Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 ライブ!! semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 26日

最近、ライブDVDに目覚めて(何故かこれまで全然観る気にならなかったのだ)、いくつかのタイトルを購入した。

Bruce Springsteen & The E Street Band "Hammersmith Odeon, London'75"
⇒痺れまくった~~
Fleetwood Mac "The Dance"
⇒感動した~~
David Bowie "Ziggy Stardust And The Spiders From Mars"
⇒妖しかった~~
Led Zeppelin "Led Zeppelin DVD"
⇒カッコよかった~
The Who "Live at The Isle of Wight Festival 1970"
⇒面白かった~~
The Beach Boys "Live 1964"
⇒清々しかった~~
Queen "We Will Rock You "
⇒熱かった~(熱いぜ~、ホットパンツ!)

まずはライブDVDの定番を揃えましたが、どれも素晴らしい映像でございましたw 

レビューはまた何れ。。
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by onomichi1969 | 2006-02-26 21:54 | お知らせ | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 The Who "Live at Leeds"(1970) semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 26日

a0035172_2129317.jpg巷にビートルズ派とストーンズ派というものがあるとすれば、僕はフー派(ふ~は)ということになるだろうか。
そしてフー派のフーの本領といえば、やっぱりライブである。その圧倒的な演奏力である。
前回、"A Quick One"のレビューでも書いたけど、このバンドの特徴はそのインフレーションする音楽、4人の個性の爆発的なエントロピーとバラエティにある。そしてその本領はライブである。4人の演奏が一体となり、爆発する。これはビートルズやストーンズに比べるべくもない。その迫力はフーのライブ決定版でもある"Live at Leeds"(1970)を聴けば誰もが納得するだろう。

"Sell Out"から"Tommy"へとフーはピートタウンゼントを中心としてロックオペラという独自のプロダクションを完成させるが、その一方、過激なパフォーマンスと高い演奏力で魅せるライブにも定評があり、演奏の面でも彼らは着実に進化していった。モンタレーでのアメリカデビューを経て、ウッドストックやワイト島でのステージで圧倒的な評価を得た彼らの待望のライブアルバムが"Live at Leeds"(1970)になる。

これまでポップなヒットソングとして知られていた"Substitute""Happy Jack""I'm a Boy"がハードなライブチューンとして生まれ変わる。ロックオペラ風楽曲として知られる"A Quick One, While He's Away"や"Amazing Journey ~ Sparks"も圧倒的演奏力によって大胆かつ繊細に再現される。極めつけは"My Generation"だろう。ここには全てが詰まっている。"My Generation"という曲が破壊され、生まれ変わった先に現われた地平。とにかく素晴らしいライブチューンだ。
もうあえて言うこともないが、このバンドの核はリズム隊の2人、キースとジョンを中心とした大音量かつスピード感溢れる演奏にある。ライブともなればすべての楽曲が爆発的にインフレーションするその源泉は間違いなくこの2人であろう。"Tommy"などでのオリジナルの構成力はやはりピートを中心としたものであろうが、ライブともなればこのリズム隊の持っているエネルギーのコアが一気に解き放たれる。そのビッグバンの瞬間がこのライブアルバム"Live at Leeds"(1970)に詰まっているというべきか。

The Whoの魅力として、
①ブリティッシュビート
②ロックオペラ
③ライブ
④革新的ロック且つ完成度の高いプロダクション
という4つを挙げる。
それらが全てThe Whoのメンバーだけで成し遂げられる。
いつしかThe Whoはロックを突き抜け、ユニオンジャックを背負う。そして、イギリスを赦す。

改めて思うけど、The Whoはすごいバンドだ。

やっぱり僕は「ふ~は」だナ。

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The Who "Quadrophenia"(1973)のレビューはこちら!
The Who "A Quick One"(1966)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2006-02-26 21:47 | 70年代ロック | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 The Rolling Stones "Still Life"(1982) semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 25日

a0035172_145234.jpg巷ではストーンズの来日公演の話題でもちきり、、、かどうかはよく知らないけど、僕自身としては彼らの新しいコンサートに特に惹かれるものはない。昨日、今日とたまたまZEPとWhoのライブDVDを観たのだけど、こういったステージを観ちゃうと今更ストーンズのライブに何を期待すればいいのか。。。

