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semスキン用のアイコン01 結核、、、病という意味 semスキン用のアイコン02

  

2009年 04月 15日

 スーザン・ソンターグの『隠喩としての病い』によれば、西欧では十八世紀中葉までに、結核はすでにロマンティックな連想を獲得していた。結核神話が広がったとき、俗物や成り上がり者にとって、結核こそ上品で、繊細で、感受性の豊かなことの指標となった。結核に病んだシェリーは、同じ病いのキーツに、「この肺病というやつは、きみにような素晴らしい詩を書く人をことさらに好むのです」と書いている。また、結核を病む者の顔は、貴族が権力ではなくなってイメージの問題になりかけた時代では、貴族的な容貌の新しいモデルとなった。
 ルネ・デュボスは、「当時は病気のムードがとても広まっていたため、健康はほとんど野蛮な趣味の徴候であるかのように考えられた」(田多井吉之介訳「健康という幻想」)といっている。感受性があると思いたい者は、むしろ結核になりたがった。バイロンは「私は肺病で死にたい」といったし、太って活動的なアレクサンドル・デュマは、弱々しい肺病やみにみせかけようとした。 
(柄谷行人『日本近代文学の起源』)


健康が何にもまして尊ばれる現代からは俄かに信じがたいことかもしれないけど、日本でも明治中期以降のロマン派の時代には、病気になってこそ人生に意味が見出され、それこそが近代的苦悩の象徴であると信じられた。健康であることほど非理性的で恥ずべき能天気さはなかったのである。特に結核はそのイメージからして、自意識の仄か、神学的な苦悩の影を纏う死病の花形だった。そこにあるのは正に「意味という病」、病こそが意味そのものだった時代の転倒以外の何ものでもないけど、まぁそれも文学ということで。

最近の結核ブームから、何やらロマンティックな文学的幻想を抱く輩は、、、まぁいないだろうけど。
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by onomichi1969 | 2009-04-15 00:23 | 時事 | Trackback | Comments(0)

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