ツリー・オブ・ライフ "The Tree of Life"
2011年 08月 15日
"There are two ways through life. The way of nature and the way of grace. You have to choose which one you will follow."
映画の冒頭で語られる母親(ジェシカ・チャステイン)の言葉であり、一見この映画の主題そのものを言い当てているように思える。「世俗に染まるか、神に委ねるか」と訳されていたが、意味合いとして、世俗とnatureは少し違うような気もするけど、natureとgraceがキリスト教世界における対概念であることは確かである。しかし、この映画から僕が受けた印象は、その対立ではなく、融合。対立を含む一体化である。
アメリカ人の90%は神の存在を信じているという。故に、先に発表されたホーキング博士の「神の非在発言」(『ホーキング、宇宙と人間を語る』)が如何にセンセーショナルだったかは想像に難くない。確かに宇宙物理学者であり、究極の無神論者であるホーキング博士はとても稀な存在と言える。アメリカでは、科学と宗教は基本的に矛盾しない。量子力学と神の存在は両立するのである。そもそも、神の御業によって成立した世界を人間の理性によって明らかにしようとする試みこそが科学である。だから、アインシュタインは量子力学の確率論的な不確定性を「神はサイコロを振らない」と言って否定した。神は完全であるべきだと。人間理性によって認識に至らない非知の世界もあるだろう。しかし、世界は不完全で不確定であることが証明された現代において、神(GOD)の存在は、完全さと不完全さを包含した、世界を肯定し得る存在として感じることもできる。
本作品の映像世界が示すのは対立ではなく、融合である。映像によって一体化されるnatureとgrace。それは地球と生命の歴史を含んだ旧約から新約に至るキリスト教的な世界の系譜そのものであり、イエスの愛に至る道筋そのものであり、同時にそれは個人の歴史に重なり合う。その物語、その映像。究極にエッセンシャルな物語。だからこそ、この映画はすごい。
National Geographic的な映像の美しさがこの映画の特徴でもある。その中に恐竜のCGが挿入されていて、最初は??と思ったが、あの映像こそ、この映画の主題そのものに通じていたのだと今にして思う。それは、兄弟や父子の確執が途中決定的な亀裂を垣間見せながら、最終的に和解へと至る道筋を示唆していたと言えないだろうか。そういう伏線も感動的である。
この作品は、確かにこれまでの映画という概念を易々と超えている。映画を評価する客観的な従来型の指標があるとして、それには到底当てはまらないし、自らの知識と理解を超えた内容に対して「これは酷い」と思わずつぶやいてしまう気持ちも分からないではない。しかし、それはすごく勿体ないことだ。この映画が誘う世界、想像力が導く世界は、新しいイコンである。僕は、この作品をもう一度観たいと思った。2011年アメリカ映画
by onomichi1969 | 2011-08-15 22:41 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)