Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 子猫殺し semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 28日

環境省動物愛護管理室によると、日本では1年間に24万匹の猫が処分されており、その大部分が飼い主や地域住民からの通報或いは依頼なのだという。もちろんその多くは子猫である。

巷では『山妣』や『死国』の作者坂東眞砂子の「子猫殺し」のエッセーが物議をかもし出している。僕もようやくその記事の全文を読み、AERAに掲載された彼女の最新文章も読んだ。ついでにYouTubeでワイドショーでのひどい扱いやコメンテーターの短絡的なコメントも鑑賞し、ネットでのバッシングの状況も垣間見た。

坂東眞砂子はかなり確信犯的に「子猫殺し」をエッセーで取り上げたと推測するが、この問題がここまで大きくなり、彼女に対する悪意に満ちた誹謗中傷がネット上に氾濫し、尚且つ彼女への賛同が全くといっていいほど現れない現状には、彼女自身も「生」と「殺し」の問題提起を日本人がどう受け止められるかの目測を誤ったと言っていいかもしれない。「死穢」の問題は日本人にとっての恥部であり、ヒステリックになるのも分かるし、落ち着いて思考できるような問題ではないのである。

しかし、以前にも書いたが、僕は世の中とは逆を向く人間なので、彼女の意見には十分に説得されたし、内容についても自分なりに考えさせられた。そして世間がなぜこの問題に嫌悪感を抱き、即座に短絡的に捉えてしまうのか?
世の中の人たちには十分に伝わったようには思えないが、彼女の真意はおそらく下記の文章(「AERA」No.40より)にあるのだと思う。

「都市は殺しを隠蔽する。そんな言葉が頭に浮かんでいます。都市生活は多くの殺しの上に成り立っているのに、人々は、それから目を逸らし、自分の手はきれいだといわんばかりの顔をして暮らしています。自然の中にいれば、それは幻想であるとわかります。幻想の中で泣き笑い、怒っている。それは、ほんとうに「生きている」といえるのでしょうか」

タヒチという自然の中で生きる責任を一身に背負う。坂東眞砂子がその中で掴んだ生の重みを僕ら都会に住む「きれいな手と錯覚した」人々が非難できるだろうか? 僕らは多く殺すことによって生きている。これは事実である。喰うために殺し、都市を造るために殺す。ただ自分の手を汚さないだけなのだ。昔、「死穢」は目に見える形で僕らの生活の中に存在していた。今、それは完全に隠蔽されている。巧妙に隠されている。それも事実である。彼女はそれをあからさまに暴いてみせた。ただそれだけなのかもしれない。

これは僕の憶測だが、坂東眞砂子はこの「子猫殺し」のエッセーを近代以前の「嬰児殺し」になぞらえているのではないだろうか。嬰児殺しとは、出生後まもない幼児を殺す慣習で、社会的・宗教的な要因、食糧難等の理由により、日本でも江戸から明治時代にかけて、全国の村落で一般的に行われていた風習である。明治政府はこの嬰児殺しの風習を根絶するために「母性」という神話、幻想を流布したといわれている。

「母性」とか「ヒューマニズム」とか、そういった薄っぺらい幻想を剥ぎ取った地平に現れる「自然」というターム。その生の確かな手ごたえ、生と死が渾然一体となったダイナミズムは彼女を確実に捉えたのだろう。それはまさに『山妣』の世界である。ちなみに人間にとっての「自然」とは野生とか本能とかいったものともまた違う。何故なら人間はその出自より本能が壊れているからである。(と言ったのは岸田秀であるが。。)

現代の都会に生きる僕らにとって、その圧倒感は事実としてとうてい受け入れがたいものであり、それは同時に嫌悪の対象である。彼女の論理を100%受け入れるのは正直難しい。それに対し、子猫は可愛い→だから殺すのはよくない、という論理は多くの人々が普通に抱くものであるが、その論拠は実は幻想にすぎない。しかし、その幻想を大事だと考えている人たちがいて、彼らはその幻想によって事実を隠す。坂東眞砂子の「子猫殺し」は自治体が行う24万匹の「子猫殺し」にストレートに結びつくはずなのに、テレビは誰もそのことを問わない。坂東眞砂子の論理が漂わせる嫌悪感だけが彼女を悪者にせざるを得ないのである。とても悲しいことだけど。。。

