Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 Summer of Love ‘67の奇跡、Monterey POP Festival semスキン用のアイコン02

  

2005年 11月 26日

a0035172_18342972.gifJanis Joplinが衝撃のデビューを果たし、The Whoが過激なパフォーマンスでアメリカを驚かせ、The Jimi Hendrix Experienceがその超ド級のギターワークで時代を切り裂き、Otis Reddingが「音楽は感動そのものだ」ということを世に知らしめた。
それがSummer of Love ‘67の奇跡、Monterey POP Festivalである。もちろん、それ以外の出演者たちのライブ・パフォーマンスのどれもが初々しく、素晴らしい。
人々はこの史上初のロックの祭典により、ロック・ミュージックが一種の衝撃であるとともに、一体感というある種の幸福感を共有できる麻薬的な幻想であること知ったのである。そのキャッチフレーズは”Love”である。
その幻想も2年後のWoodstockで賞味期限を迎え、1969年最後の月(僕の生まれた月だ)のオルタモントで完全に終わる。MontereyでMCをつとめたブライアン・ジョーンズはWoodstockの直前に死んでいる。ロック・ミュージックは商業ベースとして、別のステージに移行していく。
ロックにとって、奇跡的に幸福な時代。それがSummer of Love ‘67であり、Montereyだったのである。

今、僕らはMonterey POP Festivalの映像記録をDVDで観ることができる。以前は切れ切れにしか観ることが出来なかったシーンも今ではより多くの連続した演奏として追うことができる。
演奏そのものについては、The Holding Companyの荒々しい演奏と初々しいJanisの姿やCanned Heatの渋い演奏、Al KooperにThe Blues Project、そしてステージ恐怖症となったと言われるLaura Nyroの弾き語りシーンなどなど、挙げたらキリがないほどに充実しており、演奏シーンを集めたライブ映像としても卓越した作品と言えるだろう。
しかし、この映像記録は、音楽そのもの充実感以外にも僕らにある感慨をもたらす。確かに音楽そのものであれば、出演者達のオリジナル・アルバムやライブ盤を聴けばいい。それ以上のもの。。。この映画は確実に時代の空気、その幸福感を映していると言えないか。Montereyの映像がもたらす空気の色は明らかにWoodstockと違うのだ。それがSummer of Love ‘67、過ぎ去った一時の高揚感、その始まり。それは単なるノスタルジーとは違う、幻想という可能性、その幸福感を僕らに垣間見せる。過去にそこにあったはずのものが確かにある、ということが、その無に対して「有り得る」という豊穣を浮かび上がらせる、そういう幻想を僕らに呼び起こさせるのだ。
人間は幻想によって生きている。それは僕らを生かし、そして殺す。それもまた幻想。その全ては「心々」であり、また、それが僕らの心を震わす源泉なのである。

Summer of Love ‘67、Montereyという奇跡。この映像は確かに僕らに何かを語りかける。その何かを考えさせる。そういう映画としての力を僕は感じるのである。

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by onomichi1969 | 2005-11-26 19:19 | 音楽の映画 | Trackback | Comments(11)

semスキン用のアイコン01 Christine Perfect “Christine Perfect”(1970) semスキン用のアイコン02

  

