Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 井上陽水 『招待状のないショー』(1976) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 29日

a0035172_6595045.jpg一時期、井上陽水のアルバムを集めて聴いていたことがある。竹田青嗣の『陽水の快楽』を読んで感銘を受けたからだ。(もうかなり昔の話だが。。)

陽水の音楽、特に歌詞の素晴らしさについては、ここで語るべくもない。
彼のアルバムは、発表年代毎に彼の思想を反映したものとなっており、彼と彼自身の叙情性、彼と社会との距離感のズレが年々捩れたものになっていく(大きくなっていくわけではない)ことを如実に表していると言えよう。今回取り上げる『招待状のないショー』(1976)は、そんな彼の過渡期にあたるアルバムと言われ、音楽的にはロック色が強くなり、歌詞にも明らかな変化(捩れや壊れの片鱗)が見られるようになる。その辺りの詳細(ロマンティシズムの行方)については、やはり竹田青嗣の『陽水の快楽』を読んでいただきたい。哲学者竹田青嗣の陽水論は、ある意味で井上陽水の思惑を超えて、人間の観念批判論として圧倒的な読み応えがあると僕は思う。<竹田に言わせると、それこそが陽水の天才たる所以とのこと。。>

そんなわけで、陽水のアルバムはいくつか聴いたが、僕が一番好きなのが、『招待状のないショー』(1976)である。音楽的にも(ロック的強度としても)僕には一番馴染みやすく、しっくりくるし、特にAサイドの4曲目までの展開が楽曲的にも素晴らしいと感じる。

1.Good,Good-Bye
2.招待状のないショー
3.枕詞
4.青空,ひとりきり

ここで通底する心情とは、はるか彼方の憧れとしての彼女と現実的に別れてしまった彼女、この2人の彼女への想いとそこで立ち止まる自身への戸惑いである。そしてここで彼にはある確信が去来しており、それは揺るぎない確信として、僕らはそこに微妙にズレて壊れたリリシズム、ロマンティシズムの変異を見るのである。
手っ取り早く、彼の詩を並べてみることにした。この流れの中に、彼にとっての変異点がある。その先にこそ、『ジェラシー』があり、『リバーサイド・ホテル』があり、『少年時代』がある。

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Good, good-bye / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

Good, good-bye さよならBaby
そろそろこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
こんなに遅くまでありがとう

終りはいつもさみしくて 悲しくひびくメロディー
別れのテープはからみつくだけの邪魔なもの

Good, good-bye さよならBaby
とにかくこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
ひとりぼっちは使い捨ての言葉

また会えるのはいつだろう?
約束なんかしない
想い出した時、想い出せば、想い出す

Good, good-bye さよならBaby
本当にこれで終わりにします
Good, good-bye さよならBaby
いとし 悲し 寂し

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招待状のないショー / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

誰一人見てない僕だけのこのショー
好きな歌を思いのままに
招待状のないささやかなこのショー
恋を胸に闇に酔いつつ
声よ夜の空に星に届く様に声よ
変らぬ言葉とこの胸が
はるかな君にもとへ届く様に

カーテンコールさえ僕の気持ち次第
一晩中歌うのもいい
声よ夜の空に星に届く様に声よ
変らぬ言葉とこの胸が
はるかな君にもとへ届く様に

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青空、ひとりきり / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

楽しい事なら何でもやりたい
笑える場所ならどこへでも行く
悲しい人とは会いたくもない
涙の言葉でぬれたくはない
青空 あの日の青空 ひとりきり

何かを大切にしていたいけど
体でもないし心でもない
きらめく様な想い出でもない
ましてや我身の明日でもない
浮雲 ぽっかり浮雲 ひとりきり

仲よしこよしはなんだかあやしい
夕焼けこやけはそれよりさみしい
ひとりで見るのがはかない夢なら
ふたりで見るのはたいくつテレビ
星屑 夜空は星屑 ひとりきり

楽しい事なら何でもやりたい
笑える場所ならどこへでも行く

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結詞 / 井上陽水
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空

今日をかけめぐるも
立ち止まるも
青き青き空の下の出来事

迷い雲 白き夏
ひとり旅 永き冬

春を想い出すも
忘れるも
遠き遠き道の途中での事

浅き夢 淡き恋
遠き道 青き空
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もう解説は要らないだろう。。。

