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semスキン用のアイコン01 東浩紀 『一般意志2.0』 semスキン用のアイコン02

  

2012年 01月 18日

東浩紀 『一般意志2.0』_a0035172_22562238.jpgなかなか衝撃的な内容の本であった。

主要作しか読んだことがないけれど、東浩紀の本は、どれも斬新である。但し、その読後感はいつもどんよりとしていた。書いてある内容は説得的でいちいち納得するし、現状認識として正しいと思うけど、彼の描くデータベース消費とかゲーム的リアリズムといった概念の中に、僕は日本のアカルイミライが全く見えなかったのである。確かに、ポストモダンを経た日本の現代社会が人間の内面や大きな物語(思想)を必要としないデータベース型(小さな物語、断片の集積、その差異の戯れ、フラット、無思想)の社会となることを僕らは感傷の余地なく受け入れるべきなのかもしれない。でもそう簡単には割り切れるものでもない。認めたくないけど、認めざるを得ない。そういうダブルバインドな心情や、自己矛盾に耐える忍耐こそが僕らが社会に対して予って立つ視座(ある種のアイロニー)となっていたのではないか。

『動物化するポストモダン』、『ゲーム的リアリズムの誕生』という彼の代表的一般評論の流れの中に『一般意志2.0』はある。この本は東が「夢を語る」という表現で始まる。ルソーの『社会契約論』におけるターム「一般意志」の現代的な解釈から始まり、フロイト、グーグル、ローティ、ツイッターと語りつぐ。そこには確かに夢としての、動物化した現代人の特質を前提とした社会(データベース+アルゴリズムによる自動選択を優先する社会)の在り方が示されている。その論理は分かり易く、そこで描かれる夢のほとんどに僕は同意したい。同世代である彼の著作を読んで初めて晴れやかな気持ちになったから。

これまで柄谷行人や大澤真幸が語ってきたヒューモアやアイロニーという概念の延長線上に初めて現実の社会が見えたような気もする。その端緒がグーグルなり、ツイッターであったりすることに特に大きな違和感はない。ツイッターについては殆ど使いこなせていないし、その有用性についてあまり信用もしていないけど、それでも、今やインターネットのコミュニケーションなくして社会は成り立たないし、ネット社会の構造、その総体としての在り方(集合知)が如何に現代人の心性を基礎付けているかこそ今語られるべき哲学的主題なのだろう。東浩紀の著作の系譜として、ポストモダン後の現代思想の潮流がインターネットコミュニケーションと融合し、来たるべき社会の論理的根拠として結実していく過程は感動的ですらある。

この本は今後の社会学や哲学の方向性を決定づけるほどのポテンシャルを持っていると思う。政治とインターネットの融合など、提案そのものは凡庸かもしれないが、思想の現在進行形として、これまで薄ぼんやりとしていたアカルイミライがはっきりと見えたような気がした。

by onomichi1969 | 2012-01-18 00:06 | | Trackback | Comments(0)

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