転校生
2006年 01月 07日
『転校生』とは、一夫と一美の「入れ替わり」というファンタジックな状況を設定することにより、思春期特有の男女の様々な心の揺れ、その微妙さをデフォルメした形で鮮やかに、そしてシリアスに取り出した青春物語である。。。と一般的に考えられているが、同時にこれは、当時、役者とも呼べないような普通の男の子と女の子、そう尾美としのりと小林聡美という2人のリアルにさざめく表情と彼らが演ずることを通して仄かに立ちのぼる何がしかの違和を克明に捉えたドキュメントであり、作品というテクストを超えた2人の演者の「実像」を捉えた記録そのものだったのではないか、と僕は思う。
もちろん、2人の「実像」というのは、これが真実の姿というわけではなく、あくまで僕が鑑賞中に感じ続けた「実像」である。僕らは作品を超えて、演者としての小林聡美の像を観ており、そこから立ちのぼる違和のさざめきを感じているのである。だからこそ、この作品は、僕らにある感動を届けるのではないだろうか。おそらくこれは大林監督の意図でもあるだろう。ある意味で、アイドル映画のように、アイドルとしての像という作品としての外部の像を軸として映画が成り立つことに僕らが得も言われぬ違和感、作品としての破錠を見るのと同じように、というかそれを全く逆手にとって、最初から確信犯的に、作品の破錠を覚悟で監督はこの映画をそのように撮っていると感じるのである。
久しぶりに『転校生』を観て、僕はこのように感じたが、それは同時に演ずること、装うことに対する最もエッセンシャルな感慨を僕らに届ける。それを簡単に言えば、「恥ずかしさ」と「その乗り越え」「新たな不安」である。当時の全くアマチュアたる彼らの演技から立ちのぼるさざめきの表情と揺れこそは、役柄を超えた彼ら自身のリアルなものとして僕らに共感を伴う感慨をもたらすのである。1982年日本映画(2005-01-09)
みんなのシネマレビュー 『転校生』
by onomichi1969 | 2006-01-07 15:54 | 日本の映画 | Trackback | Comments(4)
原作の「おれがあいつであいつがおれで」を小学生のときに読んで、感想文を書いたこともありました(遠い目)
突然、「性」が入れ替わってしまった、幼なじみのふたり。
最初は、戸惑いとか、苛立ちばかりだったのだけど・・・
段々と、お互いに対する「思いやり」とか「いたわりの気持ち」が生まれてくる描写がたまらんのです。
ラストの一夫の撮影する8ミリの中の小林聡美に~( ´Д⊂
泣いてるのかなぁ・・・と思ったら、突然スキップ! 大林監督うまいぜ!
尾美としのりと富田やすこの「さびしんぼう」も良かったぁ~
この原作を元にした少女漫画が70年代の頃にあったのですが、
月刊なかよしに連載された、いでまゆみ先生のw、
「僕が彼女で彼女が僕で」ってマンガだったと記憶してますがw、
このマンガも相当に好きでした(超・遠い目…w)
70年代の少女漫画ですか。
そりゃまた超超・遠い目ですねぇ、、というか知りませんでした。。。そのような漫画があったとわ!さすがです。
原作よりも題名がマイルドになって、なんというか少し僕好みです。