そうそう、この後、彼はこんな歌を歌うのだ

遠くで誰か泣いている様な気がする
窓辺の風と同じくらい静かに
君にさわらずどんなKissをしようか 今夜

   今夜 『スニーカーダンサー』(1979)より

さらに捩れてる。。。いとし、悲し、寂し
(村上春樹の『ダンス ダンス ダンス』のプロローグに少し似ている気もする)
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by onomichi1969 | 2005-05-29 08:06 | 日本のロック | Trackback(1) | Comments(14)

semスキン用のアイコン01 Fleetwood Mac "Bare Trees"(1972) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 22日

a0035172_10284974.jpgフリートウッド・マックが大好きである。この台詞を吐くのも3回目だ。<1回目2回目。。。>
今回取り上げるマックのアルバムは、"Bare Trees"(1972)である。これは彼らの1.5期とでも言うべき時期のアルバムで、1期の生き残りであるダニー・カーワン(vo,g)と2期のボブ・ウェルチ(vo,g)&クリスティン・マクヴィー(vo,org)の3人がフロントとしてバンドを引っ張っている。まだまだダニーも健在で、前作と合わせて、71-72年発売の2枚のアルバムをダニー時代の作品と言ってもいいかもしれない。(ちなみに改めて言うが、出入りの多いこのバンドの中でミック・フリートウッド(dr)とジョン。マクヴィー(b)だけは常に変わらない。だからバンド名も変わらないw・・・この台詞は2回目か。。)
実は、先ほどむつみさんのサイトにお邪魔した時に、この"Bare Trees"が(マイナーだけど)好きなアルバムだという話になり、コメント欄にも関わらず自分の中で少々盛り上がってしまった。。。(やっぱり好きなアルバムの紹介は自分のサイトでやらないとね;;)ということで、場所を変えて(自分の土俵で)もう一度、このアルバムについて少し書いてみる。

まずダニー時代ということでは、前作"Future Games"(1971)から追っていかないといけないだろう。このアルバムで初めてダニー・カーワンがフロントに立ち、お得意のフォークロア路線を確立したと言っていい。この頃のマックのサウンドはブルースでもない、ポップでもない、中途半端なイメージとして語られることが多いが、僕にとってみれば、ブルースでもあり、ポップでもある、ダニーのフォークロア的ロックサウンドなのである。それは幻想性溢れるブルースポップサウンドでもある。"01 Woman of 1,000 Years"、"04 Future Games"、"05 Sands of Time"、"06 Sometimes"あたりはもう完成されたサウンドだろう。この辺りは音楽的な好みの問題になるが、僕は好きだ。
もちろん、このアルバムから新加入したボブ・ウェルチのソングライティング、そしておそらくサウンド構築の能力も素晴らしく、この時期のマックサウンドにおける貢献度も大。
改めて思うけど、この"Future Games"(1971)こそがダニー時代の代表作と言っていいだろう。

そうすると、"Bare Trees"(1972)は、ダニー時代の傑作だと言えばいいか。"Future Games"に比べると、ダニー色は少し薄れ、ボブ&クリスティン色が濃くなる。というか、この3人が並列であるとの印象が強い。その為、アルバムの曲調としては、ポップでハードな面が強調されているが、トータルな色合いはわりと纏まっていると思う。ダニー・カーワンにしても、前作のフォークロアな味わいよりもブルージーでスピーディでポップな印象が濃い。
まず、このアルバムは流れが最高にいい。最初のダニーの"01 Child of Mine"、ボブの"02 Ghost"、クリスティンの"03 Homeward Bound"、そしてインストの名曲"04 Sunny Side of Heaven"と繋がるAサイドの展開が素晴らしい。3人のブルース&ポップフィーリングに溢れた楽曲がまるで400mバトンリレーのようにスムーズに受け継がれる。それぞれの曲のポテンシャルが高いわりに、曲の展開に違和感がない為、聴いてる僕らの気持ちもだんだんと盛り上がっていくのである。
その後に続く、ボブとクリスティンの絡む"06 Sentimental Lady"もいい。この辺りは新境地だろうか。クリスティンのコーラスは優しげで儚げでとても暖かい。後のファンタスティック時代を予感させる素敵な歌声だ。
その他、ダニー&ボブの"05 Bare Trees"や"09 Dust"、クリスティンの"08 Spare Me a Little of Your Love"もカッコいい。特にクリスティンの曲は彼女特有の軽快なポップセンスが心地よく、いよいよ彼女も本領発揮か、というところだろう。
とにかく、"Bare Trees"はそれぞれの曲も良いが、全体の構成と展開が素晴らしく、アルバムとしてのカッコよさがある。だから傑作なのだ。

