Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 <   2005年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧 semスキン用のアイコン02

  

semスキン用のアイコン01 Wilson Phillips "California"(2004) semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 31日

>確かに同年代のミュージシャンには、年を重ねるに従いある種の親近感が沸いてきますね。昔はそんなことを考えもしなかったのですが。。。

、、、とoldbluesさんのエントリィにコメントしたのだが、はて、僕と同年代のミュージシャンって誰だろう?と考えてしまった。実は、このコメントをしたときに頭に思い描いていたのはWilson Phillipsのウェンディである。それはちょっとマイナーすぎる? 僕が彼女達のアルバムをThe Wilsonsを含めて持っているのは単にビーチボーイズの延長線上にあるからか、それとも別の親近感だろうか。僕としては、彼女達がデビュー以来(というよりも映画『アメリカン・バンド』でブライアンの娘として出演していた3-4歳の)女の子たちが大人の女性へと変貌していく様にある種の感動を覚えてもいるので、彼女達が同学年で、昔から知っているという思いがなかったらここまでの親近感は抱かなかっただろうと思う。

僕が以前から、飲み話などで同学年の芸能人として名前を挙げるのは中山美穂である。
調べてみれば森高千里や横山めぐみ、渡瀬マキなども同学年。オトコだったら福山雅治もそうだった。そう言われてみれば、これらの人たちのことを僕はそんなに嫌いじゃない。森高千里と渡瀬マキは、僕が大学1年生の時の学祭のゲストで実際に見かけたこともある(渡瀬マキはLindberg以前のまだ名古屋ローカルのTVキャスターで僕も彼女のことをよく知らずにインタビューを受けたっけ)ので、そういった意味での感慨もある。
中山美穂は彼女のデビュー作『毎度お騒がせします』から、「あー、このドラマの出演者は僕らと同じ年なんだな」という意識があったので、同学年の芸能人というとついついこのドラマのことを思い出し、彼女の名前を挙げてしまう。
そんな彼女も先頃結婚してあまり姿を見せなくなってしまった。そういえば森高千里もそうか。来年は37歳になるけど、まだまだ老け込む歳じゃない?(って、彼女達がそういう状況ってわけではないのだろうれど。。。)

同世代というのは同じ年代を同じ年齢で過ごしてきたわけだから、やはり嗜好的な共通点というのはある。言動や考え方についても違和感なく受け入れられる素地があるし、時代的な共有体験というか、なんというか、そういったものから漂う雰囲気や匂いみたいなものが確かにあって、僕らは知らず知らずのうちにそこに親近感を覚える。
また、ある意味で僕らの世代全体がこの年代に至って、人生の最初の折り返し点に差し掛かったということ、そのことに対する感慨が同世代という共有感をもたらす要因という気もする。その後の人生とは、、、


というわけで、もう一回戻って、、
今回は、我が同年代のかしまし娘、Wilson Phillipsの復活作"California"(2004)を挙げてみる。。。
このアルバムはカバー集で、選曲としては70年代初期の西海岸系のフォーク調ロック、シンガーソングライターブーム当たりからの限定で、すべてがハズレなしの名曲ばかりなので、かなりベタな「コンピレーション的アルバム」という気もするけど、アルバムとしてはかなり纏まっているし、彼女達のボーカル、コーラスゼーションを存分に楽しむことができるなかなかの名盤だといえないこともない。
ピーター・アッシャーのプロデュースも結構話題となっているようで、1曲目にはリンダ御大もバックで参加している。どの曲もアレンジが爽やかで彼女達のボーカルも清々しい。
その中でもやはり個人的にはブライアンの娘達が歌うビーチボーイズの名曲"Dance Dance Dance"と"In My Room"が感動的だ。これは選曲だけでも涙ものかも。そこにブライアンのボーカルまで絡んで、、、。
これだけの曲とメンバーを集めればアルバムとして悪いわけがない。プロダクションもいいし、コーラスゼーションも相変わらず素晴らしい。