タヒチの法律で裁く?? 実にくだらない話である。こういうこと言う人は「法律で禁じているから人を殺してはいけないのだ」と本気で考えている人なのだろう。
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by onomichi1969 | 2006-08-28 22:32 | 時事 | Trackback(1) | Comments(6)

semスキン用のアイコン01 100%の女の子 semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 27日

村上春樹の短編に100%の恋愛の話がある。それはこんな話である。

「お互いを自分にとっての100%だと思っている男の子と女の子がいました。100%の恋人同志でいることはとても素晴らしいことでした。あるとき2人は本当に100%同士かどうか確かめるために一度別れてみることにしました。ところが運命のいたずらか、別れたとたんに2人とも重い病気に罹り、治ったときには昔の記憶をすっかりなくしていました。それから2人はなんとか努力して社会復帰をはたしましたが、お互いのことはすっかりと忘れてしまいました。それぞれに新しい生活を始め、60%や70%の恋愛、また80%や85%の恋愛も経験しました。そして月日は驚くべきはやさで流れていきました。
ある晴れた朝、男の子はある用事で街へ出かけます。女の子もまた違う用事で同じ街に出かけます。そして2人は、その同じ街のある通りの真中で遭遇したのです。2人はすれ違い、一瞬見つめ合います。そのとき、失われた記憶の微かな光が2人の心を一瞬照らしました。
「彼女はもしや・・・」
「彼こそはもしかしたら・・・」
しかし、彼らの記憶の光はあまりにも弱く、2人は言葉もなくすれ違い、そのまま人ごみの中に消えてしまいました。
悲しい話だと思いませんか?」

正直に言うと僕は学生の頃、この話を女の子への口説き文句に使っていた。初めて会った女の子にこの話をするのである。
「100%ってすごいよね。でも、昔、両性具有だった人間がゼウスに引き裂かれて以来、僕らは失われた片割れを求め続けているんだよね、、、」なんて話を付け足して。なんと赤面チックなことを言うものだと思うかもしれないけど、でも、僕はこの村上春樹の超短編小説に心底、100%共感したのだ。それは事実である。それからプラトニック・ラブについてもそれをその不可能性のベクトルによって信じていた。だから僕はこの話を自分の独善的な恋愛観として聞かせたかっただけで、それを女の子に示すことが一種のポーズだったのだ。もちろん相手の女の子がどう言ったのかなんて覚えていないし、興味はなかった。

この100%の恋愛の話を悲しいと思う僕自身が悲しい存在なのです。

そのことを言いたかっただけなのだ。当然のことながら、そんな人間はいつかしっぺ返しをくらうしかない。

a0035172_23395137.jpgこの小説は山川直人によって映画化されている。
このDVDは発売と同時に買った。当時DVDプレーヤーを持っていなかったにも関わらずw

僕は(僕らは)今でもこの物語を悲しいと思うだろうか?



恋愛というのは相手を甘く見ることである、、、というのは最近読んだ小説(これについてはまたレビューしますけど、女の子は恐るべしということを痛切に教えてくれる小説です)の一説だけど、そもそも、そういった悲しい出発点にいちいち納得してしまうことからして、僕はあまり進歩がないのかもしれない。
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by onomichi1969 | 2006-08-27 23:48 | 日本の映画 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 一番星 semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 20日

今の時期、一番星は、何か知ってますか?

