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2005年 11月 07日

a0035172_234912.jpg三島由紀夫の『春の雪』は恋愛小説である。と同時に欲望と精神の総合小説とも言うべき『豊饒の海』の第一部を構成する。『春の雪』は、独立した作品としても十分に読め、ここには三島由紀夫の恋愛観が見事に顕現している。その骨子は、恋愛が自意識の劇であり、鏡であること、そしてその究極には不可能性という可能性への期待があり、それが刹那に超越され、持続しないことにある。『春の雪』はそういった恋愛の本質をよく捉えた小説であると共に、自意識が恋愛という観念に結実した美しくも悲しい、と同時に奇跡的に幸福な小説なのである。
しかし、この小説がさらに僕らに深く静かな響きをもたらすとすれば、ヒロイン聡子が第四部の最後に月修寺門跡として再登場した際の台詞こそがそれであり、この後付のイメージこそが僕にはこの恋愛小説の本質を揺るぎないものにしていると感じるのである。

「そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか?何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもあられなんだ、ということではありませんか? その清顕という方には、本多さん、あなたはほんまにこの世でお会いにならしゃったのですか?」

確かに最初にこの最終部を読んだ時はショックを受けたものだが、実はこの部分こそが『豊饒の海』の各部のテーマを強固に「肯定」しているのであり、決して本多が感じたように否定的には捕らえてはいけないのだと今では思うのである。何もないという無。本多が辿りついた「記憶もなければ何もないところ」というのは決して虚無的なものではなく、正に豊饒の寂漠であり、全ての生きる源泉となる無として読むべきであり、その静謐さにこそ僕らは感動すべきなのだろう。虚無は常に「不幸の意識」を呼び起こすが、ここでの静謐な無、月修寺の寂漠の庭はあくまで幸福の源泉なのだと考えたい。それこそが「心々」なのだと。門跡による清顕の存在否定をそのままの意味で解釈したら、ある意味で『春の雪』をも否定してしまうことになる。それは間違いだ。だからこそ、この『春の雪』を『豊饒の海』という転生小説から一旦切り離してみるというスタンスはあながち間違いではないと思えるのだ。

『春の雪』は完全に単独の作品として映画化された。
僕は以前より映画化を期待する小説として、この『春の雪』を挙げていたが、理由はこの小説の様々なシーン、その背景がとても映像的であると常々感じていたからである。そして、今日この映画化作品を劇場で観て、我が意を得たりとでも言おうか、その映像美にはとても魅せられたし、主演の2人もイメージ通りで、この映画が目指す映像世界にとてもフィットしていたと思う。
三島の小説世界をとても美しく映像化し得た、この映画の監督の手腕を僕は褒めたい。幌車での雪見のシーン、旅館での逢瀬のシーン、どれも期待以上の出来であった。それを認めた上で僕は敢えて言いたい。

やはり、『春の雪』は小説を読むべきだと。

映画『春の雪』を一個の作品として認めるが、それが言説として完結してしまうほど、『春の雪』という作品の本質は多様ではなく、そして深い。2005年日本映画

みんなのシネマレビュー 『春の雪』
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by onomichi1969 | 2005-11-07 00:11 | 日本の映画 | Trackback(1) | Comments(4)

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Tracked from シェークスピアの猫 at 2012-09-04 15:01
タイトル : 三島由紀夫「春の雪」
三島由紀夫「豊饒の海」より、「春の雪」 The sea of Fertility, a cycle of Novels; "Spring Snow”, written by Yukio Mishima Charles E Tuttle Company Tokyo, Japan. Kimitake Hiraoka was born in Yotsuya, Tokyo in 1925. While he was in Gakushuuin high school, he appeared as ...... more
Commented by ルナ☆ at 2005-11-11 11:20 x
onomichiさま、こんにちは。
onomichiさまのレビューが素晴らしすぎて、気絶しそうになったルナ☆です。特に「月修寺の寂漠の庭は幸福の源泉」と仰るところが、ここ数日頭を離れません。

映画の方は私も先日観てまいりましたが、とても楽しく観ることができましたし、好感も持てました。でも、劇中でエルンスト・ルビッチの「パッション」が上映されていましたが、この「春の雪」という映画はまさにpassionが感じられなかった…と思ってしまいました。エンディングの曲もちょっと違うし(笑)。

「豊饒の海」についてもいろいろ考えてしまいましたが…。「暁の寺」で執拗なくらい語られている「それでも世界は存在しなければならないのだ」という部分がとても迫ってくるので…また近々じっくり読んでみたいと思います。

とにかくルナ☆は、onomichiさんの素晴らしい文章に感動しています。
Commented by onomichi1969 at 2005-11-12 03:09
ルナ☆さま、、、褒めすぎ。
とはいえ、コメント素直に嬉しいです。有難うございまーす。

最近、ヴァレリーについての文章を読みました。

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そこでわたしは夢想した、もっとも強靭な頭脳、もっとも明敏な発明家、もっとも正確に思想を認識するひとは、かならずや、無名のひと、おのれを出し惜しむひと、告白することなく死んでゆくひとにちがいない、と。

それは、透明な生活を営んでまったくひとめにつかず、孤独に生きて、世のだれよりも先がけて理を知っているひとたちだ。無名に生きながら、彼らはいかなる著名な人物をも二倍に、三倍に、数倍にも偉大にした人物だとわたしに思えた。
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いわゆる「社会化されえない私」です。
(また、生活者の孤独、あるいは生活者たらんとして、生活者たりえぬ者の孤独)
 
Commented by onomichi1969 at 2005-11-12 03:11
大昔、僕もそんなことをよく考えていて、最近、ブログで文章を書き始めたときに、そんな昔を思い出しつつ、また同じような思いに囚われていたような気がします。でも、そうは言っても、やっぱり、単純に褒められると嬉しい。それこそがネットで何かを書くということの期待感なのでしょうね。

・・・そのことを言うだけのために、また引用を重ねてしまいました。。。
Commented by stefanlily at 2012-09-04 15:04
トラックバック送りました、宜しくお願い致します。映画は未見です、キャスティング不満で。20代の頃の窪塚洋介、宮沢りえか松たか子ですね。今なら佐藤健、くつなしおり。庶民的だけど彼らは美貌と演技力と繊細さでカヴァーできます。清顕には美貌と気品、狂気が無くてはなりませんから。
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