その後、、、ダニー・カーワンが精神に変調をきたし、バンドを脱退。フリートウッド・マックは実質的にボブ・ウェルチとクリスティン・マクヴィーの2枚看板となる。"Mystery to Me"(1973)や"Heroes Are Hard to Find"(1974)といった傑作を発表していくが、バンド内の愛憎関係や契約のこじれなどがあって、バンドとしては不遇の時代だったと言われる。確かに以前に書いたように僕は"Heroes Are Hard to Find"(1974)が好きなアルバムだけど、この作品はクリスティンの珠玉の3曲でもっているところもあり、アルバムというかバンドとしての統一感で言えば、ダニー時代にはやはり及ばない。

3人寄ればなんとやら。。。3人というのはよく纏まるのかな??
マックのフロントも3人というのが実はベストなのだろうな。。。

ダニー時代を含めたボブ&クリスティンの第2期マックを非難/軽視している人ほどこの時代のマックをちゃんと聴いていないはずだ。。。マックの素晴らしさというのは、時代時代で実に多様なのである。そのことについて、もう一度考え直したい人がいたら、まずこの"Bare Trees"から手に取ってみることを僕は薦める。70年代サウンドが好きな人なら決して後悔しないはずだ。。。(保証はしないけど;)

a0035172_11394759.jpg


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Fleetwood Mac "Live at the BBC"(1995)のレビューはこちら!
Fleetwood Mac "Heroes Are Hard to Find"(1974)のレビューはこちら!
Fleetwood Mac "Rumours"(1977)のレビューはこちら!
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by onomichi1969 | 2005-05-22 12:13 | 70年代ロック | Trackback(1) | Comments(10)

semスキン用のアイコン01 Huey Lewis & the News ”The Heart of Rock & Roll : The Best of Huey Lewis & the News”(1992) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 21日

a0035172_2195725.jpg80年代中期のアメリカンロックンロールバンド代表選手といえば、ヒューイ・ルイス&ニュースである。ヒットチャートでは数曲連続でNo.1を獲得し、圧倒的な人気を博していたのだ。
僕は、当時から少しひねた性格だったので、無条件にヒットチャートでNo.1を獲得しているように見えたこのグループのことを過小評価していた。実際、彼らの曲にそれほど魅力を感じてはいなかったし、ラジオやTVで繰り返し流される似たような曲の数々に飽き飽きしていたのも事実である。

彼らの代表アルバムといえば、”Sports”(1983)と”Fore!”(1986)である。当時、売れに売れまくったアルバムであり、僕もカセットを所有していたが、特によく聴いたという記憶はない。この手のアメリカンロックでは、ジョン・クーガーやブルース・スプリングスティーン、ブライアン・セッツァーの方が僕には好みだった。

というわけで、この能天気なアメリカンロックバンドについて、然したる思いもなかったのであるが、最近になって彼らのベスト盤を購入した。”The Heart of Rock & Roll : The Best of Huey Lewis & the News”(1992)である。
このアルバムは彼らのヒット曲を集めたアルバムである。改めて聴いてみるとこれはそんなに悪くない。彼らの能天気なロックサウンドもその能天気さ故に僕らの気分にフィットすることもある。何時でも聴いていたいわけではないけど、ある時無性に聴きたくなる。そんなアルバムである。

このアルバムのベストチューンは、やはり” 03 DO YOU BELIEVE IN LOVE”と” 04 IF THIS IS IT”であろう。
ミドルテンポのポップバラードであるが、ここでの彼らのコーラスワークはとても素晴らしい。それは僕らにある種の郷愁を思い起こさせる。メロディも実に響く曲である。この2曲はこのアルバムの中でも傑出していると僕は思う。

<DO YOU BELIEVE IN LOVE のPV!> ←クリックすると始まるので音量注意!!
<IF THIS IS IT のPV!> ←クリックすると始まるので音量注意!!