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そう、木星です。

南西の空、地平線近くに燦然と輝く-2等級の星。
それが木星です。

夏の夜空

頭上には夏の大三角形

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こと座のベガ、わし座のアルタイル、そして白鳥座のデネブです。

ちょうど頭の真上で一番光っているのはベガ。いわゆる織姫星。
天の川を挟んでアルタイル。いわゆる彦星。

白鳥座(北十字星)は綺麗な十字型をして天の川を泳いでいる。

夏の星座って、あまり馴染みがなかったのだけど、
なかなか面白い。

いて座の南斗六星はちゃんとひしゃく型だ。

望遠鏡で観ると
へびつかい座の球状星雲の様子や
白鳥座のくちばしにあたるアルビレオが白と黄色の2重星であることが分かる。

2重星はお互いの周りをぐるぐると回り合う。

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「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です」
 窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟(むね)ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向こうへまわって行って、青い小さいのこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向こうへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡(ねむ)っているように、しずかによこたわっていたのです。

- 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より


久々に地元の展望台の星空観望会に出てみた。

楽しかったナ
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by onomichi1969 | 2006-08-20 00:31 | おまけ | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 音楽バトン semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 19日

ナイアガラさんから投げられたバトンです。
おっとっとと、、、しっかりと受け取ってしまいましたw

ということで、この音楽バトン、1年ほど前のMusical Batonと似た感じなのですが、項目が少し違います。前は「コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量」とか「今聴いている曲」なんてのがあったりして、アメリカ的な即物性、普遍性を感じたりもしましたが、今回はもうちょっと緻密というか、今と昔を想起させるような(ちょっとあいまいで限定的な)質問もあり、わりと日本的な情緒性を感じさせますw しかし、いきなり初めて買ったCD!などという質問があったりして、、、レコードでなく、MP3でなく、CDにこだわるのは作成者の「年代」を思い起こさせますね。なんとなく。

まぁ、そんなことはどうでもいいとして、とりあえずバトンを持って散歩してみます。

Q01.初めて好きになったアーティストは?
やっぱりピンク・レディーでしょうか。下敷きが欲しくてシャワランのシャンプーを買ってもらったりしました。当然のことながらザ・ベストテンも毎週欠かさず観ましたね。
それから、オフコース、チューリップ。中学生になって佐野元春。ベストヒットUSAにはまってから洋楽全般。といったところでしょうか。
アーティストという括りになっていますが、昔はアーティストなんていう言葉もなかったので、ピンク・レディーがアーティストなのかどうかはよく分かりませんが、その辺りの区分けは今ではあまり意味がないことだと思いますので。

Q02.初めて買ったCDは?
CD!と言われても。。。
これをレコードと読み替えるなら、シングルのドーナツ盤でやはりピンク・レディーのUFOだったと思います。あとジュリーも揃えましたね。
アルバムならばずっと下って、佐野元春の『VISITORS』です。
CDの場合は、、、覚えてないナ。たぶん時代的には大学に入ってからなので、バンドブームの時期の何かだと思います。泉谷しげるwithルーザーの『90'sバラッド』かボガンボスの1stあたりでしょう。たぶん。

Q03.今持っているCDの枚数は?
600枚ほど。自分ではすごく多いと思っていましたけど、ナイアガラさんとかもりたんさんの3000枚って!? ただただ感服します。(確かにそのくらい持っていないとあんなマイナー作品のレビューなんてできないよなぁ、、、って、すいません!)
  
Q04.今一番好きなアーティストは?
これは「今の時代」という意味ならば、特にいません。
時代を問わず、今僕がはまっているアーティストという意味ならば、やはりブライアン・ウィルソンでしょうか。sweet insanity 1作でもうすでにご飯100杯くらい食べていますが、まだお腹いっぱいになりませんw

Q05.一番最近買ったCDは?
一番最近では、The Pretendersの”Learning To Crawl”とThe Carsの”Heartbeat City”です。これらは昔カセットで持っていたのでCDでの大人買いってやつでしょうか。

Q06.解散して残念だなぁって思うアーティストは?
作品の少ないバンド。。。エア・プレイとかブラインド・フェイスとかBBAとかN.Y.ドールズとかバンド・オブ・ジプシーズとか、、、不慮のケースとして、ジャニスとフル・ティルト・ブーギー・バンドも挙げたいところです。