2005年 11月 26日

a0035172_1343935.jpgアルバムを予約して購入したのは佐野元春の『Visitors』以来だ。。。
今回は再販であるが、新譜も含めて発売直後のものを購入するのは、ブライアン・ウィルソンの”SMiLE”以来となる。
というわけで、僕にとっては待ちに待ったアルバムがついにAmazonから届いた。
Christine Perfect “Christine Perfect”(1970)である。
クリスティンといえば、クリスティン・マクヴィー(Christine McVie)というマック加入後の名前が一般的で、パーフェクト?と言われてもなかなかピンとこないかもしれない。もちろんパーフェクトというのは彼女の旧姓である。彼女の経歴を見ると、クリスティン・パーフェクトとして活動し始めるのが1964年(20歳過ぎのころ)からで、後のチキン・シャックのメンバー、スタン・ウェブやアンディ・シルベスター、またトラフィックのクリス・ウッドと共にR&B系のバンドで活躍しており、パーフェクトとしての時期も結構長かったのである。
当時、大学に在籍中だった彼女は、音楽活動よりも、大学卒業、デザイナーとして就職という道を選び、一時は音楽の世界から身を引いていた。しかし、彼女の脱退後にチキン・シャックと改名したバンドは、プロ・デビューを前に彼女を口説き落とし、クリスティンは再び音楽活動を始めることになるのである。
チキン・シャックでは、クリスティン・パーフェクトとしてキーボード/ボーカル、そしてコンポーズを担当。折からのブルーズ・ブームも影響してバンドは英国でブレークする。彼女のボーカルやコンポーズのスタイルはブルーズというよりは、やはりポップスである。そんな彼女の魅力と共に、彼女の名前『クリスティン・パーフェクト』を一躍広めたのは、チキン・シャックの4枚目のシングル”I’d rather go blind”(今回のアルバムにも収録)ということになるらしい。全英で大ヒットしたこのシングルの成功によって、彼女は1969年のメロディ・メーカー誌の女性シンガー読者人気投票のNo.1に選ばれるのだ。
しかし、当時の彼女はフリートウッド・マックのジョン・マクヴィーと結婚しており、家庭を優先させる為にバンドを脱退した直後、2度目の音楽活動休止時期を迎えていた。今回紹介する彼女の1stソロアルバム“Christine Perfect”(1970)は、そんな時期にファンからの後押しもあってレコード会社が彼女に要請、(渋々)レコーディングされたアルバムとのことである。レコーディングメンバーには、マックのダニー・カーワンや夫のジョンも参加しており、その後のマック参加への布石となったアルバムだと今では言えよう。ピーター・グリーンやジェレミー・スペンサーというフロントマンを失ったマックが彼女を口説き落とすことになるのは、もう自然の流れだったのだ。

さて、アルバムの内容であるが、彼女のファンであればこの作品が満足の一枚であることにもう間違いはないだろう。基本はチキン・シャックの流れであるブルーズを軸にしながら、彼女のオリジナル作にはすでにポップスの魅力が垣間見られる。後のマック加入後の作品に繋がる09 No Road Is The Right Roadや05 Close To Meが特に素晴らしい。ダニー・カーワン作の07 When You Sayは如何にもダニーらしいフォークロア的味わいのある曲でこれをクリスティンが歌うのもすごく面白いし、チキン・シャックとしてヒットした06 I'd Rather Go Blindも穏やかなブルーズ・フィーリングが心地よい。
彼女の母性的な味わい、その魅力が全開となるのは中期マックを待たねばならないだろう。しかし、このソロ作品でもその萌芽は十分に見られる。彼女の若々しいエネルギー溢れる声、旧態たる音楽性の中に新しい息吹、爽やかな風を感じさせるポップセンス、それは後のマック作品における「母性的な暖かさ」という味わいへとゆるやかに変化していく。このアルバムの中で見出せる、そのささやかな「萌芽」とでも言うべきもの、それはそれでまたいいのだ。なんというか、筆舌し難い魅力、これは一種の「萌え」なのかもしれない。クリスティン萌え~。(ジャケット写真も結構萌えるでしょ。。。)

まぁ、とにかく、、、クリスティン・ファンの僕としては、満足の一枚なのだ。
<待ちに待ちすぎて、すっかり予約していたことも忘れていたのも事実ですが。。。>

マックでのダニーとクリスティンといえば、やっぱりこれ!
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by onomichi1969 | 2005-11-26 13:43 | 70年代ロック | Trackback(2) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Hall & Oates "Abandoned Luncheonette"(1973) semスキン用のアイコン02

  

2005年 11月 12日

 
 北朝鮮の核問題解決を目指す6カ国協議で採択された共同声明の文言には多くの「あいまいさ」が残されたが、北朝鮮が約束した核の「廃棄」についても、あくまで北朝鮮が自発的に行うという解釈を残していたことがわかった。米首席代表のヒル国務次官補が28日の講演会で明らかにした。