あと、、、どうでもいい話だけど、、、
ヒューイ・ルイスは後年、映画『ショートカッツ』に俳優として出演しており、この映画の中で見事なチ○ポ○を披露している。それもその必要が感じられない無意味なシーンで。やはり能天気なやつだ。。。とその当時思ったが、彼にもそれなりの葛藤があったということを後年何かの雑誌で知った。

実はこのことで僕は彼のことが少し好きになった。。。その能天気さも含めて。。。

ちなみに全然関係ないけど、映画で自らのチ○ポ○を曝した人達、、、
ロバート・デニーロ、ジェラール・ドパルデュー、ジャン・ユーグ・アングラード、マーク・ウォールバーグ、ヴィンセント・ギャロ、、、そして、ヒューイ・ルイス。
なんというか、俳優魂を感じるナ。。。
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by onomichi1969 | 2005-05-21 02:23 | 80年代ロック | Trackback(1) | Comments(4)

semスキン用のアイコン01 Journey "Infinity"(1978) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 21日

a0035172_028954.jpg80年代を代表するアメリカンハードロックバンドといえば、ジャーニーである。
ジャーニーといえば、81年の"Escape"、83年の"Frontiers"が有名であるが、僕が一番好きなアルバムは、ハードな中にもフォークロック的な味わいを残す彼らの70年代のアルバム"Infinity"(1978)である。

このアルバムから、ボーカルとして新たにスティーブ・ペリーが加入している。それは彼らにとって大きな転機であったといえるだろう。彼の情熱的なハイトーンボイスは、ハードでポップなサウンドスタイルに映える。その独特の澄んだ響き、彼のオリジナリティ溢れる歌声は僕らにインパクトを与えるに十分であった。この一作にして、彼らの音楽スタイルは確立し、スティーブ・ペリーはジャーニーの顔となったといえよう。
しかし、このアルバムでは、まだスティーブ・ペリーが全曲歌っているわけではない。ペリー加入前のメインボーカリストであったグレッグ・ローリーも数曲で頑張っており、実際、僕がこのアルバム"Infinity"の中で好きな曲はグレッグ・ローリーがメインを張る曲なのである。
確かにスティーブ・ペリーの歌声は素晴らしい。完璧という形容がしっくりくる。それに比べるとグレッグ・ローリーの歌声は、凡庸であり、ある意味でペリーの歌声を引き立てる役割なのかもしれない。しかし、僕はそんなグレッグの歌声に惹かれてしまうのだ。グレッグが歌うことで表現されたのは、この頃のジャーニーというバンドが持っていたある種の不完全さ、ある種の余地であり、それが僕は好きだったのである。

というわけで、"Infinity"の中の僕のベストチューンは、"02 Feeling That Way"であり、"03 Anytime"へと繋がる流れである。グレッグの抑えた歌声で始まり、ペリーの圧倒的なコーラスが被さる。2人の交錯するボーカルにニール・ショーンの幻想的なギターが絡む。とてもスケールの大きな曲でありながら、ある種の不完全さ故の可能性を感じさせる。なんというか、すごくゾクゾクする曲なのである。

その後、彼らのサウンドはより洗練され、80年代に一時代を築くことになる。その頃には全ての曲でスティーブ・ペリーがボーカルをとり、グレッグ・ローリーは脱退している。
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by onomichi1969 | 2005-05-21 01:20 | 70年代ロック | Trackback | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 The Smiths ”The Queen is Dead”(1986) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 05日

a0035172_8411888.jpgパンク・ムーブメントから10年。80年代中期、イギリスのロック・シーンにおいて、ポスト・パンクの潮流は、次第にアンダーグラウンドへと移行していった。商業ロックは、媒体たるMTVと共に世界マーケットを席巻し、ロックはビジュアル化すると同時に本来的に内在すべき力強さを失っていく。ロックの失われた力強さ。
そんな中で、ロックの力強さを逆説的に体現したバンドがあった。そのバンドは当時、ロック・シーンでは既に非主流となっていたイギリスで絶大な人気を誇っており、また日本でも真摯なロックファン達から新たなカリスマとして注目されていた。それがスミスである。
僕が初めて聴いたスミスのアルバムは、”Meat is Murder”(1985)<邦題:『肉食うな』って、あまりに直載的。。>である。正直言って、このアルバムは僕にとって退屈極まりないものであった。このアルバムは当時、スミスの最新作として、当然の如くイギリスでNo.1になっていたし、日本でもミュージック・マガジン等によく取り上げられていたように思う。

