。しかし、それが全くないとなると、、、

a0035172_2193041.jpgそんなAERAの本日発売号の記事
「塾行ってないエリート探せ」(副題:安部首相肝いりの教育再生会議が、オモシロイことになっている。ノーベル賞の野依良治座長(68)が「塾禁止」を提言。「我々は塾に行かずにやってきた」というんですが・・・。)

この記事ははっきり言ってひどい。(記事名もひどいけど) 記事としての主張が全くないどころか、著名人たちのコメントを羅列しているだけで、それを最後に揶揄しているのみの(悪意さえ感じられる)内容である。これじゃあアマチュアの高校生新聞レベルだし、素人のブログだって記者の意見というものがちゃんとあって、もっと読ませる内容のものはたくさんある。こういう内容を主題にするのだからそれなりの問題意識があってしかるべきだと思うが、記事を読む限りはそういった意思が全く伝わってこないし、結局何が言いたいのか、何を問題提起したいのか?さっぱり分からない。それが伝わってこないというよりも、最初からそこに大した問題なんてないんじゃないか、ただのアンケートであって、そこには実は問題意識の欠片もないのではないかと危惧してしまう。ここは誰でもできるような批判をするのではなく(それは時としてニヒリズムを呼び込むだけ)、本来は記者としてのカウンターメジャーを提言するところではないだろうか。

『でもやっぱり、野依センセイの理想を描いたような人たちは50代。逸材は野放し教育で育つ。確かに一理あるんですけどねぇ。(終わり)』 -AERA当該記事の締めの言葉

世の中に対する問題意識が浅い社会、或いは雑誌記者。そういう時代なのかもしれないけど、内容のない記事を3ページも読んでしまったときの徒労感といったら、、、、全く勘弁して欲しいものである。金を払って買っているんですけどねぇ。。。
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by onomichi1969 | 2007-01-07 01:39 | 時事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 2007年 賀正 semスキン用のアイコン02

  

2007年 01月 01日

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by onomichi1969 | 2007-01-01 10:10 | お知らせ | Trackback | Comments(10)

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