思えば16年前、20歳の僕は彼らの初来日公演を観るために上京して東京ドームまで行ったっけ。

大学の友達と九段下の駅で待ち合わせしたのだが、その友達がなかなか現われず、チケットもその友達が持っていたので、待ちきれずにダフ屋からでも買おうかなと思い、とりあえずドームに向かったのだ。
すると、外人スタッフらしき兄ちゃんが「アリーナのチケットを10,000円で売るぞー」って叫んでいたので、こりゃちょうどいいと思い声を掛けると、前から24列目のチケットだった!ラッキー!!もちろん直ぐに1枚購入。友達には悪いけど、予約してあったのはスタジアムの後ろの方の席だったし、まだ金は払ってなかったので、、、まぁ遅刻した君が悪いということで。。。
でも、前の方の席って、なんだか偉そうな人ばっかりで、小汚い格好の学生が間違えて紛れ込んでしまったような感じだった。有名人もたくさんいて、いわゆるVIPクラスの席というか、微妙に硬直したような変な雰囲気だった。ストーンズのステージ自体はそこそこだったけど、音は悪いし、なんとなくノレなかったような気がする。

ストーンズのライブアルバムと言えばこの一枚、"Still Life"(1982)だろうか。

ミックのフットボーラー姿やキースの急激な老け姿など、この頃のストーンズの変りぶりは個人的にあまり好きじゃない。。。けど、このライブ盤は昔よく聴いた。
ストーンズの本領はライブにある、とは全然思わないけど、このライブはわりと纏まっているんじゃないかナ。。。というか、実は僕はストーンズのライブは、90年の東京ドームを生で観たのとこのアルバムしか知らない。だったら、こっちのアルバムの方を取るというだけか。。。

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The Rolling Stones ”It's Only Rock and Roll”(1974)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2006-02-25 19:47 | 80年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 The Who "A Quick One"(1966) semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 24日

a0035172_0462796.jpgモッズアイドルとしてのThe Who、過激なパフォーマーとしてのThe Who、ロックオペラのThe Who、世界最強のライブアクトとしてのThe Who、革新的ロックの探求者としてのThe Who、王道ロックンロールバンド、ユニオンジャックの代表選手としてのThe Who、考えてみればThe Whoというバンドにはいろいろな側面があって、それぞれを象徴するような名作がたくさんあるのだが、ある意味でそのすべての要素が少しづつ詰まったアルバムが"A Quick One"(1966)なのかもしれない。このアルバムを聴くとそういったバラエティを強く感じるし、それがこのバンドの本質でもあるような気がするのだ。大体がメンバー4人がそれぞれにボーカルをとることができるし、曲も書ける。また各自の演奏力は言うに及ばず、その技術、音楽性は常に発散している。4人の力が思いっきりインフレーションする、そういったエントロピーがこのバンドの個性なのだ。
僕が持っているCDにはいくつかのボーナストラックが付いている。普段、このボーナストラックというものを常々余計だと思っているのだが、このアルバムのものはなかなか素晴らしい。"Bucket T"、"Barbara Ann"、"Doctor, Doctor"、"In The City"などなど、これはちょっとした裏ヒットパレードである。最後を飾る"My Generation/Land Of Hope And Glory"もオリジナル以上にインパクトがある。これらボーナストラックがこのアルバムの特色であるバラエティに花を添えている。

もちろん、オリジナルについても言うことなしである。
キース先生の歌う"I Need You"やドラミングが楽しい"Cobwebs And Strange"、ジョンの怪しげな名曲"Boris the Spider" 、そしてピートの"So Sad About Us"に"Heatwave"のカバー、もちろんロジャーもがんばっているが、本来ボーカル専門のロジャーの影の薄さがこのアルバムのバラエティ色をより濃いものにしていると感じる。

その中でも僕が一番好きなのは、タイトル曲でもある"A Quick One, While He's Away"だ。

You are forgiven♪

もりたんさんのとこでも書いたけど、僕にはこの曲のサビで繰り返される「赦し」のフレーズがとても印象に残る。元々はこの曲の主人公である不貞の人妻に対して、神が赦しを与えるのがこのフレーズの意味らしいけど、ピート自身はこのフレーズを彼の祖国イギリスに向けて(というか彼を取り巻く世界に向けて)歌ったとも言う。そして僕自身にとってもそれは何かしら胸を打つリフレインとして響いてくるのだ。

