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Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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2009年 02月 22日

歩いても 歩いても_a0035172_21334960.jpg映画の舞台となっている三浦海岸(のちょっと東の長沢近辺のようである)には半年ほど住んでいたことがあるので、画面に描かれる夏の終わりごろの色彩と空気の質感はとても懐かしいものがあった。
高台から見える青い海とその手前の街を走る京急電車の高架。所々に茂る緑。国道を跨ぐ歩道橋の向こうに広がる砂浜。海岸線の先には浦賀の岬、海の向こうには房総の山々。

とても印象に残る映画だった。
淡々とした日常の生活を描くものであるが、そこに確かな生の質量を感じる。言葉は単なるコミュニケーション手段であることを超えて、家族としての記憶を確実に紡いでいく。夫々が発する言葉は止め処なく拡散していくようにみえるけど、それは確実に風景として家族の歴史に刻まれる。

「人生はいつもちょっとだけ間に合わない」
この物語、僕ら40歳周辺のアラフォー世代にはとても身に詰まらされるものがある。親や兄弟との距離、子供との距離、家族の中の自分。子供の頃の記憶を自分の子供に重ねつつ、教育という名のもとに親としての役割を演じる。親の老いを見て人生を知り、また自らの老いへの予感に思いを馳せる。人生の中途だからこそ思うこと。
僕の父親は数年前に死んでしまったけど、彼が自分と同じような弱い人間で、人生の中の様々な引き合いの中で、いくつかの諦めがあり、手の負えなさがあり、それでも家族の為に必死に生きてきたという自負があり、それらのいろんな思いを僕は彼の死ぬ間際になってようやく実感した。子供の頃、学生の頃、そのことに気づいていたら、もっと違った関係を築くことができたのかもしれない、、、でも、人生とはそういうものなのだろう。大事なことは年をとって初めて気づく。その時に改めて本当の優しさというものを知るのだ。

観ている間、とても胸が詰まった。自らの記憶と重なり、言葉や風景が胸を塞ぐようだった。淡々とした物語なのに、様々な揺れを感じさせた。おじいちゃん役の原田芳雄、おばあちゃん役の樹木希林、あるときは人生の勁さ(つよさ)を、そしてあるときは弱さを感じさせ、そこに人間としての重みを見出させてくれた。ゴンチチの音楽もよい。

小津安二郎や成瀬巳喜男が描いた北鎌倉の風景が現代の三浦海岸の風景に重なる。全ては新しくなったけれど、確実に紡がれているものがあるのだなぁ。家族の歴史の中で、彼らの言葉の断片は記憶となり、風景となり、伝えられるのだなぁ。

あるレビューサイトにこの映画のエピローグは蛇足だと言うコメントがあったけど、僕の意見は全く違う。あのエピローグがあるからこそ、切り取られた1日の出来事が永遠の風景となったことを僕らは告げ知らされる。引き延ばされた瞬間という永遠。彼の人が亡くなり、新しい命が生まれる。その中で気づくこと。すばらしいエピローグだと思う。2008年日本映画

by onomichi1969 | 2009-02-22 21:59 | 日本の映画 | Trackback | Comments(0)

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