Rock and Movie Reviews : The Wild and The Innocent

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semスキン用のアイコン01 Rocky と Rocky Balboa semスキン用のアイコン02

  

2007年 05月 01日

a0035172_0395067.jpg僕が『ロッキー』を観たのは20年ぶりくらいで、以前に観たのはテレビの洋画劇場での吹き替え版だったと思う。(当時はよくテレビでやっていたような気がするので) 久々に観る『ロッキー』の印象は以前のものとはだいぶ違い、前半の展開が素晴らしく、特にロッキーとエイドリアンのデートの場面、そのディテールの描写には胸が詰まらされた。ロック(岩)という名前の愚鈍な大男、自分の弱さを自覚しすぎるほど自覚している彼の発するセリフの一言一言がとても痛かった。だからこそ彼が孤独なトレーニングでひとりフィラデルフィア美術館の階段を駆け上がるシーンには感動したし、最後のファイティングシーンには涙を禁じえなかったのだと思う。
今回の感動の要因は僕自身が年を取ったというのもあるけれど、やはり作品を吹き替えでなくオリジナル(字幕)で観たことによるのだろう。スタローンの滑舌の悪い、少し頭の弱いイタリア移民のゴロツキをイメージしたような口調、その台詞回しがあってこそ、この作品のよさが出るのだと思う。(日本語の吹き替えでは少し違った映画になってしまうようだ)

この作品は、ボクシング映画であると共に、ロックとエイドリアンの孤独と恋愛の物語でもある。(主役の二人は決して美男美女とは言えないが、これは礫(れき)とした恋愛映画であると思う。後年の『グッバイ・ガール』や『アニー・ホール』もそうだけど、この時期には美男美女が出てくる正統的な恋愛映画というものが極端に否定された時代かもしれない) ロッキーは孤独であった。彼にはボクシングしかなかったが、30歳になって、彼にはもう闘う気持ちがなくなりかけていた。チャンプになって金が稼げれば違っていたろうが、引退を勧告された彼にもう闘い続ける理由が見出せなかったのである。ボクシングが全てだったロッキーにとって、ボクシングを失うということはどういうことだろう。優しさ故にゴロツキにもなりきれず、中途半端な自分の境遇を持て余すしかなかったロック。そんな彼がエイドリアンと付き合うようになったのは、エイドリアンもロッキーと同じように孤独だったからである。二人は都市の下層に息を潜めるように生きてきたけれど、自分が孤独であることを知り、そしてそれが癒されることの可能性を捨てなかった。だからこそ、二人はお互いを理解し合い、深く求め合い、そして優しさをもって付き合うことができたのだ。

そんな彼らに千載一遇のチャンスが到来する。ロッキーが偶然にも世界チャンピオンのアポロから挑戦者に指名されるのである。それは、彼にとって新しい闘う理由だった。チャンピオンへの挑戦、それは彼のとって闘いへのモチベーションとしては十分すぎるものだったはず。だが、本当にそうだったのだろうか。

彼は15ラウンドをアポロと闘い抜き、惜しくも判定で敗れてしまうが、その闘いぶりは戦前の評価を覆す、王者アポロをKO手前まで追い詰める大善戦だった。闘いが終わり、インタビュアーやカメラがロッキーを取り囲こむが、そんな状況には目もくれず、殴られ続けてボロボロになった彼はただ叫ぶ。「エイドリアン!」 そして、エイドリアンがロッキーに駆け寄る。

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Rocky: Adrian! Hey, where's your hat?
<エイドリアンの帽子がロッキーに走り寄る際に脱げてしまったのをロッキーが気にして言う>
Adrian: I love you! <ロッキーに抱きついて>
Rocky: I love you!

彼は何のために、誰のために闘ったのだろう。『ロッキー』はやはり『ロッキー』で完結すべき話だったように僕は思う。ロッキー2も3も4も5も『ロッキー』とは別ものの話である。何故なら、ロッキーに元々必要だったのは勝利ではなく、やり遂げること、それをエイドリアンに認めてもらいたかった、そのことだけだったからである。それは何故か?だって、ロッキーにはエイドリアンしかいなかったし、エイドリアンにもロックしかいなかった。二人はそれまで孤独だったから。(それはもちろんフィラデルフィアの為でもアメリカの為でもない。それらの声援とは無縁の二人だけの世界、そういう作品だったのである。最初は、、、) セリフだけ見たら洒落た恋愛映画のようなラストシーンに込められた思いは、この映画が単なるアメリカンドリームを体現したスポ根映画であることを超えて、超個人主義的な純愛映画であるとともに、そんな純愛を別種の可能性へと高らかに昇華させてみせたアカルイミライな人生賛歌であることを示している。そして、その物語は僕の胸にキリキリと切実に響くのだ。(スポーツ映画としては、同じような味わいを『ナチュラル』にも感じたナ)


a0035172_9515521.jpgさて『ロッキー・ザ・ファイナル』である。この映画の原題は”ROCKY BALBOA”なので、まだファイナルとは決まったわけではない(と思う)。大体、前作が『最後のドラマ』だったはずなのにまたファイナルかよ。。。と、まぁそんなことはどうでもいいか。

