Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 京極夏彦 『邪魅の雫』 semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 19日

a0035172_1026279.jpgミステリー小説に哲学的思考法をいちはやく取り入れたのが日本では笠井潔である。彼の描く探偵、矢吹駆は現象学的還元という視点変換を用いることにより、現象の明証性を掴み、その本質直観を辿ることにより事件を解決する。それに対し、京極夏彦の描く探偵(ではなく、拝み屋)、中禅寺秋彦は、ポストモダニズム様の脱構築(デコンストラクション)という手法を用い、容疑者を含む関係者達の物語(不思議)を解体し合理化して、妖怪的なものを日常化することにより、憑物を落とす。
ここでの現代思想的タームはある種の意匠である。事件を解決する為の論理そのものが一種の還元的、脱構築的な発想なのであり、それはそもそも特別なものではない。古今東西、探偵達は常にそういった常識と非常識の狭間を論理によって行きつ戻りつしながら、殺人事件という非日常のパズルを解いていったのである。

探偵小説が見立てや密室という装飾によって人間の死を大仰に取り扱うことにより、死の尊厳を生の充実に転化しようとした、というのは笠井潔の説だったか。死の観念を完全に無化した大量死、第2次世界大戦を経て勃興したのが日本の本格探偵小説だったのである。
当初は暗黙のモチーフとしてあった探偵小説における装飾性の高いトリックや密室化など、また様々な衒学を駆使した見立てや動機などという非日常性に対し、そのモチーフを純化することによって、事実そのものを宙吊りにする手法、日常性に転化しない非日常的ミステリーを構築したのが60年代の作品、中井英夫の『虚無への供物』と70年代の作品、竹本健治の『匣の中の失楽』ということになるだろうか。これらは日常的なミステリーに対して、アンチミステリーとも呼ばれる。この系譜が細々と受け継がれているとすれば、僕の認識では、麻耶雄嵩や清涼院流水の作品がそれにあたる。(非日常的な事件の日常的現実への落とし方がミステリーとアンチミステリーの分岐点か)

さて、京極夏彦/中禅寺秋彦はいつもこう言う。
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」
これはまさに非日常性の日常化という行為を象徴的に言い表しているもので、彼が言い当て、そして行っているのは従来のミステリーの枠組みを超えでるものではないように思える。しかし僕の印象では、その認識自体が彼の作品の中でいつも一周ひっくり返っているのである。それはアンチ・アンチミステリーとでも言うべきものではないだろうか。アンチミステリーという宙吊りを一気に叩き落してしまう、その強引な暴力的な試みを感じて、僕は京極堂第一作でもある『姑獲鳥の夏』の言説に引っかかった。しかし、その読後感が完全にすっきりとしたものかというと決してそうではなく、落ちたようでいてそこには危うさが残っていたのだ。
その感覚の由来は第2作目『魍魎の匣』ではっきりする。彼の作品から受けるその読後感、くらくらするような感覚は実は作品の中で1周或いは2周もひっくり返る日常と非日常の認識、その目まぐるしさの余韻なのである。
たしかに、「この世には不思議なことなど何もない」かもしれない。
でも、それはある時突然に、そして時々ひっくり返り、、、
「不思議でないものなど何もなく」なる。(『塗仏の宴』より)

中禅寺秋彦が行う脱構築(デコンストラクション)には常に余韻がある。収縮した物事は常に拡散するエントロピーを持ち、結果は常に原因となる。それはまさにウロボロスである。それこそが彼の作品の大きな魅力なのであり、言うなれば、ミステリーとアンチミステリーを縫合した最期のミステリーとしての京極堂作品なのかもしれない。そして、それが80年代後半に始まった新本格ミステリーを実質的に総括してしまった彼の作品の90年代的な意義なのだろう。もし、彼の作品に足りないものがあるのであれば、それは終わりの始まりであり、00年代、その先の視線である。

