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2007年 07月 30日

結局、今回も投票に行かなかった。
(敢えて言うけど、それは何にも悪いことではない)

自民党と民主党のどちらを選べと言われたら、当然、自民党ということになるのだけど、安部内閣の掲げる政策の全てを承認できるわけではない。

とは言え、民主党という労働組合を支持母体とするような政党にマトモな政治ができるとも思えない。そもそもいつの間にか争点となっていた年金問題を民主党が解決できるわけがないし。(竹中元大臣が年金問題は労働問題だって言っていたナ) 民主党という政策的矛盾を抱えた政治団体はある意味で日本的なあいまいさの象徴的存在であり、過去の55年体制の焼き直しのような政党と位置づけられなくもない。であれば、なんとなくその存在意義も分かるが、でもそれは自民党も同じか。。。

やはり、、、2大政党制というものを本当に実行するのならば、自民党を2つに割る必要があるのではないだろうか。いわゆる自民党ハト派と呼ばれる保守本流と安部首相を筆頭とする保守傍流の2つの派閥グループである。大きな政府と小さな政府。労使協調且つ公共事業を是とするグループと規制緩和・競争主義を是とするグループ。(この辺りは昔ながらの区分けとならざるを得ないと思うのだが、他に分け方があるのだろうか?)

しかし、そのどちらかを選ばなければならなくなる(2大政党制)というのは、本当に正しい姿なのだろうか?

昔、自民党と社会党は共依存の関係にあったと言われる。
労使関係がそのまま自民党と社会党に分かれ、その共存こそが55年体制の本質でもあったわけだ。そういったぬるま湯の中で日本は戦後民主主義の名の下に経済中心主義の政策を取り、親方日の丸の護送船団方式、波風立てない対外的な融和主義、官民癒着、箱物行政・談合、等等、様々な問題を抱えながらもそれを是としてやってきたのである。憲法についても、自衛隊という明らかな軍隊の存在をどのように位置づけるのかというのは、国防上の重要な問題であるにも関わらず、戦後民主主義の立場はそれを「あいまいに」やり過ごしてきた。

近年、僕ら国民自身がそれらの問題を改善すべき問題として捉え、その改革を政府に求めるようになった。またグローバルスタンダードな考え方が、どっちつかずの、あいまいな立場への立脚を認めなくなり、それが盲信的な妥当として人々の共通認識となってしまった。そして、ここ数年、小泉、安部内閣になり、構造改革を旗印として、これまでの戦後民主主義的な国家の形(安部首相、曰く、「戦後レジーム」)が急速に変えられてきたことも事実。その中には上記に挙げたような様々な問題へのカウンターメジャーとして有効なものもあったし、それらはグローバルスタンダード(アメリカンスタンダード)の流れに確実にフィットしてきた。

これまでの戦後民主主義的な大きな政府としての機能から、近年、確実に小さな政府を志向する構造改革が進められてきている。政治だけでなく、社会全体が急速に能力主義、競争主義を当たり前のように受け入れ、その結果、格差(特に希望格差)の問題が新しい社会タームとして生まれてきたのだ。この小さい政府への志向が否応なく生み出す競争社会と格差の問題は僕らが思う以上にこれからの社会の中で重要な問題となっていくであろう。

小泉、安部内閣が推し進めてきた政策は、実のところ、この国のかたちを必然的に規定してしまうような重要な政治的志向を含んでいた。しかし、それは本当に国民的が合意が得られた上での選択だったのだろうか?たぶん、その性急的な流れに社会が戸惑い始めたのだろう。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ」 それが今回の参議院選挙の結果なのだと思う。
(憲法や戦後レジームの問題がすっかりと消えて、年金や政治と金などという瑣末な問題に対する安部政権への信任が争点となったこと、それは誰が誘導したのか? ここで言う社会とは、官庁やマスコミ、各種団体という本来的に世論を誘導できる立場の人々のことかもしれない)

何れにしろ、政党政治のあり方の中に、しっかりとした国家ビジョンの明確化は必要であり、その上での2大政党制への移行があると思うのだが、そのどちらかを完全に択一するのではなく、政府運営のあり方にもある程度の日本的な融和があるべきというのが理想だと思うが、どうだろうか?(都合よすぎるか。。。)

by onomichi1969 | 2007-07-30 00:43 | 時事 | Trackback | Comments(0)

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