「あなたはもう赦されているんだ」って。。。

僕は赦す。しかしそれは伝わらない。
僕自身が気が付かない。
そしてそれが歌の響きとして、フレーズのリフレインとして僕の胸を打つとき、それは僕に気づかせる。

「僕はもうあなたを赦しているのだ」と。。。

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The Who "Quadrophenia"(1973)のレビューはこちら!
The Who "Live at Leeds"(1970)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2006-02-24 00:48 | 60年代ロック | Trackback(2) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 男たちの大和 YAMATO semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 12日

a0035172_2301083.jpg









乗組員3,333人の内、生存者はたったの300余名。それが史実「戦艦大和の最期」における最も明白な事実であろう。
戦闘とは、技術によって敵を殺戮する行為である。第一次世界大戦以来、戦闘が大量殺戮を競うようになると、兵器には高度なオペレーションが必要となり、各戦闘員がプロダクションとも言うべき兵器オペレーションのそれぞれの断片を担うようになる。作家山本七平が戦闘というものを「何が起こったのかなんて全く分からないまま、気がつくと周りが死体だらけだった」という現実として捉えていたように、各戦闘員はそれぞれの持ち場での役割をこなすのに精一杯で、各人が戦闘そのものを総体として捉えるのは無理な話だと言われる。大和の戦闘員の多くがその断片を抱えたまま死んでしまった現在、そのジグソーパズルを完成するのは不可能であり、大和での戦闘の実体というのは結局のところよく分かっていないというのが実際のところなのだろう。大体、大和の沈没場所自体、判明したのは戦後20年以上も経ってからだ。大和での戦闘に限らず、戦場で生まれたであろう多くの物語は、死者と共に失われてしまったと考えるべきなのだ。僕らは様々な資料、もちろん生存者たちのインタビューを基にしたドキュメント小説とでもいうべき辺見じゅんの『男たちの大和』や吉田満の本によっていくつかの大和の物語を知ることができるが、やはりそれは断片でしかない。大和がどのようにして撃沈されたか、それはもう永遠に知ることができないのかもしれないし、彼らがどのような思いで闘い、死んでいったのか、それも結局のところ、その僅かな断片を知りえるのみなのである。
ひとりの士官が書いたルポによって大和の最期が全て記録できるとはとても思えないし、ましてや大和とは何か、などというものを総括できるわけがない。大和とは乗組員3,333人に限らず、その他多くの関係者の様々な物語の総体としてあり、その多くはもはや失われてしまったのだ。そして残ったのは神話である。それは吉田満『戦艦大和ノ最期』によって作られたものもあるだろう、また、太平洋戦争を通して日本人が拠り所とせざるを得なかった幻想がいまだに語られ続けているものもあるであろう。しかし、それはあくまで神話である。僕らは戦争というもの考えるとき、そのことを肝に銘じる必要がある。

戦場において、実際の戦闘の占める割合というのはそれほど高くないと言われる。戦場には戦闘以外にも様々物語がある。(これは山本七平もよく指摘することだが。。) 実際のところ、大和の乗組員でも一切の殺戮現場に遭遇していない生還者はいるし、大和における本当の地獄は沈没後の海上において繰り広げられたとも言われ、その他にも日常的に行われた常軌を逸した上官によるしごきや訓練など、戦闘以上に辛い出来事は腐るほどあった。(それは陸軍においてもっと顕著だろうが。) その点、小説『男たちの大和』は多くの生還者からのインタビューによって、戦闘以外についても彼ら大和乗組員たちの史実をよく伝えている。このドキュメンタリー小説にも実際の大和での戦闘シーンは少なく、その多くは4月7日以前の物語とその後日談で占められるのである。
映画についても同様に、大和での戦闘シーンにもはや期待すべきものはないと言えようか。(されば兵器オペレーションの詳細を描くことしかできないだろう。) この映画は戦闘シーンを無理に描写するよりも、兵員、特に年少兵達に焦点を当て、彼らの青春群像として大和の物語を再構築した点がとても清々しく、これは青春映画としても出色の出来であると僕は思う。(そう、この映画は紛れもなく青春映画である) ある意味で、そういった群像にこそ、ほんとうの大和の物語、その断片の輝きがあると思うのだ。