久々に京極堂作品を読む。8作目。
殺意と死のメッセージが冒頭を彩る全編の中で、唯一例外となるエピローグとそれに続くプロローグ。凡庸な狂気と瑣末化する悪意と殺意へのモチーフは、これまでの京極作品よりもずっと同時代的で、ある意味で説得力もあって、そして救いもあった。
そういう意味で僕はこの作品を面白いと思うし、ラストシーンにも好感をおぼえた。
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by onomichi1969 | 2006-10-19 10:26 | | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Bread "The Best of Bread" semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 17日

a0035172_085470.jpg僕は以前、バッドフィンガーのレビューの中で「彼らこそ、60年代から70年代へ移行する中でロックの可能性を捉えそこなったが故に、ある種の哀しみを湛え続けた最もヒューマンな70年代ロックバンド」であると書いた。この種のバンドとして他にラズベリーズや70年代のビーチボーイズを思い浮かべることができるが、同時期のウエストコーストのバンドとして忘れてはいけないのがデヴィッド・ゲイツ率いるブレッドである。(そして、僕は「この種のバンド」が嫌いではない、というかとても好きなのだ。)

ブレッドのそもそもの目的は、メンバーのひとりが言ったように、「60年代をほんの少しでも長続きさせる」ということだった。 ~Jerry McCulley, Amazon.com

最近になって僕は気がついた。そうか、ブレッドこそが確信的に60年代を引きずる70年代のソフトロックバンドであり、それを自覚し自ら演じていたのか。そう考えると何か腑に落ちた気がして、これまでにも増して彼らの音楽が心に沁みいるようになった。
彼らのポップバラードを中心としたサウンドはその後に多くのフォローアーを生んだが、彼ら自身はまるでそのことを自然に受け入れるが如く、"Baby I'm-a Want You"(1972)、"Guitar Man"(1973)と大ヒットを記録していた絶頂期に解散してしまう。
バッドフィンガーがビートルズの後継になりきれなかったポップロックバンドであるとするならば、ブレッドはイーグルスによって易々と乗り越えられてしまったカントリーポップバンドだと言えようか。彼らが「60年代をほんの少しでも長続きさせる」サウンドを目指していたのであれば、それもまた仕方のないことで、彼らこそが60年代後半のspritという幻想に捉えられた自覚的なprisonersだったのかもしれない。

もちろん、そうは言っても、彼らが60年代を引きずった単なるカントリーポップ・バンドというのでは決してない。それはこのベスト盤(デラックス版)を聴けば誰でも分かることだ。このアルバムは彼らの大ヒットシングルでもある01 Make It With Youや06 If の他、彼らの代表的アルバムである"Baby I'm-a Want You"(1972)、"Guitar Man"(1973)からの曲を中心として纏められたブレッド絶頂期を体現するベストアルバムである。

01 Make It With You、02 Everything I Own、03 Diary、04 Baby I'm-A Want You、05 It Don't Matter to Me、そして06 If と続く前半のポップバラードの流れがとても素晴らしい。そのメロディの清廉さとコーラスの爽やかさは奇跡的とでも言うべき完成度である。これらの選曲は正にベスト盤ならではの並び。後半に13 The Guitar Manと14 Aubreyが続くところもまたグーである。

確かに80年代、(バッドフィンガーと共に)ブレッドほど省みられなかったバンドもないであろう。しかし、彼らこそ普遍のメロディとコーラスを持った70年代を代表するウエストコーストの良質なソフトロックバンドなのである。このベスト盤もまた、一家に一枚のアルバムであることは間違いない。
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by onomichi1969 | 2006-10-17 01:07 | 70年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 The Brown Bunny semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 14日

a0035172_1556963.jpg

バイオレット、リリィー、、、
何故、花の名前か?

ローズ、、、
美しいものの余韻

名前という幻想
名前にこそ意味がある
取り替えのきかない名前という幻想
それは彼の心を執拗に捉えていく

なぜリリィーは涙を流しているのか
そんなことは疑問として意味がない
ただ涙を流しているということが答えなのだ

妄想?
失われたものへの掛け替えのない想い
それを抱えていかなければ生きる意味なんてない
でもこれ以上の哀しみを背負う必要があるのだろうか
そして思いとどまる

ロードムーヴィーとは何かを探す旅を映す

彼は?
砂漠での疾走
砂漠という茫洋
無意味の意味
彼は何を追い求めているのだろう

デイジーは死んで
死んだものは現実には帰ってこない
だから彼は夢想する

幻想としてのデイジーを彼は赦す
人が生きる原理を掴むには
まず赦すことから始めなければならない

彼が欲したのは
彼女を赦すということ
その不可能性の可能性
それは幻想であるが
それは彼にとって必要なことだったのである

そして彼は帰還するのだ

2003年アメリカ映画(2005-01-23)
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by onomichi1969 | 2006-10-14 15:59 | 海外の映画 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Paris, Texas semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 14日

a0035172_15524563.jpg

茫漠と広がる砂漠のような虚無感
彼が旅したのは自らの心象風景の中だったか
失われたものを快復するために彼は目指す
自意識に根ざす風景は常に止め処ないが
そこに一筋の光を見出すことは不可能でない

砂漠にも静かな雨が降ることがあるだろう
優しさという名の愛情が彼に希望をもたらすが
それはもう遅すぎたか? 