Q07.音楽聴くときに使っているものは?
携帯プレーヤーではZENを使っています。
あと家では殆どパソコンをスピーカーに繋いでのwma音源から。CDを買っても1回リッピングしてもう終わりw

Q08.好きな名前のシングル・アルバムは?
名前ですか。。。
The Piper At The Gates Of Dawnとか、Atom Heart Motherとか、
Aladdin Saneとか、The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Marsとか、
Everybody Knows This is Nowhereとか、Running on Emptyとか、It's Only Rock'n Rollとか、Are You Experiencedとか、Hotel Californiaとか
そして、Darkness on the Edge of Townとか、The Wild, the Innocent & the E Street Shuffleとか

Q09.あなたの一押しアーティストは?
一押しというからにはお薦めのNew Artistsなのでしょうが、残念ながらそういう人は特にいません。
最近の音楽は分かりませんので。全く。
ということで、最近よく聴くアーティストという意味で挙げるとすれば、やはりブライアン・ウィルソンかな。
そうそう、彼の娘たちWilson Phillipsは新しくないけど再結成した感じなので、今のところ僕にとってのお薦めのNew Artistsかもしれないナ

Q10.バトンを回す「音楽好き」な人。
前回のMusical Batonのこともありますので、このバトンは「好きな人が適当に持っていって!」ということにして、ここにおいておくことにします。
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by onomichi1969 | 2006-08-19 10:27 | Musical Baton | Trackback(2) | Comments(8)

semスキン用のアイコン01 Kraftwerk "The Man-Machine"(1978) semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 11日

a0035172_2113812.jpgジャーマン・プログレッシブ・ロックの雄、クラフトワークの7枚目のアルバムにして最高傑作と呼ばれるのが"The Man-Machine"(1978)である。
僕はコレと前作"Trans-Europe Express"(1977)しか持っていないので実際のところはよく分からないけど、大体、名盤特集で挙がるのが先の2枚なので、このバンドについてはまずこの2作を押さえておくのが手始めというところだろう。(僕の場合はこの2作で完結という感じなのだが。。)
このアルバムを始めて聴いたのは高校生の頃で、中古レコード屋で見かけた奇妙なジャケットとジャーマン・プログレッシブという響き、クラフトワークというバンド名の堅実さに惹かれてLPを購入した。正直言って、80年代ポップにどっぷりはまっていた少年にとって01 The Robotsはなんとも驚きのサウンドだった。時代はユーロビートやヒップホップの出現を迎えつつあり、ビートやリズム音楽が見直されていた80年も後半のこと。その中で70年代当時の最新テクノ・ピコピコ・サウンドのなんと牧歌的だったことか。ちなみにテクノサウンドとは日本での造語であり、彼らの称号はやはりジャーマン・プログレッシブというのが正しい。彼らがYMOのオリジンであることから、テクノサウンドの元祖と呼ばれるようになったのであるが。

そして、今、改めて彼らの音楽を聴いてみると、それがまた新鮮であることに驚く。プログレッシブというよりも、細野晴臣のアンビエントに近い感じで、その系統で考えれば彼らの音楽を自分の中でうまく捉えられるような気がする。もちろんYMOにもしっかりと通じるのであるが。(と言いつつ、実は僕はYMOの音楽をあまり知らない。むかーし、スネークマンショーで聴いたくらいかな。)
もし、90年代に聴いていたら、同じアンビエントと言えどもそのピコピコサウンド自体が聴くに耐えなかったかもしれないが、今なら逆に十分聴ける。音(音楽)にもなんというか時代のめぐり合わせというものがあると思う。80年代初頭に氾濫した幾多のピコピコの中でも彼らのアーティステックなポップ性は確実に残っていくべきものなのだ。
ロボットやコンピューターのイメージもここ30年でかなり変わったが、彼らの音楽は当時の位置から、その本質的なところを時代を超えて伝えてくれるような気がする。それがとても新鮮なのかもしれない。