 米国は交渉で一貫して核の「解体」=「dismantle」を要求したが、採択された共同声明は「北朝鮮はすべての核兵器及び現存する核計画を廃棄(abandoning)する」となった。ヒル代表は「abandoning」について、北朝鮮の解釈ではこの単語には「自発的」という意味合いがあり、「(核廃棄は)自らが決定したことで、強制されたものではないという主張だ。北朝鮮は、敗北ではないことを明確にしたがる」と指摘した。

 「捨てる」という概念を持つ「abandon」という言葉をめぐっては、「完全な解体」は意味しないとの解釈が可能だとの指摘も出ている。

毎日新聞 2005年10月1日 東京朝刊


なるほど、、、abandon、完全な解体ではない自発的な破棄かぁ。(ムツカシ。。)

僕にとって、abandonといえば、

豆単の最初の文章。abandon・・・「あ、晩だ!」と勉強捨てる。



Hall & Oatesの"Abandoned Luncheonette"とその捨てられて寂れたランチョン店が印象的なジャケット

なのである。

強引な導入部であるが、、、このHall & Oatesの傑作に初めて接したのは奇しくも僕が受験生の頃で、この一見訳の分からない邦題『アバンダンド・ランチョネット』も、「あ、晩だ!」と捨てられたランチョンと覚えられたのである。

・・・・・

a0035172_21163332.jpg僕の中でHall & Oatesといえば、ベスト盤『フロム・A・トゥ・ONE』で、これは僕にとって洋楽の世界へと開かれた扉そのものと言っていい作品だった。このアルバムの中のShe's Goneが特に好きで、それは彼らの80年代のヒット曲群とは明らかに違う、素朴でありながら情熱的なハーモニーを聴かせる瑞々しい名曲で、僕にはそれが本来の彼らのデュオとしての魅力そのものだと感じていたのだ。

そのShe's Goneが収められたアルバムが"Abandoned Luncheonette"(1973)である。その昔、このアルバムをカセットに収め、ただひたすらに繰り返し聴いた。もちろんShe's Gone以外にも、彼らの人気曲When the Morning ComesやHad I Known You Better Thenには、清々しいボーカルの掛け合い、愛すべきニューキッズのスタイリッシュでありながら純朴な音の味わいがある。もちろんオーツもしっかりと活躍しているゾ。Lady Rainやラストを飾るEverytime I Look at Youも素晴らしい。

80年代のロックン・ソウルなHall & Oatesもいいけれど、70年代の初々しいニューキッズが放つ溌剌としたサウンド、"Abandoned Luncheonette"は彼らの最高傑作と評されるほどに忘れがたい味わいのある作品なのである。
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by onomichi1969 | 2005-11-12 21:27 | 70年代ロック | Trackback(1) | Comments(6)

semスキン用のアイコン01 Stiff Little Fingers "Inflammable Material"(1979) semスキン用のアイコン02

  

2005年 11月 12日

a0035172_20204427.jpgUK PUNKのフロントラインと言えば、Sex Pistols、The Clash、The Damned、The Jam、The Stranglers といったところだろう。それでもって、そのフォロアーがsham 69とか、Generation X、Siouxsie & The Bansheesあたりで、パンクがスカ・ビートと融合し、ニューウェーブへと転化する段階で、The SpecialsやThe Police、Madnessなどが出てくるわけだ。

UK PUNKで僕が知っているのはこの程度の知識で、実際の音として聴いたことがあるのも80年代FMのパンク特集で取り上げられていた上記のバンドくらいなものだった。
というわけで、かの"High Fidelity"でGreen Dayが影響を受けたバンドということでクラッシュともうひとつのバンドとして紹介されていたStiff Little Fingersという名前には全くピンとこなかった。。。シンドーさんのレビューからいろいろと辿ってみてナルホドと。。。