でも終わりは始まりともいう
大切なのは彼の心の在り様であり
快復であろう

柔らかに降り注ぐ雨は静かに地下へと水を湛え
やがて彼の人の水脈にも連なっていく
彼に必要なのはその為の時間だけである

それが自然というものだろう

1984年西ドイツ映画(2004-08-13)
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by onomichi1969 | 2006-10-14 15:43 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 世界の中心で、愛をさけぶ semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 14日

a0035172_153574.jpg主人公と同じ年の僕は、学生の頃、世界の中心で愛がないことを叫んでいた。
もちろん世界の中心は僕で、それは僕に向かって叫ばれていた。当時、100%の恋愛小説というキャッチフレーズで刊行された村上春樹の「ノルウェイの森」が流行っており、この物語に心奪われた僕は、彼の作品を旧作に遡って何度も読み返したものだ。恋愛小説というのは愛に溢れたお話ではなく、恋という自己の病に囚われるお話で、僕はそのやりきれなさと不確かさを現実に持ち込んでは、廻りの人達を傷つけていたように思う。未来すらも既に終わってしまった物語のように強烈なメランコリーに只々取付かれていた。何もかも納得できなかったし、納得したくなかっただけなのに。

先日、話題の小説「世界の中心~」を読み、そして映画を観た。何故、今、この物語がこんなにも流行るのか、それはよく分かるような気がする。「君と世界の戦いでは世界を支援せよ」これはカフカの言葉であるが、加藤典洋がこの言葉を自著の表題とした80年代中頃、僕らは、毒虫<自己の喪失>の姿に犯され始めていたとはいえ、まだ内面の名残をもつ「君」<自己>としてキリキリと存在していた。だから加藤典洋は、カフカの言葉を引きながら、失われつつある「君」の存在、その敗北をもう誰も止められない時代に来たことを敢えて宣言しえたのである。

今や世界は「君」や「僕」を呑み込んで、僕らは相対化した世界の差異の中にしか自身の存在感を得ることができない。世界の中心なんてないし、それは僕の中心でもない。そんな自明性すら既に失われて、ある種のノスタルジーに覆われた甘美な物語に、漠然とした世界で確かなものとしてあるべき「愛」を叫びたくなるのである。そういう時代を敢えて否定はしない。けど、物語は作り物であっても、本来それは自分の物語を喚起させるべきものだ。特に映画版は僕にとってまるで遠い国の神話のように自身との接点を確認することができなかった。そこから自分の物語にどうつながるんだ~? と叫びたくなる気持ちを僕は捨てがたい。2004年日本映画(2004-06-26)
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by onomichi1969 | 2006-10-14 15:06 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Bob Dylan "Nashville Skyline"(1968) semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 08日

a0035172_23203529.jpg僕が洋楽を聴き始めた1984年頃、ボブ・ディランをはじめとした60年代や70年代に活躍したビッグアーティスト達は揃いも揃って低迷期に入っていた(か、バンドの多くは解散していた)。音楽ムーブメントとしては、ニューウェイブからの流れで新しいバンドがMTV等を利用して続々と出てきた頃である。音楽はビジュアルと一体化し、プロモーションビデオはチャートアップの必需品となってMTVがそれを大量に垂れ流していた。売れ線のメロディやリズムがオーバーダブされ、その変容が次々に産み出され、猫の目のように変わるヒットチャートが人々の関心を集めた。映画とのタイアップも盛んで、時流に乗ることがこの時代特有の軽チャーであり、成功への近道となった。80年代中期のポップミュージックシーンは、古いアーティストにとって一種の狂想曲のようにみえたことだろう。この頃、ボブ・ディランも80年代的なアルバムを何枚か発表しているが、大きな成功を収めていない。倍賞美津子が出演したPVが日本で少し話題となった『タイトコネクション』も80年代的な味わいのある曲であったが、大きなシングル・ヒットには至っていない。その後、彼の集大成的な5枚組ベストアルバムが発売されるに至り、ボブ・ディランも第一線のミュージシャンとしては終わったかとも囁かれた。