02 Spacelabや03 Metropolis、05 Neon Lights も素晴らしい。04 The Modelなどは後のバグルスを彷彿とさせ、80年代ポップの先駆け的な曲でもある。
やはりドイツである。メトロポリスである。ギルドである。そして、クラフトワークはその道のマイスターなのだ。 
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by onomichi1969 | 2006-08-11 02:16 | 70年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 亀田興毅について semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 06日

世間では、亀田興毅が大バッシングを受けているようである。こういう時は大概、心情として僕はバッシングを受けている方の味方になる。大体、僕はメディアとかコメンテーターとかいう人たちが嫌いなので、そういうものには踊らされたくないし、すぐに反発したくなる。(ひねくれものなのだ。。。)

とはいえ、忙しくて実際の試合をリアルタイムで観戦できず、ワイドショーで1ラウンドのダウンシーンと11ラウンド、12ラウンドの模様をダイジェストでしか観ていなかったので、ことの真偽というか、この騒ぎが一体何なのかは自分でもよく分からなかった。

ただ言えるのは、亀田興毅が強いのか弱いのか、といったらやはり「強い」のだということ。その素質からすれば、歴代の日本の世界チャンピオンに比べても強い方のレベルにあると僕は思う。それは彼の試合を観ればよく分かる。(パンチの打ち方とか身のこなしとかコンビネーションのスムーズさとか、試合での立ち振る舞いをみれば彼が強いのか弱いのかはすぐ分かる。ちなみに大きい弟の方はそうでもない。) さらに彼の年齢を考えればまだまだ伸びシロが大きい。彼が軽量級でゴールデン・ボーイやドリーム・エクスプレス(レナード)のようなスーパースターになれるかどうかは分からないし、現段階では技術的にまだまだ足りないとは思う。元々がカウンター狙いのボクシングなので判定に弱いし、打たれ強さに関しても未知だとは思っていたのだ。

さて、本日、ようやくランダエタとの世界戦の模様をフルで観ることができた。
その印象としては、、、
こういった接戦の場合、どちらが勝ったかを判定するのは究極的に難しい、ということ。
試合としては、これは単純に「引き分け」だと感じた。(勝負を別にして)

一見すると、ランダエタの方が手数が多く、試合をコントロールしていたように思えるが、その殆どがグローブの上へのパンチで有効打は少ない。有効打は圧倒的に亀田が放っていた。今の採点方式が有効打だけでなく、手数やアグレッシブさを含めた総合的な印象をも点数に入れるような主観的なものであり、且つマストシステムを採用している限りにおいて、判定は恣意的なものになりやすい。これが日本で行われた試合であることを考えれば、ホームタウンディシジョンという暗黙の論理により、亀田が勝利するということもあながち的外れではないと感じた。

亀田興毅をバッシングしている人たちはちゃんと彼らの試合をじっくりと観たのだろうか?ちゃんと採点ルールを理解しているのだろうか? この試合が僅差の判定であることは疑いのない事実だと思うのだが。
確かに「圧倒的KOによる新世界チャンピオン誕生」という予想から「僅差の判定」という現実に大きなギャップがあったとは思う。しかし、リアルタイムで観ていない僕はこのギャップを経験しなかった。だからかもしれないけど、僕はこの2人の試合を観て、単純に実力拮抗したいい試合だとすら感じたし、実力者同士(世界ランク1位と2位だから当然)の試合というのは往々にして退屈な展開になりやすいけど、その退屈さの中にも見るべきディテールというものはあった。細かく観ればなかなかに楽しめる試合だったと思う。
だからこそ、多くの人がこの試合の中身をちゃんと論じないことこそ正直不当のような気がしてならない。結局のところ、TBSとその宣伝に踊らされた人達だけが騒いでいるのではないか?