次は彼女たちのオリジナルに期待しよう。
僕らは基本的に80年代に青春を過ごした世代だけど、今はもう2000年代で、僕らの世代論も既にその00年代、10年代という時代の俎上にある。このアルバムの70年代テイストもいいが、もうひとふんばり、ロックという年代の壁を一歩突き抜けた限界ギリギリのオリジナリティで勝負してみようじゃないか。

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Wilson Phillips "Wilson Phillips"(1990)のレビューはこちら!
Wilson Phillips "Shadows & Light"(1992)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2005-12-31 10:56 | 00年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ナチュラル "The Natural" semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 31日

a0035172_1144502.jpg僕にとって涙なしに観ることができない映画です。

「人生には2つある。学ぶ人生とその後の人生。」
実力がありながら16年間を棒に振ってしまったレッドフォード演じるロイ・ハブスがようやく大リーガーとしての夢に辿りついた時、意に反するその夢の不確かさを語った後に、グレン・クローズ演じるアイリスが呟いた言葉である。

この映画の好きな場面はたくさんあるが、僕はやはり最後のシーンを語りたいと思う。
シーズンプレーオフの最終試合。古傷の再発に耐えながら不調に喘ぐロイ。ベンチのロイにアイリスから手紙が届く。その言葉自体は僕らに伝えられない。しかし、そこにはアイリスの子供がロイとの間にできた子供であることが告げられており、その言葉がロイに力を与えたであろうことを僕らに想像させる。手紙を読み、立ち上がるロイ。スタンドを見上げ、ベンチを歩き回り、そして決意を胸にする。ロイは期待通りに逆転のホームランをスタンドの照明灯に打ち込み、チームをプレーオフ勝利に導く。この試合を最後にロイは引退した(であろう)ことが後に続く息子とのキャッチボールのシーンで僕らに伝えられる。確かにクライマックスシーンは派手であるが、僕はこれらのシーンにさざめく静かな感動を覚えた。それは何故だろう。

この作品はベースボールを題材とした映画であるが、ベースボールゲームそのものを描いてはいない。なぜなら、ロイが最後にバットに想いを込め、ホームランを捧げたのは自分の息子に対してであるからだ。あの場面でバッターボックスに立ったロイは、既に「その後の人生」に足を踏み入れていたのだと思う。ある意味でこのクライマックスシーンの主役はアイリスとその想いを受け取ったロイであり、彼女の想いがあの結末を導いたのである。

最後、親子によるキャッチボールとそれを見つめるアイリス。最後のキャッチボールといえば、名作「フィールド・オブ・ドリームス」が思い浮かぶけど、この映画の最後のキャッチボールは親子の様々な思いを想起させるノスタルジックなそれとは少し違う。何と言っていいか、、、ある確信的な勇気、ささやかながら何か大切であろう心の有り様を僕に思い起こさせるのである。それははっきり言って凡庸たる家族や愛情というタームなのかもしれないが、にもかかわらず、僕は「はっ」と思った時には心が既に溢れ、我知らず涙を流している自分に気付くのだ。。。1984年アメリカ映画(2005-02-14)

みんなのシネマレビュー 『ナチュラル』
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by onomichi1969 | 2005-12-31 07:40 | 海外の映画 | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 ラン・ローラ・ラン "Lola Rennt" semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 16日

a0035172_2131151.jpg『ラン・ローラ・ラン』は、ハイゼンベルグの不確定性原理によって見出され、シュレディンガー方程式により導き出された世界の確率論的存在、多世界解釈論に基づいている。さすがドイツ映画である。
この映画は、スタートからローラという電子を発射させ、観測によって3つの違った結末(位置)を用意する。これはまさしく量子論の基礎となる「2重スリット実験」そのものではないか。。。 
この実験により、電子は粒子であると同時に確率論的に存在する波であり、観測前の電子は確率としてしか存在し得ないということが明らかとなったのである。