スミスとは、モリッシーとジョニー・マーの2人に象徴される。彼らの音楽的特徴は、マーの奏でる精巧でいて透明感溢れるギターリフとモリッシーの浮遊するような捻じ曲がったボーカルスタイルにある。自虐的なユーモアと鋭い社会風刺に富んだ歌詞も彼らの曲に特徴的である。
確かにそれはそれで彼らの音楽性だと思うが、如何せん”Meat is Murder”は僕らMTV世代には単調すぎた。(ポスト・パンクは受付けず!) それに彼らの売りであった自虐性だの、弱さだのも全く理解できなかったし、『肉食うな』って言われてもそれは困るのである。
アルバムの最後を飾る”Meat is Murder”に至っては、はっきり言って聴くに耐えない雑音であり、狙いの外れた効果音でしかなかった。
スミスは弱さを売りにしていたが、そんな彼らを本当に理解するには、彼ら自身に内在する強圧性を了解しなければならず、それはまるで宗教的強要のようで、僕には到底付き合えるような代物ではなかったのである。

86年に発表された”The Queen is Dead”(1986)は、打って変わってとても聴き易いポップな内容となっており、前作で躓いてしまった僕のような人間にも理解できる(と思わせる)作品であった。風刺の効いた社会メッセージは相変わらずであったが、音楽的にはとてもバラエティに富んでいる。ストリングスを取り入れることにより、楽曲にも厚みが増し、リズムが強調されることにより、ビート感が増した。
このアルバムの出色は、01 The Queen is Dead (Take Me Back to Dear Old Blighty) [Medley]から、02 Frankly, Mr. Shanklyの流れ、そして03 I Know It's Overへ繋ぐ変化に富んだAサイドの展開、06 Bigmouth Strikes Againから07 The Boy With the Thorn in His SideのBサイド冒頭の流れもなかなかである。
しかし、やはりこのアルバムは、There Is A Light And It Never Goes Out に尽きるのではないか。僕はこの曲を繰り返し聴いた。僕自身、ホモセクシャルとは無縁であるが、この曲は歌詞にしても、メロディにしても僕らの心に確実に届くものがある。それは彼らに特徴的であった自虐性とか弱さというものがある種の幸福へと昇華した美しき瞬間であった。正にそんな瞬きを旋律化したような美しい曲であると僕は思う。

And if a ten-ton truck
Kills the both of us
To die by your side
Well, the pleasure - the privilege is mine

”The Queen is Dead”は、商業的にも成功し、一般的評価も獲得した。それは彼らの音楽的達成であると共に、ある意味で限界でもあったのだと今では思う。”Meat is Murder”が”The Queen is Dead”に反転したとき、実は彼らは何かを失っている。当時の僕には全く理解できなかったが、それが彼らの彼らたる所以の何かであったことは確かである。”Meat is Murder”のスミスが本来進むべき道は、”The Queen is Dead”ではなく、それを超えたところにあったのではなかったか。彼らは”There Is A Light And It Never Goes Out ”の美しさをもう一度反転する必要があったのである。
残念ながら、スミスは”The Queen is Dead”を最後に解散する。”Meat is Murder”が”The Queen is Dead”に反転したとき、失った何か。それは結局、永遠に失われるべきものだったのだろう。
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by onomichi1969 | 2005-05-05 08:46 | 80年代ロック | Trackback(3) | Comments(5)

semスキン用のアイコン01 Public Image Ltd ”Second Edition”(1980) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 05日

a0035172_8335658.jpg70年代後半に興ったパンク・ムーブメントは、ピストルズの解散と共にニューウェーブへと移行し、パンクが標榜したシンプルなビートスタイルも再び多様化することになる。
その中でポスト・パンクというタームが80年代初期にメディアに登場するが、僕の印象では、このターム自体が持っていたパンクへの崇敬も当時のMTV的ビジュアル重視の文化に早々に圧されており、「ポスト・パンク」は既にして80年代という時代から零れ落ちた存在だったのかもしれない。

ポスト・パンクの代表選手といえば、P.I.L.(Public Image Ltd)である。奇しくもパンクをムーブメントとしてメジャー化した立役者ジョン・ライドン(ピストルズ時代はジョニー・ロットン)がピストルズ解散後に結成したバンド(というかスタイル)である。
ジョン・ライドンと言えば、ピストルズ解散時に発した「ロックは死んだ」という発言が有名であるが、ロックが死んだと言う張本人が奏でるロックとは如何なるものなのか? おそらく当時の人々の関心もそこにあったのではないか?

