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semスキン用のアイコン01 村上春樹 『東京奇譚集~品川猿~』 semスキン用のアイコン02

  

2005年 10月 08日

a0035172_19294661.jpg村上春樹の小説では、『ダンス・ダンス・ダンス』が好きで、特に印象に残っているのは五反田君を巡る物語である。僕は、それ以降の作品でも知らず知らずのうちに五反田君の行方を追うようになった。
五反田君が初登場したのは、『ダンス・ダンス・ダンス』よりも前の『納屋を焼く』という短編である。(正確には五反田君的人物であるが、、) 『納屋を焼く』は、近所の納屋を放火してまわる人物の独白が描かれるのであるが、無用の納屋の放火という牧歌的犯罪とは全く対照的に、この物語が僕らに不気味な底知れなさを与えるのは、「納屋を焼く」ことが「女の子をレイプして殺害する」という不条理で性的な殺人行為を暗示するからだと言われる。確かにこの人物と付き合っていた女の子が最後に音信不通となることがそのことを僕らに想起させる。
このメタファーは既によく知られており、その衝動的且つ計画的な犯罪行為のひとつの可能性として納得できるものである。その辺りは解釈の問題であるが、重要なのは、『納屋を焼く』という短編が「人間の底知れなさ」を暗示的に示すことによって、その恐怖感をよく描いているということである。
「心の闇」を背負い、常にそれと葛藤しながら、悪に引き摺られる人物が五反田君の原型であり、それは善良なもう一つの顔、エリートで仕事ができ、誰からも好感を持たれるポジとしての面、傍からはその正体が全く分からないという恐ろしさが大きな特徴なのである。

『納屋を焼く』は、「女の子をレイプして殺害する」ことを暗示させて、読み手に受動的な恐怖感を与えるのと同時に、自分も五反田君の側に立つ人間なのかもしれないという主体的恐怖をも感じさせる。だからこそ、『ダンス・ダンス・ダンス』以降の五反田君の行方が僕は気になるのだ。

五反田君は、『ねじまき鳥クロニクル』で綿谷ノボルになり、『海辺のカフカ』ではジョニー・ウォーカーに変遷していく。実は五反田君的人物はいつの間にか綿谷的人物に変節しており、その性質は既に完全に変化しているのである。つまり、五反田君的悪は、その葛藤を失い、着実に純化している。五反田君的葛藤はもう小説として、時代的な説得力がないのであろうか?

村上春樹の新作『東京奇譚集』の最後の書き下ろし作「品川猿」には久々に五反田君的人物、松中優子が描かれる。しかし、松中優子の葛藤、その「心の闇」はこの短編のメインテーマから確実に外れている。言うまでもなく、この短編の主旋律は、主人公、安藤みずきの心のデタッチメントの気付きであり、その快復である。愛されない子供が如何にして人を赦し、自らを快復できるのか、これは『海辺のカフカ』のテーマを引き継いだ形となっており、引いてはこれまでの一人称小説の主人公が持っていた虚無感という無根拠の根拠を明らかにしようという試みでもある。それはとても大切なことだし、その心の由来もよく分かる。
しかし、それでも僕はこの短編の松中優子の存在、森の中で自らの手首を切り刻み血まみれで死んだ彼女の葛藤の行方を知りたいと思う。それはこの小説でもやはり描かれない。

僕は村上春樹の次作には改めて五反田君の行く末を期待したいと思う。そうでなければ、象は永遠に草原に還ることができないのだ。。。五反田君的煩悶と葛藤は今でもリアリティがあるし、そのリアルさを投げ捨ててはいけないと僕は思う。
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by onomichi1969 | 2005-10-08 01:38 | | Trackback | Comments(0)

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