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semスキン用のアイコン01 ガープの世界 "The World According to Garp" semスキン用のアイコン02

  

2010年 05月 04日

a0035172_0242820.jpg『ガープの世界』とは、“父”の不在を前提とした“母”の密着と崩壊めぐる寓話である。こう言ってしまうと、江藤淳の『成熟と喪失』の引用かと思われるかもしれないが、この物語を読み解くのに、日本型フェミニズムの到来を予見した江藤淳の60年代の名著が手がかりになることは間違いない。

アーヴィングと江藤淳。それは父(父性)と母(母性)の存在と不在を巡る個人の成熟の問題として捉えられる。確かに『ガープの世界』に関わらず、『ホテル・ニューハンプシャー』でもアーヴィングは成熟しない<し得ない>家族の物語を描いている。『ガープの世界』は、父の不在を前提とした中での、母性の密着と崩壊をテーマとして扱っている。父の不在は、(神という)精神喪失の世紀と言われる19世紀以降の自明の観念であり、その自明の不在を敢えて物語として設定化した上で描きたかったものは、現代的問題である母性の行方のはずなのである。(『ホテル・ニューハンプシャー』はそれに続く母の不在がテーマか。)ここで言う母性とは、根拠のある自閉性<愛情>といっていいかもしれない。だから、ガープの母親ジェニー・フィールズは、過激なフェミニストにして、やはり母親そのものであるというアンビバレンツな存在なのだ。これは江藤の著作で引用される小島信夫の『抱擁家族』と全く逆のシチュエーションであり、アーヴィングは母性を決して崩壊させない。

「すべてを受け入れて赦す母」と「責任に耐える治者としての父」、これは江藤が夢想した国家イメージである。これはアーヴィングの『ガープの世界』と『ホテル・ニューハンプシャー』の登場人物たちの家族イメージに重なるだろう。江藤にとっての日本は、アーヴィングにとっての家族なのである。そして、それは、母子という最も根源的な関係性を前提としている。

『ガープの世界』は、この問題に対して、どう着地しているか。ガープは決して成熟していないが、そこには未熟を前提としながらも、成熟する為の根拠を求める意志があり、彷徨があるのだ。『ホテル・ニューハンプシャー』もそうであるが、その意思こそがこの作品の核であると感じる。そこに母性という根拠のある自閉性が深く関わっており、成熟を放棄しながらも、その根拠を手放さず、彼らは母性に固執する。

しかし、現在の僕たちにとって、『抱擁家族』のように、日本も家族もその根拠を求める意志は確実に薄らいでる。これこそが江藤が決して認めたくなかったことでありながら、常に彼の著作に漂っていた現実であり、彼の根源的な不安だったのである。母性の崩壊はもう成熟を意味しない。父の不在の中で母が崩壊する。それは家族としても国家としても根拠のない自閉性の罠に嵌ったということなのである。それが現在である。1982年アメリカ映画(2003-09-06)
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by onomichi1969 | 2010-05-04 00:31 | 海外の映画 | Trackback | Comments(0)

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