”Second Edition”(1980)<通称:『メタル・ボックス』>は、P.I.L.の代表作であり、80年代初期のポスト・パンクの傑作と言われる。正にロックが死んだ後の音楽がここにあり、これこそが80年代のポップチューンである、と。
僕は20年前にこのアルバムに接したが、敢え無く撃沈している。MTVっ子だった当時の少年にはとても受付けられるような音楽ではなかったのである。このアルバムのダビングカセットは、Talking Headsの”Remain in Light”と並び、すっかり省みられることなく、別のアルバムによってオーバーダビングされる運命となる。

『メタル・ボックス』にもう一度トライしようと思いたったのは、実は4-5年前である。Radioheadの”Kid A”を聴いてからだ。
今では、P.I.L.の”Second Edition”(1980)、そして”The Flowers of Romance”(1981)は、よく聴くアルバムのひとつである。時々、無性に聴きたくなる。そういう種類の音楽である。

「人間の理性領域に存在する叙情性がメロディを理解し、より根源的な領域、その地平においてリズムは共鳴する。」

この手の音楽に対する解釈というのは、いろいろとあると思うが、僕はこう思っている。
確かに”Second Edition”に手軽に反芻できるようなフレーズ、メロディは皆無である。このアルバムのどの曲も簡単に僕らの手のひらや口の端にのせられるような代物ではない。しかし、そのリズムは確実に僕らの体に染み入る。共振する。そして我知らず、ある種の快楽を呼び起こされる。
麻薬的な音楽。そのグルーブはある意味でとても危険だ。
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by onomichi1969 | 2005-05-05 08:34 | 80年代ロック | Trackback(1) | Comments(2)

semスキン用のアイコン01 Sex Pistols "Never Mind the Bollocks Here's the Sex Pistols"(1977) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 05日

a0035172_8283317.jpgいまさらこのアルバムについて語るべき多くの言葉を僕は持っていない。全てはこのアルバムに詰まっており、それが全てを語ってくれるからである。それほどに衝撃に満ちた作品だ。もちろん当時の音楽的時代背景、イギリスの社会情勢がこの作品を産み落としたわけであり、そういった背景を知ることも重要だと思う。
時代を象徴し、そして時代を切り裂いた作品。
全ての恐竜達を一瞬に駆逐してしまった一撃。
パンクはそのスタイル、思想とともに世界を駆け巡った。ストレートな社会メッセージとシンプルな音楽性は、ロックの欲望的原点である。
誰もが手にすることができる!その可能性への期待!それこそがロックであり、希望である。
パンクは、当時の多くの若者たちに支持された。そして、その影響力と呪縛は、後年まで続いていく。

久々にこのアルバムを聴いてみて改めて思う。
このアルバムが持っているインパクトは、実は時代を超えているのではないだろうか。
時代や社会情勢に関わるストーリーすら、このアルバムの前では廃棄ビルディングのように粉々に瓦解するようだ。その解体に対する恍惚感こそが、このアルバムがもつ強烈な呪縛なのだ。
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by onomichi1969 | 2005-05-05 08:32 | 70年代ロック | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 The Doors ”L.A. Woman”(1971) semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 04日

a0035172_4145962.jpg僕にとっては、ドアーズのアルバムの中で、1st”The Doors”(1967)が最も印象深く、やはり1枚選ぶとすれば、”Break on Through (To the Other Side)”や”Light My Fire”、”Back Door Man”、”The End”といった名曲を含む1stアルバムに落ち着くのだろうと思う。ドアーズの1stアルバムは、ジム・モリソンのカリスマ性とバンドの特徴が見事に結実しており、とにかく圧倒的なのだ。
2nd”Strange Days”(1967)も素晴らしいアルバムである。正直言って、1stアルバムがあまりにも圧倒的で、ドアーズは、1st のラストを飾る”The End”の暗闇を永遠に彷徨っているべきなのだ!と思ったこともあったが、冒頭曲”Strange Days”はそんな暗闇をポップなキーボード音で軽快に切り裂いてみせる。アルバム”Strange Days”はシンプルでポップな佳曲揃いであり、モリソンの浮遊するようなstrangeな歌声も印象に残る。ある意味で1stに匹敵する作品だといえる。
その後は、”The Celebration Of The Lizard”の挫折やモリソンの不調など、楽曲はそれなりであるが、アレンジがオーバープロデュースなどと言われ、あまり評判の良くないアルバムを3作続けて発表する。確かに初期の衝撃性が薄れ、あまりにも普通っぽい、ドアーズライクなドアーズがそこにいる。