そんな80年代の最大のロック・イベントと言えば、やはりライブエイドということになろうか。それはイギリスで始まったバンド・エイドがUSA for Africaへと連なり、音楽が世界を救済するという幻想がひとつのピークを迎えた大イベントであった。当時、ウッドストックから15年以上経過し、ロック・イベントは完全に商業化され、大衆化していた。80年代に入り、ロックはミニマルなコマーシャルとしてすっかり定着した感があったが、それはある種の反発として大きな物語への幻想を復活させたのである。その短い高揚の終焉として、ロックは結局のところロックそのものに回帰し、時代は個闘の90年代を迎える。そして、ミュージシャンはアーティストと呼ばれるようになるのだ。
(ウッドストックとは違い)全世界に生中継されたライブエイドのアメリカ編の最後、そして全体の大トリで登場したのがボブ・ディランであった。太刀持ちにキースとロニーを従えたアコースティック・ギターによるシンプルな3重奏。いつもながらに投げやりな感じに響く『風に吹かれて』のうた。僕の記憶では、その圧倒的な地味さ、その違和感がとても印象に残るステージだった。
ライブエイドという大きな物語、そして大きなコマーシャル。今にして思えば、彼はその巨大な流れを押し止める堰そのものだったのだ。感動のフィナーレを予感する大観衆の中に何の装飾もないボブ・ディランという立ち姿のみ。それは彼の音楽に対する信そのものであり、ライブエイドに対する彼なりの答えだったのだろう。

その当時、僕はボブ・ディランをアルバムとして聴いたことがなく、ライブエイド以降に『追憶のハイウェイ61』や『ブロンド・オン・ブロンド』、『血の轍』、『欲望』などを聴いた。しかし、当時、高校生の僕に彼の魅力が十分に理解できたとは言いがたい。ライク・ア・ローリング・ストーンのようなカラフルな曲には惹かれたが、彼独特の地味なバラードや言葉の奔流には正直言ってあまりピンとくるものはなかったのである。

僕が彼の魅力を僅かながらにも理解できるようになったのはつい最近になってからだ。それもアルバムとしてはごく少数のものしか聴いてないので、それもまだ魅力の一端にすぎない。そして僕が彼の魅力を再認識したアルバム、そのきっかけになった作品こそが”Nashville Skyline”(1968)になる。

彼のアルバムとしては最もカントリー色が強いと言われ、また彼の声が何故かとてもツルツルで「らしくない」ということが賛否両論となっていることでも有名なアルバムである。冒頭のジョニー・キャッシュとの競演を含め、カントリーフレーバーに溢れたとても聴き易い曲群が並ぶ。このアルバムは言わばボブ・ディラン入門編といったところだろうか。彼のアルバムの最高峰はやはり”Blonde on Blonde”(1966)になろうかと思うが、膝を崩して聴くのであれば、”Nashville Skyline”(1968)や”The Basement Tapes”(1967)<『地下室』>辺りがいいのではないかと思うのである。

80年代の時流に乗り遅れたボブ・ディランはライブエイドのステージで立ち帰った自らスタイルによって、個闘の90年代に復活することになる。その原点はやはり60年代中期、そしてNashville Skyline”(1968)から70年代前半あたりだろうか。
揺るがない彼のスタイルがあってこそ、ボブ・ディランはボブ・ディラン足りえて、今でも第一線で活躍できるのであろう。そして、その原点として、彼の歌、彼の60年代、70年代の傑作群が今でも燦然と輝いているのである。
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by onomichi1969 | 2006-10-08 23:45 | 60年代ロック | Trackback | Comments(6)

semスキン用のアイコン01 夜のピクニック semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 08日

a0035172_12195162.jpg現代のロード・ムーヴィー。80kmをただひたすらに歩くという年に1度の歩行祭を彼女たちが特別なことと思い、そこに現代では既に埋没してしまった「青春」を掘り起こして、その古の情熱を感じたいと願う、その心情自体が実に現代的なのだと思った。しかし、この映画は当然のことながら従来の熱い青春映画とは対極の位置にある。確かに主人公の女の子と男の子の境遇は特別で、一歩間違うと湿っぽい叙情劇となりうるのだが、それがギリギリのところで乾いた共有感覚によって持ちこたえられ、実に爽やかな青春のワンシーンに差し替えられる。その過程のある種中途半端な心理劇の中に、この作品のその中途半端故の乾ききった「ニュアンス感覚」の現代性がある。また、青春という定型ファンタジーがリアルへとあまりにも容易に転換するそのマンガ的なリアルさがとてもリアルなのだ。