「死ヲ決シテ特攻隊員トナリタルハ何故ナリヤ」
これは大和の乗組員であった八杉氏(当時18歳)が停戦時に立てた問いである。兵員に限らず、多くの下士官、仕官、あるいは上層部の人間さえもが戦中戦後を通してこの問いに囚われたはずだと僕は思う。しかし、多くの者達、いや殆んど全ての者達は、実際に特攻で死んでいった者や生き残った者も含め、その問いの答えを見つけることができずにその生を終えていったのではなかったか? 有名な学徒兵の手記『きけわだつみのこえ』を読めば僕らはそこに戦争に対する多くの煩悶、怒りと哀しみを見出すことができ、今でもその言葉に接すれば胸がふるえ、溢れる涙を禁じえない。もちろん、そういった煩悶は死んでいった学徒兵だけではない。

戦後になって、「大和」の話をしたとき、「あんた、あんなに大勢死んどるのに、なんで死んでこんかった」と村の者に言われた。その人は泉本よりずっと若く、むろん戦争に征っていない。それ以来、「大和」のことは口にすまいと思うようになった。

大和の電探兵泉本氏の戦後の談話は戦争で「死んだ者」と「死に損なった者」(そして「残された者」)という対比を明確にする。生き残った者は死んだ者の代わりにはなれない。しかし、彼らは常に死んだ者に対して何をすべきなのかと思いつめ、或は生き残ったことの後悔に煩悶する。そこにあるのは紙一重の生死、その運命とも言うべき「生」を死に引き換えて受け止めざるを得なかった結果なのである。本来、生きることに罪はないはずなのだ。

吉田満『戦艦大和ノ最期』にも記される臼淵大尉の有名な言葉。これは映画でもひとつのメッセージとして明確な意図をもって語られる。

進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ
敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ
俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ

こういった言説に多くの生還者が自らの生き方を照らし合わせて煩悶したであろうことは想像に難くない。この臼淵大尉の言葉は終戦直後にこそ意味があったが、それは大和と大和の戦死者を確実に神話化した。(三島由紀夫の『英霊の声』はその神話を神話の内側から解体した。それが文学的心情というものだろう。)
今、これらの神話は解体され、大和の乗組員達、或は戦争体験者達のそれぞれの個々の物語へと還元すべきなのだと僕は思う。もちろんそこに答えはない。しかし僕らはそれらの物語を自分自身の水脈へと引き込むことができる。それは僕らが僕らの物語を培う為の土壌を用意するのだ。
日本は太平洋戦争の敗戦を礎にして、大きなパラダイムチェンジの末に新生したが、そこに現われたもの、新しい日本的なものとは一体何だろうか?

「死ヲ決シテ特攻隊員トナリタルハ何故ナリヤ」
吉本隆明は戦後、この問いに対する突き詰めの末に『共同幻想論』を書き、アジア的なるものを提唱した。吉本隆明が自らの戦争体験からの切実なる問いを礎として思想したことに僕らは説得される。ある意味で、「戦争とは?」ということがマクロな視点で語られるときにこそ不穏な断定や様々な懐疑を伴うものだと感じる。僕らもこの問いについて個人的に考えることから始めたらいいのではないか。
僕は戦争の為に死にたくない。国家の為に死にたくない。しかし、家族の為、クニの為、それらのものを守る為になら喜んで死のう。そして、そのことを国家や天皇と同義として納得して死ぬ。それは無駄死にではなく、新生日本の魁として死ぬのだ。。。本当だろうか。
日本に対する信、それが神話として機能していた時代。そうではない現代。僕らはその60年前の出来事に対して、彼らの結論を反芻しそれに対して煩悶するよりも、その問いを現代に現代の心情として引き受けて考えることから始めるしかないのではないか。僕はそう思う。2005年日本映画

みんなのシネマレビュー 『男たちの大和 YAMATO』

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by onomichi1969 | 2006-02-12 21:41 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

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