そんなマンネリズムを一蹴すべく、71年に発表されたのが彼らにとっての6作目、
”L.A. Woman”(1971) である。

僕はこのアルバムをドアーズのアルバムの中で一番よく聴く。このアルバムは、彼らにとって起死回生とも言うべき充実した内容であり、楽曲も素晴らしいが、演奏もここ数作でみられたオーバーダブ的な音ではなく、ライブ感覚に溢れ、彼ら本来の音を強調した作りとなっている。

まず、”01 The Changeling”のドアーズ風ファンクサウンドが素晴らしい。モリソンのボーカルは決してソウルフルとは言い難いけど、以前にはなかったノリに加え、飄々とした味わいと重厚さを感じさせる。続く”02 Love Her Madly”の軽快感と”03 Been Down So Long”の力強さ、” 04 Cars Hiss by My Window”のストーンズ風ブルージーな味わいも良い。そしてAサイドを締めくくる表題曲”05 L.A. Woman”は楽曲、演奏ともに充実しており、モリソンの声がなんともいえない切実感を醸し出している。歌詞にもL.A.に対する彼らのこだわりを感じる。

Bサイドも冒頭から、エキゾチックな味わいの”06 L'America”、ドアーズ風バラードナンバー”07 Hyacinth House”、ドアーズ風ホットなブルースソング”08 Crawling King Snake”などなど、彼ら特有のダウナーな雰囲気ながらバラエティに富んだ楽曲が続く。
そして、このアルバムのラストを飾るのは、大作”10 Riders on the Storm”である。静謐で重厚な彼らのラストソングに相応しい1曲である。しかし、ジム・モリソンは、このアルバムの冒頭で「自分は確かに壊れかけたが」「変わった俺を見てくれ」と言っていた。

そして、ここでも、
Sweet family will die (気楽な家族は死ぬだろう)
Killer on the road (路上には殺人者が)

しかし、
Our life will never end (人生は決して終わらない)
Gotta love your man (恋人を愛せよ)
と歌う。

このアルバムは、彼らの出発であり、「終わりの始まり」であった。本当の意味で、彼らの”The End”の呪縛からの再出発がこのアルバムだったはずなのである。しかし、それは図らずも「始まりの終わり」となってしまった。
1st”The Doors”は、このラストアルバム”L.A. Woman”によって初めて出口への明かりを灯された。しかし、それは一筋の可能性の灯としか今では認識されない。そういう風にドアーズは幕を閉じる。それがドアーズの歴史であり、ひいては60年代ロックの行く末でもあったのだと、今では感じられるのである。


<追記>
気がつけば、このエントリーで記事数100件でした。
はやいもので、、、
ちょっと覚書:100件の記事 | 264件のコメント | 24件のトラックバック | 5,131アクセス数 (2005年5月4日 10:16)
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by onomichi1969 | 2005-05-04 04:41 | 70年代ロック | Trackback(1) | Comments(14)

semスキン用のアイコン01 JR西日本だけの問題ではない semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 03日

無邪気に振りかざされる正義にはうんざりする。
技術論と精神論、出来ることと出来ないことの判断が混在している。
マスコミの煽りにも反吐が出そうだ。

敢えて精神論を説くのなら、
JR西日本の姿は、この国のある一面を象徴している。
記者会見でまな板にのせられているのは、この国のモラリティであり、ノンモラリティである。

それを平気の平左で糾弾する。大きく嘆いてみせる。怒ってみせる。
そんなことでこの国の本当のねじれは見えてこない。

本当のねじれは個人の心の中にある。

被害意識も、加害意識も、
当事者として、傍観者として、
僕らは一旦、問題を引き受けて考えなければならない。
それがほんとうに了解するということだろう。

これは糾弾エンターテイメントではないのだ。

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ここで時事ネタを扱うつもりは全くなかったので、非公開にしていたけど、
やっぱり公開しとこ。さりげなく。
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by onomichi1969 | 2005-05-03 10:04 | 時事 | Trackback | Comments(0)

semスキン用のアイコン01 シカゴ "Chicago" semスキン用のアイコン02

  

2005年 05月 02日

a0035172_168137.jpgとても面白い映画だと思う。しかし、世間にはこういう映画を素直に楽しめない心情が存在するようだ。一体それはどういうことなのだろう? 