観測前のローラの世界には幾多の行き方が確率論的に存在するが、それは観測と同時に収縮する。結局、ローラは最後にどうなるのか? 生きているのか、死んでいるのか。この映画は、3つの収縮の可能性を提示したのみで、どれを選択しているとははっきり言っていない。シュレディンガーの猫は、生きているのか?死んでいるのか? 生きている状態も死んでいる状態も量子論的には同時に在りえて、そしてその状態は確率としてしか存在し得ない。あぁ、つまり、彼女(世界)は生きていながら、同時に死んでいるという、「確率」という存在でしかないのだ。。。あぁぁぁ、それを否定するには、彼女が生きている世界と死んでいる世界が同時に存在しなければならず、それは観測者である僕らが既にパラレル(多世界)に存在しているということになるのだぁ!!

と、別に感嘆するまでもなく、この映画はパラレルワールドをさらりと描いているので、あまり考えすぎずにパンクに楽しむのが正しい鑑賞方法だろう。1998年ドイツ映画(2004-08-29)

みんなのシネマレビュー 『ラン・ローラ・ラン』
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by onomichi1969 | 2005-12-16 21:32 | 海外の映画 | Trackback | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 Night Ranger "7 Wishes"(1985) semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 07日

a0035172_292628.jpgNight Rangerをはじめて観たのは、3rdアルバムから全米No.10ヒットとなった"Sentimental Street"のPVだった。正直、このバンドを一発で気に入ってしまった記憶がある。Night Rangerには2人のスーパーギタリスト、8フィンガーのジェフ・ワトソン、アーミングのブラッド・ギルスが在籍していた為、このバンドがヘビメタ系のギターキッズから崇拝されるメタル系のHRバンドと見られる向きもあったと思う。
確かにこの2人のギターバトル、それぞれの個性がぶつかり合ったスーパーテクニックの応酬は凄まじいものがある。そういう観点から、そっち系の雑誌の影響もあってか、このバンドが特に日本で人気を誇ったことも事実であろう。
しかしその楽曲のセンスからすれば、Night Rangerは正統的なアメリカン・ハードロック・バンドと位置づけられるべきであり、彼らの行き方の頂点として、"7 Wishes"こそが彼らの最高傑作と呼べるものであろうと僕は思う。

僕にとってこのバンドを忘れがたいものにしているのは、名曲"Sentimental Street"の存在である。特にブラッド・ギルスのギターソロ、彼特有のバイブするアーミングはとても感動的だ。個人的にはやはりバラード系の曲に響く彼のギターソロが好きである。

ギター・ソロっちゅうのはこうやって弾くもんだっ、PVで魅せるブラッド・ギルスの演奏は最高にカッコよかったのだ。。。なんだかんだ言って、やっぱりそこに行ってしまうかナ。

<Sentimental Street のPV!> ←クリックすると始まるので音量注意!!
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by onomichi1969 | 2005-12-07 02:21 | 80年代ロック | Trackback(1) | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 名探偵 荒馬宗介 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 04日

a0035172_20463563.gif僕らの世代(1970年前後の生まれ)にとって、一番馴染みがある探偵キャラクターと言えば「名探偵 荒馬宗介(あらまそうかい)」なのではないだろうか。
1970年代後半から80年代前半まで、小学校高学年向けの「科学と学習」に連載されていた山口太一氏のマンガである。

今日、風呂に入っているときになんとなくそのことを(何故だか急に!?)思い出し、「あの、荒馬宗介の敵役の名前はなんだっけ??」という疑問が頭から離れなくなってしまった為、急ぎネットで検索!
さて、皆さんは覚えてますか??a0035172_20465185.gif