大体において、最近多く見られるような一億総バッシング的風潮はとても気持ちが悪いし、テレビ局に6万件も苦情が殺到するなんて異常ですよ。98%の人が判定をおかしいと思っている。。。それもすごい!そっちの方(そういう空気の方)がよほどおかしい思う。

亀田興毅の生意気な言動をどうとかこうとか本気で怒っている人がいるけど、あれもちょっと恥ずかしいと思う。そういう人たちがプロレスとか観たら卒倒するのかな? 亀田のお父さんは明らかにプロレスを参考にしてあのパフォーマンスをしている。(とどっかの新聞で読んだ) あれは演出ですよ。そして、プロボクシングは興行であって、アマチュアではないのです。観客があっての興行であって、そこには客寄せパンダが必要だし、幾多のしがらみにより、必ず大人の論理が入る。それがプロフェッショナル。プロボクシングの興行をサッカーW杯のような半アマチュア的な大会と同列にして言い立てるのもおかしい。お祭り結構、感動結構。

しかし、TBSは個人的にあまり好きではない。HEROSは最悪だったし。(こっちのsakuの試合の方がよっぽど問題だよ) これまでの大晦日興行もテレビの作り方が安っぽいし、嘘っぽい。昔あったあの「ギブアップまで待てない!!ワールドプロレスリング」的なくだらなさ。プロレスっていうのは演出を超えた演出をどう演出するのかが肝であって、くだらない宣伝や企画なんていらないし、予定調和なんて最悪だ。

まぁ、とにかく、いまは亀田をつぶすべきでは絶対にない。彼は本当は無口な好青年で、TVで観る姿は全部キャラクターなんだから。(彼がプロテストを受けた頃のドキュメンタリーでは殆どしゃべらなかったし、親父に怒鳴られてばかりいたよ)
持ち上げるだけ持ち上げといて、叩きつけるように引きずり降ろすなんて、メディアはいつもそういうものだけど、はっきり言ってずるいよ。大衆はまだまだメディアによって煽動される。そのことをメディア自身がもっと肝に銘じる必要がある。(それがいまや一部のネット住人に置き換わっているのかもしれないけど) 少し冷静になる時期なのかもしれないけどね。
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by onomichi1969 | 2006-08-06 14:49 | 時事 | Trackback | Comments(6)

semスキン用のアイコン01 Brian Wilson "Sweet Insanity"(1992) semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 05日

a0035172_22523726.jpgブライアン・ウィルソンの幻の2ndアルバムであり、『スマイル』と違って作品として殆ど完成していたにもかかわらず、レコード会社からの訂正要求をブライアンが拒否した為にお蔵入りとなってしまった伝説のアルバムである。マスターテープが既に消失してしまったとの話もあり、正式なリリースはもはや不可能と言われていたが、この度(と言っても2003年のこと、、、)ブートでありながらほぼ完璧な形として発売され、音質も良好で構成や楽曲の質からしてもほぼ決定盤といえる出来である(と言われている)。
<この分野に関しては僕も疎いので、何をもって決定盤なのかとか、オリジナルと違うリミックスに対する評価はどうなのかとか、このブートがどういうレベルのものなのかなど、はっきり言ってよく分からない>

僕もつい最近までこのアルバムが簡単に入手できるとは全く知らなかった。

さて、作品の印象としては、前作1stの延長線上にあると僕は感じている。前作をどう評価するかによって好みが分かれるところかもしれないが、ブライアンの新しい魅力が前作以上に味わえる内容に僕はとても満足している。
とくに08 spirit of rock'n'roll は素晴らしいの一言である。10 love yaや11 make a wish、01 consert tonight、05 i do も最高にカッコいい。そうか、そういう手があったのか!そういうブライアンもいいじゃないか! 思わず唸ってしまった。これらの曲は基本的に1stのベストチューン(だと僕が勝手に思っている)"Let It Shine"や"Meet Me in My Dreams Tonight"の流れの中に位置する。確かに08 spirit of rock'n'roll が"Let It Shine"と同じジェフ・リンのプロデュースではないかとの噂が流れるのも分かるような気がする。(実際はよく分からないけど、、) 60年代や70年代の印象を引きずるブライアンも悪くないけど、明るいロックンロールをリラックスして奏でるブライアンの歌声、その明るく響くファルセットは彼の新しい魅力として十分に味わうことができるし、とても胸を打つのだ。(その声は若々しく、甘さと張りがあって最高の調子だったことを伺わせる。) もちろん楽曲も素晴らしい。08 spirit of rock'n'roll は彼のソロでのベストチューンとなった。