歌と踊りによって出演者達が自らの心情を躍動感と共に語る構成というのが、ミュージカル映画の手法である。しかし、このスタイルに馴染まない人もいる。(かく言う僕もその一人。。) 「ミュージカルはちょっと、、、」と、この映画に関しては単純に言ってはいけない。この映画は、突如として出演者が歌い、踊りだすというミュージカル的な不自然さを映画的に捉え直すことこそがテーマなのだから。
『シカゴ』では、心情の吐露や妄想や夢をミュージカル的に再構築し、その感情のディテールを描き出すことに重点を置いている。つまり、歌と踊りが感情の本質でもあり装飾を表現するのだ。ミュージカルシーンは映画の中にパッチワークのように展開されているが、それは現実の展開を決して阻害せず、その境界は明確で違和感がない。ある意味でその境界の明確な区切りは、心情と現実、本音と建前、内と外の区分であり、映画としては場面の2重性を指し示す。(つまり、場面展開の区分が明確であるが故に、突如として歌い、踊りだすというミュージカル的な不自然さをあまり感じないということだ。)
しかし、『シカゴ』の手法は、この明確な区分けが実は明確でないということを最終的には明確に僕らへ伝える、そのことが重要なのである。(それについては後述。)

ストーリーは陳腐である。僕はこの陳腐さ、オール・ザット・ジャズなストーリーこそがこの映画の手法を見事に生かしていると感じる。何故か? 2時間サスペンス調の陳腐なストーリーにもその単純さ故の人間的な深み、日常/非日常という揺らぎというものがあるはずなのであるが、通常、それは滑るようなストーリー展開の中で隠されている。しかし、この映画はそこに隠されているであろう様々な感情や状況の「断絶線」にフォーカスし、それをミュージカル的に(歌と踊りというが感情の本質でもあり装飾であるということをもって)明らかにしようとしているのである。

この映画の「映画的」たる所以は何か? この作品は、ミュージカルの映画版であるが、単純にミュージカルそのものと比較するという話にはならない。というか、映画となった場合、それは別物にしか成り得ない、というのが僕の考えである。大体、この映画はそんな歌と踊りの再現という従来のミュージカル的次元を超えることを目的として作られている。

最初に戻る。この映画は、現実とミュージカルシーンとの2重性により展開していくが、最終的に、その2つの展開を別々に捉えては理解できない部分が見えてくる。ミュージカルシーンでの心情の吐露や妄想が全くの装飾であり、嘘ではないか?と感じさせるシーンもあり、ミュージカルシーンのリアリティそのものが宙吊りされるような感覚に襲われるのである。しかし、この映画が図らずも表現し得たのは、実は現実とミュージカルシーンとの2重性、この2つ展開の擦れから地下水のように滲み出てきたある種の違和感、その断絶線から沸き出でる本質的な感情なのである。
最後の裁判シーンで、リチャード・ギア演じる弁護士がロキシーの日記についての弁明を行う。その際、彼はずっとタップを踊り続けている。彼はステップを刻み続けるが、それは、何というか、彼にとっての脅迫観念のようなものだったと僕は思う。『とにかく踊り続けるんだ。。。』 そういう声が彼の最も深いところから聞こえているということが、場面の擦れから、その断絶線から僕らに伝えられる。この映画がミュージカルというエンターテイメント性からハッキリと零れ落ちた場面である。(その後、ギアに言い訳を言わせるが。。)

結局のところ、この映画は、ミュージカルシーンによって心情と現実という区分を明確化するのだが、実際はそれによって明確化され得ないもの、2つ場面展開の擦れや捩れを克明に捉えることである種の表現を達成し得たのではないだろうか。その方法論こそ、これからの映画が目指すべきひとつの方向性ではないかとさえ僕は思う。

最後に、、、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの迫力ある歌声と踊りは素晴らしかったが、やっぱりレニー・ゼルウィガーの存在感もすごいナ。そういう愛すべき映画でもある。まぁ当然のことながら。。2002年アメリカ映画

『シカゴ』-goo映画-
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by onomichi1969 | 2005-05-02 13:14 | 海外の映画 | Trackback(1) | Comments(2)

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