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semスキン用のアイコン01 男たちの大和 YAMATO semスキン用のアイコン02

  

2006年 02月 12日

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乗組員3,333人の内、生存者はたったの300余名。それが史実「戦艦大和の最期」における最も明白な事実であろう。
戦闘とは、技術によって敵を殺戮する行為である。第一次世界大戦以来、戦闘が大量殺戮を競うようになると、兵器には高度なオペレーションが必要となり、各戦闘員がプロダクションとも言うべき兵器オペレーションのそれぞれの断片を担うようになる。作家山本七平が戦闘というものを「何が起こったのかなんて全く分からないまま、気がつくと周りが死体だらけだった」という現実として捉えていたように、各戦闘員はそれぞれの持ち場での役割をこなすのに精一杯で、各人が戦闘そのものを総体として捉えるのは無理な話だと言われる。大和の戦闘員の多くがその断片を抱えたまま死んでしまった現在、そのジグソーパズルを完成するのは不可能であり、大和での戦闘の実体というのは結局のところよく分かっていないというのが実際のところなのだろう。大体、大和の沈没場所自体、判明したのは戦後20年以上も経ってからだ。大和での戦闘に限らず、戦場で生まれたであろう多くの物語は、死者と共に失われてしまったと考えるべきなのだ。僕らは様々な資料、もちろん生存者たちのインタビューを基にしたドキュメント小説とでもいうべき辺見じゅんの『男たちの大和』や吉田満の本によっていくつかの大和の物語を知ることができるが、やはりそれは断片でしかない。大和がどのようにして撃沈されたか、それはもう永遠に知ることができないのかもしれないし、彼らがどのような思いで闘い、死んでいったのか、それも結局のところ、その僅かな断片を知りえるのみなのである。
ひとりの士官が書いたルポによって大和の最期が全て記録できるとはとても思えないし、ましてや大和とは何か、などというものを総括できるわけがない。大和とは乗組員3,333人に限らず、その他多くの関係者の様々な物語の総体としてあり、その多くはもはや失われてしまったのだ。そして残ったのは神話である。それは吉田満『戦艦大和ノ最期』によって作られたものもあるだろう、また、太平洋戦争を通して日本人が拠り所とせざるを得なかった幻想がいまだに語られ続けているものもあるであろう。しかし、それはあくまで神話である。僕らは戦争というもの考えるとき、そのことを肝に銘じる必要がある。

戦場において、実際の戦闘の占める割合というのはそれほど高くないと言われる。戦場には戦闘以外にも様々物語がある。(これは山本七平もよく指摘することだが。。) 実際のところ、大和の乗組員でも一切の殺戮現場に遭遇していない生還者はいるし、大和における本当の地獄は沈没後の海上において繰り広げられたとも言われ、その他にも日常的に行われた常軌を逸した上官によるしごきや訓練など、戦闘以上に辛い出来事は腐るほどあった。(それは陸軍においてもっと顕著だろうが。) その点、小説『男たちの大和』は多くの生還者からのインタビューによって、戦闘以外についても彼ら大和乗組員たちの史実をよく伝えている。このドキュメンタリー小説にも実際の大和での戦闘シーンは少なく、その多くは4月7日以前の物語とその後日談で占められるのである。
映画についても同様に、大和での戦闘シーンにもはや期待すべきものはないと言えようか。(されば兵器オペレーションの詳細を描くことしかできないだろう。) この映画は戦闘シーンを無理に描写するよりも、兵員、特に年少兵達に焦点を当て、彼らの青春群像として大和の物語を再構築した点がとても清々しく、これは青春映画としても出色の出来であると僕は思う。(そう、この映画は紛れもなく青春映画である) ある意味で、そういった群像にこそ、ほんとうの大和の物語、その断片の輝きがあると思うのだ。

「死ヲ決シテ特攻隊員トナリタルハ何故ナリヤ」
これは大和の乗組員であった八杉氏(当時18歳)が停戦時に立てた問いである。兵員に限らず、多くの下士官、仕官、あるいは上層部の人間さえもが戦中戦後を通してこの問いに囚われたはずだと僕は思う。しかし、多くの者達、いや殆んど全ての者達は、実際に特攻で死んでいった者や生き残った者も含め、その問いの答えを見つけることができずにその生を終えていったのではなかったか? 有名な学徒兵の手記『きけわだつみのこえ』を読めば僕らはそこに戦争に対する多くの煩悶、怒りと哀しみを見出すことができ、今でもその言葉に接すれば胸がふるえ、溢れる涙を禁じえない。もちろん、そういった煩悶は死んでいった学徒兵だけではない。

戦後になって、「大和」の話をしたとき、「あんた、あんなに大勢死んどるのに、なんで死んでこんかった」と村の者に言われた。その人は泉本よりずっと若く、むろん戦争に征っていない。それ以来、「大和」のことは口にすまいと思うようになった。