パンクサウンドの隠れた名盤と呼ばれるこのアルバムに大いに惹かれ、Stiff Little Fingers "Inflammable Material"(1979)を購入。さっそく聴いてみた。

79年という年代からすると、既に時代遅れのストレートなパンクサウンドで堂々と勝負したこのデビューアルバムには、元ハードロックバンドならではの密度の濃い演奏力による精巧なパンクロックと激しいボーカル(気合のダミ声!)、そして熱いロック・スピリッツ、アイリッシュ魂があったのだ。

なかなか素晴らしいアルバム。

このバンド、80年代中期以降、すっかり忘れ去られ、省みられない存在だったはず。
このようなバンドの名盤が蘇り、そしてその情報が簡単に手に入る、、素晴らしい時代になったものだぁなぁ。
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by onomichi1969 | 2005-11-12 20:41 | 70年代ロック | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 春の雪 semスキン用のアイコン02

  

2005年 11月 07日

a0035172_234912.jpg三島由紀夫の『春の雪』は恋愛小説である。と同時に欲望と精神の総合小説とも言うべき『豊饒の海』の第一部を構成する。『春の雪』は、独立した作品としても十分に読め、ここには三島由紀夫の恋愛観が見事に顕現している。その骨子は、恋愛が自意識の劇であり、鏡であること、そしてその究極には不可能性という可能性への期待があり、それが刹那に超越され、持続しないことにある。『春の雪』はそういった恋愛の本質をよく捉えた小説であると共に、自意識が恋愛という観念に結実した美しくも悲しい、と同時に奇跡的に幸福な小説なのである。
しかし、この小説がさらに僕らに深く静かな響きをもたらすとすれば、ヒロイン聡子が第四部の最後に月修寺門跡として再登場した際の台詞こそがそれであり、この後付のイメージこそが僕にはこの恋愛小説の本質を揺るぎないものにしていると感じるのである。

「そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもあられなんだ、ということではありませんか? その清顕という方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならしゃったのですか?」

確かに最初にこの最終部を読んだ時はショックを受けたものだが、実はこの部分こそが『豊饒の海』の各部のテーマを強固に「肯定」しているのであり、決して本多が感じたように否定的には捕らえてはいけないのだと今では思うのである。何もないという無。本多が辿りついた「記憶もなければ何もないところ」というのは決して虚無的なものではなく、正に豊饒の寂漠であり、全ての生きる源泉となる無として読むべきであり、その静謐さにこそ僕らは感動すべきなのだろう。虚無は常に「不幸の意識」を呼び起こすが、ここでの静謐な無、月修寺の寂漠の庭はあくまで幸福の源泉なのだと考えたい。それこそが「心々」なのだと。門跡による清顕の存在否定をそのままの意味で解釈したら、ある意味で『春の雪』をも否定してしまうことになる。それは間違いだ。だからこそ、この『春の雪』を『豊饒の海』という転生小説から一旦切り離してみるというスタンスはあながち間違いではないと思えるのだ。

『春の雪』は完全に単独の作品として映画化された。
僕は以前より映画化を期待する小説として、この『春の雪』を挙げていたが、理由はこの小説の様々なシーン、その背景がとても映像的であると常々感じていたからである。そして、今日この映画化作品を劇場で観て、我が意を得たりとでも言おうか、その映像美にはとても魅せられたし、主演の2人もイメージ通りで、この映画が目指す映像世界にとてもフィットしていたと思う。
三島の小説世界をとても美しく映像化し得た、この映画の監督の手腕を僕は褒めたい。幌車での雪見のシーン、旅館での逢瀬のシーン、どれも期待以上の出来であった。それを認めた上で僕は敢えて言いたい。

やはり、『春の雪』は小説を読むべきだと。

映画『春の雪』を一個の作品として認めるが、それが言説として完結してしまうほど、『春の雪』という作品の本質は多様ではなく、そして深い。2005年日本映画

みんなのシネマレビュー 『春の雪』
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by onomichi1969 | 2005-11-07 00:11 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

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