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semスキン用のアイコン01 ハンナとその姉妹 "Hannah and Her Sisters" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 15日

a0035172_2323817.jpgウディ・アレンの80年代の傑作と言えば、『ハンナとその姉妹』だろう。
この作品を最初に観たのは高校生の頃。『カイロの紫のバラ』に続いて観たウディ・アレン映画だったと思う。『カイロ~』がとても分かりやすいファンタジーで印象にのこる物語だったのに対し、『ハンナとその姉妹』の印象はとても薄かった。マイケル・ケインのモノローグとそれに反する滑稽な立ち振る舞いなど、コミカルで笑えた記憶はあるのだけど、設定にしても、会話にしても、心理描写にしても、高校生ごときに深く理解できるような内容ではなかったのである。
ウディ・アレン映画を本当に面白く観ることができるようになったのは30代も後半である。まぁそれ以前にウディ・アレンの映画を好んで観ること自体がなかったと言っていいけど。僕にとって就職してからの20代は文化的に不毛の時代。現実の生活でいろいろと浮かれたことばかりで、結婚して離婚して、子供を抱えてあたふたして、あとは仕事でバタバタを繰り返した時代。まぁそれはそれとして。。

『ハンナとその姉妹』は、ウディ・アレンの集大成的な映画だと思う。彼の哲学が詰まった作品。これまでのウディ中心の恋愛劇から群像的な方向が打ち出され、以後のスタイルの原型ともなった作品。各人の会話と心理描写が錯綜し、演者の表情や背景/風景が物語に奥行きを与えている。話は、ウディ特有の惚れたの腫れたのという単純な恋愛劇なのだけど、それと並行して、彼自身の生来の問題意識でもある「SEXと死」というテーマが扱われている。ウディ演じるテレビのディレクターが「死」という観念に囚われ、仕事を辞め、宗教に嵌り、最後にそれを乗り越えていく様子とマイケル・ケイン達のプリミティブな恋愛ゲームとの対比の中で、何故ウディ・アレンが映画の中でそこまで恋愛に拘るのかがじんわりと分かってくるのである。

ウディ・アレンは、恋愛をその出会いから成就までという従来のサイクルでは考えない。彼はその終わりと終わりからの始まりを描くことで恋愛の本質、「今、この瞬間の思いを大切にすること」を表現する。「今、現在」は過去の思い出や未来の不安の断片を常に含む、思いがけず、また思い込むことで連続していく様々な瞬間の蓄積としてある。他人同士が分かりあい、そしてすれ違い、我慢し合い、深く知り合う。恋愛がそういう蓄積としてあるならば、それは常に波のように揺れ動くものであり、ある振幅で瞬間的に壊れる可能性もある。あらゆる瞬間の可能性の中で人生という喜悲劇があり、恋愛というものがある。人生という波を微分的に捉え、そこに本質を見出し、それを味わうこと。そういう意志を自然のものとして感じる。

ウディ・アレン映画は、その総体、ひとつのシリーズとして評価することができる。こんな作家は今では他にいないだろう。『アニー・ホール』があり、『マンハッタン』があり、『ハンナとその姉妹』があり、『夫たち妻たち』があり、『重罪と軽罪』があり、『世界中がアイ・ラブ・ユー』があり、、、ウディ・アレンは年をとる毎に彼の「今、現在」を撮り続けることによって人生を表現していると言えよう。1986年アメリカ映画
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by onomichi1969 | 2010-05-15 23:38 | 海外の映画 | Trackback | Comments(2)

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Commented by ひな at 2010-05-17 00:15 x
ウディ・アレンの映画は、見た目もかっこ悪いし頼りなくて情けない。全てが思い通りにはいかないけれど、そんなもどかしい日常に幸せがあるのかも、悩んで泣いて笑ってそれでいいんだと、最後にほっこりした気持ちになれます。
ウディ・アレンは偏屈で神経質だけど人間が好きなのでしょうね。彼みたいなタイプの人は人間嫌いな人が多そうなのに。
『ハンナとその姉妹』『世界中がアイラブユー』あたりはそれぞれのエピソードがごちゃごちゃになってあまり良く覚えていないんですが、この映画でとても好きなところがあります。終盤に自殺まで考えていたウディ・アレンがマルクス兄弟の『我輩はカモである』を見て、「なぜ自殺を考えたのか。愚かなことだ。あの画面の連中を見ろ。ほんとにこっけいで、何の悩みもない。」と生きる希望を見出すところ。ほんとうに『我輩はカモである』は底抜けに明るくて、悩んでることがばかばかしくなってくるのでこの場面が大好きです。
ウディ・アレンにしてもマイケル・ケインにしても登場人物すべてが欠点の多い人たちだけどそれが人間らしくて、愛すべきヘンジン達とよびたくなります。
Commented by onomichi1969 at 2010-05-17 00:40
ひなさん。こんばんは。
ウディ・アレンがマルクス兄弟の『我輩はカモである』を観て、死という観念を恐れることの愚かさを悟る場面。これはこの映画のクライマックスでしょう。この場面は、ウディ・アレンとダイアン・ウィーストが結婚して、子供ができるというラストシーンにストレートに繋がっていきます。
彼の哲学の肝こそ、マルクス兄弟の映画にあるのだと言ってもいいのでしょうね。

明日から、1週間程ドイツとイタリアに出張してきます。それでは。
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