答えはこのサイトを参照!
いやー、すっきりした。
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by onomichi1969 | 2005-12-04 20:58 | おまけ | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 三田誠広 『アインシュタインの謎を解く』 semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 03日

a0035172_12143580.jpg三田誠広の小説は、学生の頃によく読んだ。
『僕って、何』とか『高校時代』、『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終る』、『エロイカ変奏曲』、『赤ん坊の生まれない日』などである。出発点となった『僕って、何』や『高校時代』から、主題はまさしく「僕って、何」ということだが、作中の主人公が大人になるに従い、その主題自体が世界との関係の中でバランスをとるように空疎化していき、結局は旧態たる成長小説の枠組みに絡めとられてしまったような印象を僕は持っている。
初期後半の小説群にはわりと失望を感じることことが多くて、彼の作品を読むことの価値をいつからか見出せなくなっていた。僕の中ではすっかり忘れ去られた小説家で、その名前を見ることも、彼の小説を改めて手にとることも最近は全くなかったのである。
ちなみに彼の作品の中の『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終る』の文庫解説を笠井潔が書いており、その強烈な文章に感銘を受け、その後、彼の『テロルの現象学』を手にとることになる。僕にとっては、そういうつながりとして僕の読書歴の中のひとつの流れを形づくってくれたという功績がある。

さて、そんな三田誠広の本が店頭に並んでおり、題名をみると、「アインシュタインの謎を解く」である。これは一種の歴史ミステリーなのか、彼もついにこんな分野の小説を書くようになったのか、と驚きつつも、宇宙論や量子論はわりと嫌いではないので文庫本の気安さもあり、何の気なしに買ってみた。
そして、家に帰ってページをめくると思いかけずに面白くて、一気に読み終えた。

この本は現近代の物理学解説書であるとともに、アインシュタインやパスカル、ボーア、キャベンディッシュなどの物理学の巨人たちを生き生きと描く人物書でもある。
僕は一応、大学の工学部応用化学科の出身なので、いちおう教養としての量子論は勉強しているつもりである。その為、量子論の基礎であるパウリの排他律や電子スピン、波動方程式などは実際に演習もしていたので今でもその解説には違和感なく入り込める、、と思っている。(まぁ、他にもそういう解説書をたまに読んだりするので、、、)
それを差し引いても、三田誠広という文学者が描く量子論、相対論には一切の数式も図もなく、すべて文章での説明となっているわりには、適度に専門的で、にもかかわらずとても理解しやすいと感じた。文章が平易で、身近な比喩をふんだんに使うことによって読者の理解を助ける、イメージを膨らませやすい解説書となっている。
一種の文学的量子論とでも言おうか。おそらくその真骨頂は最終章にあるだろう。
そこでは現近代の物理学を文学的に総括すべく、その技術と理論の変遷を人間の認識論へと還元している。これまで宇宙論でよく耳にした「人間原理」についても科学全般における認識論へと普遍化させて説明しており、その内容にはとても納得させられる。

<ちなみに宇宙論としての「人間原理」とは、この宇宙が人間を生み出す為に作られたものであり、宇宙論の基礎たる定数などもすべて人間を生み出すのに都合のよい数値となっているということを指す。それを敷衍すれば、宇宙とは、人間が認識する限りにおいて存在し得ると言うこともできるのだ、、、まさしく人間の存在或はその認識を中心とした宇宙原理が「人間原理」である。。詳しくは、ブルーバックス「これからの宇宙論」参照!>

思いもかけずとても楽しい読書だった。
三田誠広という文学者がどういう経緯で物理学の解説書を書くことになったのか、その詳しいことはよく分からないけれど、彼が『僕って、何』から30年かけて辿り着いた場所、彼の必然的行き方、その一端が実はこの本から垣間見える。そういう意味で僕はこの本を読んで素直に感動した。
とても文学的に感動したのだ。
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by onomichi1969 | 2005-12-03 14:12 | | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 経県値&経県マップ semスキン用のアイコン02

  

2005年 12月 03日

むつみさんのところにありました。経県値&経県マップ

暇つぶしになりますw 結果は150点!

やっぱり和歌山とか鳥取とか宮崎とか秋田とか、、、
裏側が残りました。。。(って、住んでる人ごめんなさい)

確かに、日本を制覇してみたくなる。
(但し、悲しいかな仕事での出張や駐在がほとんどだ。。。)
当面の目標は近場で宮崎かナ。もちろん遊びで!
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by onomichi1969 | 2005-12-03 08:15 | おまけ | Trackback | Comments(2)

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