正直言って、ブライアンがこんなところで彼のキャリアのピークを迎えているとは考えてみたこともなかった。それほどに素晴らしいアルバムである。これは。
但し、、、敢えて言えば、やはり<ラップ・ナンバー>13 smart girlsはいらないかもしれない。。。

このアルバムは確実に"SMiLE"(2004)に繋がっているとも感じる。こんな素晴らしいアルバムがほぼ完成されていながら何故正式にリリースされなかったのか、甚だ不可解であると同時に、これは文化的な意味での犯罪に近い。
もしかしたら"SMiLE"(2004)のときのようなサプライズが今後あるのかもしれないが、名作がリアルタイムで聴けないという事実は一種の不幸であることに変わりはない。

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Brian Wilson "SMiLE"(2004)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2006-08-05 23:06 | 90年代ロック | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 Electric Light Orchestra "Out of the Blue"(1977) その2 semスキン用のアイコン02

  

2006年 08月 05日

a0035172_246405.jpg人生は時に退屈なものである。それを傍から見ればオチのつかないエピソードの連続にしか思えない、と言ったのはアメリカの作家であるが、そんな人生の流れの中にもいくつかの漣(さざなみ)があり、さざめきがある。誰の人生でもだ。それは一見して無駄と思える大いなる時間の積み重ねの中にこそあるのかもしれないし、そこに折り重なったディテールの退屈さの中にこそあるのかもしれない。
僕らが歌を聴くという行為も退屈さに嵌ることに違いないのであるが、そんな退屈さの大いなる響きを感じ取れるのがELOの最高傑作"Out of Blue"(1977)だと言えないだろうか。(ちょっと大げさかナ)
このアルバムに「退屈さ」などという主題を感じる人はまぁほとんどいないとは思う。が、僕はやはりこのアルバムの魅力はその大いなる退屈さであり、それこそがシンフォニーであり、人生である(あった!)と感じるのだ。
それをロックミュージックで表現しえた実に幸福な時代の幸福な作品。それがELOの"Out of Blue"(1977)なのだ。

このアルバムの代表曲である03 Sweet Talkin WomanはELOらしいわくわくするような楽しい曲で、そこに僕らが恋をした時に感じる(その昔感じた)ある種のきらめき、あのキラキラとした瞬きを感じることができないだろうか。恋をした瞬間に変わる世界の空気と色彩、そんな感情がこの曲によって蘇ってくるようだ。そして、02 It's Overでの挫折の悲しみや04 Across The Borderでの新たな旅立ちを経て、09 Steppin Outでは人生の岐路とその後の人生が語られ、11 Big Wheelsや13 Mr. Blue Sky、14 Sweet Is The Nightといった名曲が心に染み入る中、最後に17 Wild West Heroでの壮大な黄昏に行き着く。

これは正に人生というシンフォニーである。

古臭さもその場違いな壮大さも、70年代の大きな物語の終焉という時代を僕らに感じさせる。実はELOこそ時代を映す鏡のようなバンドなのだといえる。80年代に入り、ELOはよりミニマルなバンドスタイルを追求していくが、それはシンプリフィケーションを推し進める80年代という時代の必然的な要請であった。時代は大きなシンフォニー、その広がりから小さなマキシム、その深みへの潜行と表層の戯れに二層化していく。さらに90年代、世の中は個闘の時代となり、ELOはジェフリンそのものになるのである。

ELOはロック&ポップ・ミュージックの立役者として、もっともっと評価されるべきだと僕は思っている。僕はELOが好きだ。なんで僕はELOが好きなのか?それはとても文学的な問いで、それはポップとは何か?ということに結びつく。ELOこそが、ポップを体現するが故に80年代という時代のポップを語るに足るバンドなんだナ。実は。

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Electric Light Orchestra "Out of the Blue"(1977)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2006-08-05 02:59 | 70年代ロック | Trackback | Comments(4)

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