大和の電探兵泉本氏の戦後の談話は戦争で「死んだ者」と「死に損なった者」(そして「残された者」)という対比を明確にする。生き残った者は死んだ者の代わりにはなれない。しかし、彼らは常に死んだ者に対して何をすべきなのかと思いつめ、或は生き残ったことの後悔に煩悶する。そこにあるのは紙一重の生死、その運命とも言うべき「生」を死に引き換えて受け止めざるを得なかった結果なのである。本来、生きることに罪はないはずなのだ。

吉田満『戦艦大和ノ最期』にも記される臼淵大尉の有名な言葉。これは映画でもひとつのメッセージとして明確な意図をもって語られる。

進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ
敗レテ目覚メル ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 今目覚メズシテイツ救ワレルカ
俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ

こういった言説に多くの生還者が自らの生き方を照らし合わせて煩悶したであろうことは想像に難くない。この臼淵大尉の言葉は終戦直後にこそ意味があったが、それは大和と大和の戦死者を確実に神話化した。(三島由紀夫の『英霊の声』はその神話を神話の内側から解体した。それが文学的心情というものだろう。)
今、これらの神話は解体され、大和の乗組員達、或は戦争体験者達のそれぞれの個々の物語へと還元すべきなのだと僕は思う。もちろんそこに答えはない。しかし僕らはそれらの物語を自分自身の水脈へと引き込むことができる。それは僕らが僕らの物語を培う為の土壌を用意するのだ。
日本は太平洋戦争の敗戦を礎にして、大きなパラダイムチェンジの末に新生したが、そこに現われたもの、新しい日本的なものとは一体何だろうか?

「死ヲ決シテ特攻隊員トナリタルハ何故ナリヤ」
吉本隆明は戦後、この問いに対する突き詰めの末に『共同幻想論』を書き、アジア的なるものを提唱した。吉本隆明が自らの戦争体験からの切実なる問いを礎として思想したことに僕らは説得される。ある意味で、「戦争とは?」ということがマクロな視点で語られるときにこそ不穏な断定や様々な懐疑を伴うものだと感じる。僕らもこの問いについて個人的に考えることから始めたらいいのではないか。
僕は戦争の為に死にたくない。国家の為に死にたくない。しかし、家族の為、クニの為、それらのものを守る為になら喜んで死のう。そして、そのことを国家や天皇と同義として納得して死ぬ。それは無駄死にではなく、新生日本の魁として死ぬのだ。。。本当だろうか。
日本に対する信、それが神話として機能していた時代。そうではない現代。僕らはその60年前の出来事に対して、彼らの結論を反芻しそれに対して煩悶するよりも、その問いを現代に現代の心情として引き受けて考えることから始めるしかないのではないか。僕はそう思う。2005年日本映画

みんなのシネマレビュー 『男たちの大和 YAMATO』

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by onomichi1969 | 2006-02-12 21:41 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

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Tracked from ブログ人 at 2009-04-30 04:59
タイトル :  2 映画 「戦艦・大和」  (3)
       ブログ小説              夕陽・少年隊        ... more
Commented by taisavillage at 2006-02-17 18:52
長渕の歌が最高ですよね。
私は「地獄の黙示録」が好きです。
Commented by もりたん at 2006-02-18 04:13 x
今すごく気になってる映画です<男たちの大和
たぶんハンカチが必要になると思う(´Д⊂グスン
太平洋戦争の体験記やテレビ番組などを見るのが好きなワタシなので、
この映画は見逃せないと思ってマス。
余談ですが去年の秋、靖国神社に行ってきましたw
あそこの戦争記念館に行ってきたのです。とても考えさせられましたね。
そしてその帰り、神社内にある売店に立ち寄ったら、すごいお土産のまんじゅうを発見!
なんと、「小泉まんじゅう」ってのが売ってたんですよ~( ̄m ̄*)
まんじゅうの焼印に小泉サンの似顔絵があるんですww
パッケージには小泉サンの似顔絵と共に、チルドレンたちの絵も描かれてました( ̄m ̄*)
記念館でしみじみと深く考えた後だったので拍子抜けしてしまいましたw
Commented by onomichi1969 at 2006-02-19 05:31
taisvillage様、
僕も「地獄の黙示録」は大好きな作品です。。
こちらをどうぞ↓
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=1058&SELECT=20525#HIT
Commented by onomichi1969 at 2006-02-19 05:48
もりたんさん、こんばんわ。
映画へのコメント、有難うございます。
靖国神社、及びそれに纏わる物語というのはある意味で「現代的神話」となりつつあると思います。非常に難しい問題ですが、僕は基本的にそういう類のものは解体すべきなのだろうと思っています。
日本という精神の拠り所を靖国や武士道に求めるような考え方が最近流行っていますが、日本人の精神性って本当はもっと根深い所にあるのだという気がします。その根っこが自分自身と繋がるような感覚がなければ精神というものに対する本当の実感はないのでしょう。
日本は御霊信仰の国とも呼ばれますが、日本人の死生観としてはこちらの方がしっくりきますね。
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