実は、『ロッキー・ザ・ファイナル』こそは『ロッキー』の30年ぶりの続編(2~5を飛び越して)として捉えるのが妥当なのではないだろうか。この映画では冒頭から『ロッキー』の名場面がその所縁の場所とともになぞられて、当時の映像がフラッシュバックされ、かつロッキー自らの口からその思い出話が語られる。『ロッキー』の端役であったスパイダー・リコ(ロッキーに故意のバッティングを食らわせ、逆にKOされる作品最初の対戦相手)やリトル・マリー(酒場からロッキーに連れ戻され、道すがら説教を受けるが最後の最後でロッキーに悪態をつく不良少女)が印象的な役として30年を隔てて蘇る。まさに『ロッキー・ザ・ファイナル』は『ロッキー』へのオマージュとして作られた作品であることが僕らに示されるのである。

この作品で60歳になるはずのロッキーは、エイドリアンを失ったことにより、もう一度ボクシングの試合を志すことになる。(『ロッキー』では、ボクシングを失いそうになることにより、エイドリアンを得るのとは逆) 自らの闘う理由は自身にもよく分からないが、ただ胸の熱いたぎりのようなものがそうさせるのだと。まだまだ自分は闘える、年はとっても自分は死んじゃいないんだと。ボクシングの世界チャンピオンとのエキシビジョンマッチが決定するに及んで、彼の中にもう一度、30年前、当時の心情が去来したことは想像に難くない。心が離れつつあった息子とも自らの生き様をぶつけることによってもう一度心を通わすことができ、リトル・マリーとの新たなロマンス(のようなもの)も生まれた。
彼にはもうエイドリアンはいないが、血の通う息子がいるし、親友のポーリーもいる。リトル・マリー親子と新しい犬のパンチーもいる。そういった家族的な関係がロッキーの新たな闘う可能性であり、生きる糧となったのである。
試合は最後に『ロッキー』と同じように判定1-2で破れるが、闘い終えたロッキーは冷静に闘いを振り返り、結果も聞かずにリングを降りる。

はっきり言えば、『ロッキー・ザ・ファイナル』は、30年ぶりの『ロッキー』の焼き直しである。確かに30年の年月は鈍重で長い。60歳のスタローンがもう一度『ロッキー』の世界を再現する、そのことに対する世間の手放しの賞賛もよく理解できるが、やはりボクシングはそんなに甘くない。本来それは自分自身に対する大きな投企であり、そこから湧き上がる歓喜であり、それを飲み込む恐怖であるべきものである。当然のことながら60歳のロッキーは若くないし、ある種の生き難さ、もどかしさ、焦燥感、人生に対するラディカルな切実感も30年前に比べて薄い。(そういうものを全て包んでくれたエイドリアンもいない) しかし、まぁそれはそれでいいのかもしれないと僕は思っている。それが今回の60歳のロッキーなのだから。

僕らが『ロッキー・ザ・ファイナル』に団塊の世代、ベビーブーマー達の人生の岐路、第2の人生とでも言うべきイメージを重ね合わせてみてしまうのは致し方ない。もちろん、ロッキーの言葉はとても説得的なので世代を超えた共感も得られるだろう。しかし、逆に言えば、それが『ロッキー』から30年という年輪を経た現代の教訓的な教条主義(お説教)でしかなく、この物語は結局のところ、(60歳のプロボクサーと世界チャンプとの接戦という破天荒さとは別に)そんな教科書的なハートフル・ストーリーの枠組みに行儀よく収まってしまうように思える。また別の見方として、この映画は、60歳のロッキーが30年前の自分の姿をなぞってみせたものの、そこにかつての切実感はもうなく、失われた熱情だけがあった、というように僕には思えた。確かにそれが年をとるということであり、それは否応なく受け入れざるを得ないことなのだ。
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by onomichi1969 | 2007-05-01 01:39 | 海外の映画 | Trackback(4) | Comments(4)

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Commented by lonehawk at 2007-05-02 11:10
こんにちは!
昨日ようやく劇場で『ロッキー・ザ・ファイナル』を観ることが出来ました。
何だかんだと色々ツッコミしたい箇所もありましたが、内容的には普通に楽しめましたね。
でも、改めて1作目はスゴかったんだなぁ・・・とも感じましたけど。
Commented by onomichi1969 at 2007-05-02 23:09
lonehawkさん、こんばんわ。
そうですよね~。やっぱり1作目はすごかった!まぁ何でもそうなんですけどね。次はランボーらしいですけど、あの荒くれ者の殺人マシーン、ランボーも年をとっていい人になっちゃうんでしょうか。。。
Commented by 晴薫 at 2007-05-19 22:15 x
>ロックとエイドリアンの孤独と恋愛の物語でもある。
俺も激しくそう思う!
この二人のギコチナイ恋愛シーンは、涙がでるほど大好きだ!

純情と怖れ!
愛はこうでなくっちゃね、と思う。
Commented by onomichi1969 at 2007-05-20 12:28
晴薫さん、こんにちわ。

ロッキーはやっぱり『ロッキー』ですね。
エイドリアンを部屋に誘ったロッキーがさりげなくも大胆にマッチョで迫るシーンが僕は好きです。最高の恋愛映画ですね。これは。
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