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semスキン用のアイコン01 パフューム ある人殺しの物語 "Perfume: The Story of a Murderer" semスキン用のアイコン02

  

2007年 04月 08日

a0035172_191634.jpg『パフューム ある人殺しの物語』を観てしまった。。。この映画にはサイト上でも賛否両論があって、その両極端なのがとても興味をそそってはいたのだが、映像のグロさも含めて、「観るな」といわれると観たくなる。『ブルーベルベット』のカイル君に限らず、人間というのはそういうものだから、仕方ないのだ。
ということで、映画を観終わって、、、う~ん、後悔はしなかったけれど、かなり「どんより」とした気持ちになったのは確かである。但し、「何なんだこれは?!」という気持ちであれば、他の映画(駄作!)でもたくさん経験しているが、その「何なんだこれは?!」という気持ちがいつまでもじわじわと、しかも暗澹(あんたん)と続くのは、なかなか味わえない質のものである。もしそれが意図的であるとしたら、とんでもない映画なのかもしれない、これは。

まず、この物語、副題に『ある人殺しの物語』とあるが、実はそこに「物語」がない。僕が鑑賞中に感じた(そして鑑賞後に続いた)「どんより」感の由来はそこにある。
主人公は匂いのない人物として設定されているが、その自己の希薄さは、「こころ」がない、「精神」がないことと相似である。故に、彼には自分のための物語、自己と他者を繋ぐ物語が一切ない。そしてそれを作り上げようという意思すらないのである。映画は、主人公が次々と殺人を犯していくのと同時に、13人目の被害者となる女性の日常をも映し、その接点ともいうべき二人の邂逅の過程をドラマチックに描いていくが、その邂逅自体のドラマ性をあっさりと否定してみせる。

では、彼は何を目指していたのだろうか? そう、彼は世界を目指したのである。彼は香水によって、香りによって、世界を動かしてみせる。その現実性うんぬんは別にして、非物語的で即物的な「パフューム」によって人心を把握する(「愛情」ともいうべき)幻想を顕現してみせるのである。
彼は「パフューム」によって世界を動かすが、最終的にそれを受け入れることができない自分を発見するに至る。それこそがこの映画の救いなのであろうか。
非物語的な幻想への失望。そこにこの映画の映画的なリアリズムを見なければいけないのかもしれないが、世の中(現実の自己)はそう簡単にはひっくり返らないのではないか。主人公が群集を前にして流す「涙」に僕は全くと言っていいほどリアリティを感じなかった。僕らの世は無知にあえぐ18世紀のパリではない。情報過多の21世紀の日本である。同じような非物語で貫かれた世界でありながら、そのバックグラウンドとなるべき現実感には決定的な違いがあるような気がした。
主人公が流す涙のリアリティをそれを誰もが理解しないという現代性に通じる現実によって否定してみせる。もし、そうであれば、僕はこの映画のすごさを感じるが、その辺りの意図はよく分からない。いずれにしろ、そういった構造分析的な意匠では僕らの「こころ」を響かすことができないことだけは確かである。

最近、東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』という本を読んで、同じように「どんより」とした気持ちになったが、彼が提唱する「物語の死」とか「物語の衰退」と呼ばれるポストモダン的な状況やデータベース化した環境下での新しいコミュニケーション社会とそれを前提とせざるを得ない新しい批評体系というのはとても理解できるが、そこには全くと言っていいほど、「こころ」に響くものがない。
この「どんより」感はもう自明であり、仕方のないものなのかもしれないが、僕らはいつかその「どんより」感の中でもゲーム的リアリズムによって「こころ」をふるわせる日がくるのであろうか。そういうことを想起すると、また「どんより」としてくる。。。2006年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2007-04-08 22:59 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

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