ロード・ムーヴィーとは何かを探す旅を写す。そこには常に不可能性の可能性とも言うべき不条理な行き方が見え隠れするのがこれまでの常だった。そういう意味で、この映画は正にロード・ムーヴィーたる資格を持ちながら、それを見事にはたき込み、うっちゃってしまう。彼らの答えは実に安直で、恐ろしいほどのハッピーエンディングに結びついてしまうのだ。それが現代の浅薄さ、画一性を象徴しているところは、おそらく映画的に言って確信的と思われる潔さで、それが僕にはとても面白いと思えた。結局のところ、それをニュアンス的に共有してしまう、その面白さが僕らの中にもあって、それがこの作品の評価を支えるのだろう。そして同時にこれはもう後戻りができないのだろうという諦念をも感じた。

ちなみに小説も読んだが、小説の方は説明過多という感じで、僕には映画の方がしっくりきたかな。

あと、全然関係ないけど、主人公のTシャツがチェで、あと青と赤のモッズのトレードマークTシャツのやつもいたなぁ。2006年日本映画
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by onomichi1969 | 2006-10-08 12:31 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 地獄の黙示録 "Apocalypse Now" semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 04日

a0035172_23281238.jpgこれまで繰り返し語られてきたことだが、この映画は、悪夢の如き戦争を描いたのではなく、戦争に纏わる悪夢そのものを描いているのである。

まず、冒頭。密林を一瞬に炎と化すナパーム弾、「ワルキューレの騎行」の旋律とともに隊列を組むヘリコプターの一群。破壊の象徴としての圧倒的な重量感と硬質性、その神々しさ。戦争という生の破壊的状況において、それは荒ぶる女神の如き美しいものとなる。
中盤。ボートを駆って河の上流を目指す一隊に訪れるベトナム戦争という義なき闘争への疑念。剥ぎ取られていく人間性。河の上流は、明らかに人を正義から狂気へと導く思念的道筋である。
終盤。此の世の境界というべきド・ラン橋を超えた辺りより、映画には常に不穏な音楽が流れ続ける。ボートは遂に彼岸とも言うべきカーツ王国に辿りつく。カーツを神と崇める天国。それはカーツの思念的理想を生み出した地獄でもある。ウィラードによるカーツ殺しは、文化人類学的に言う「王殺し」であろうか。これもカーツの思念的達成である。<特別編では、カーツを殺したウィラードは、鬼が島から帰還する桃太郎の如く、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の主人公の如く、現世に戻る。> 

ここまでストーリーを俯瞰してきたが、改めてこの物語の骨子を言えば、それは「狂気の先にあるもの、その一線を越えることへの抑えがたい欲望と恐怖」である。そしてその答えは、Nothingなのである。この物語はそういう悪夢なのだ。そう、これはコッポラの悪夢。彼が芸術的信念に基づいて辿った悪夢の先、現代の黙示録として名づけた物語の終末はNowhereであり、Nothingなのである。彼がただ善悪を超えた美しさ、心象の完全性のその先に描いた光景、それは物語として如何に脆く儚いものであったろうか。Nothing。その恐怖。そんなものは物語として、映像として描ききれるものではないのだ。その到達と挫折が混沌としたラストシーン。彼の作品に対する自身の評価は、どうだったのだろうか。それは、彼が80年代以降に辿った道筋によって示されている。しかし、映画界でこの領域にまで足を踏み入れた作品は数少ない。そして僕にとっても忘れがたい悪夢としてこの映画は脳裏に刻まれることになった。大傑作。<全くもって個人的に。。> 1979年アメリカ映画(2004-03-28)
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by onomichi1969 | 2006-10-04 23:31 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 運動会! semスキン用のアイコン02

  

2006年 10月 01日



組別対抗リレーでのアンカー勝負!
我がジュニアと女の子の争い。小学校4年生というと、女の子の方が足が速かったりするんだよね。成長もはやいし。

でも、なんとか優勝できました。。。
よかった、よかった。

いつの間にこんなに足が速くなったのか、、、
ちょっと前まではクラスの中でもちっちゃくて、か弱くて、鈍臭くて、競い事が苦手で、かけっこではいつも3番か4番だったのにね。
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by onomichi1969 | 2006-10-01 20:56 | おまけ | Trackback | Comments(0)

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